36 雨なんだが

「へーそういう……」


 俺がいつもの席に着くとニマニマとした向島葵が俺を見てきていた。

 見られている俺からしたらかなり不快である。


「拓也君、あなたも手伝って。向島さん全く集中出来ないようだから」

「だから葵ちゃんだって言ってるじゃん。それにしてもちゃんと呼ぶようにしたんだね」

「向島さんには関係ないわ。そんなことよりもあなたは早く勉強をしなさい」

「もしかして照れてる?」


 何かを面白がるように笑う向島葵と何故か顔を赤くした椎名えり、俺には何がなんだか分からなかった。


「とにかくそこ問題をさっさと解いて。話はそのあとよ」

「えりは面白いなー。これだけで怒るなんて」

「黙ってやるのよ」

「はいはい分かってますよー」


 向島葵は生返事をしながらも一応勉強するつもりはあるようでノートに視線を落とした。


 まぁお互いがお互い毛嫌いしているとかそういうわけではなかったので一先ず安心した。

 それでも会話をしたい向島葵と彼女に勉強をさせたい椎名えりでは衝突することは必然であり、結局それがお互い毛嫌いしているように見えたらそれまでなのだが俺にはどうすることも出来ない。


 一応椎名えりに勉強を見るのを手伝ってくれとは言われたがこの状況、俺は全く持って必要無さそうである。

 部室から出ることができないのならいつも通りスマートフォンをいじっているしかない。

 そう思った俺は制服の胸ポケットからスマートフォンを取り出し、それから部活が終わるまで勉強を教えようとする椎名えりと度々勉強から逃れようとする向島葵の会話をBGMにしてスマートフォンをいじっていた。


 どうやら明日の天気は雨らしい。


◆◆◆


 次の日、天気は予報通り雨だった。

 家の扉を開けて空を見れば、どんよりと灰色に染まっている。今日一日雨が止むことはないそうだ。


「行きますか」


 玄関にあった傘を手に取り、留め具を外して広げる。

 広がったやや大きめの傘に入った俺は足早に家の門を出て学校へと向かった。


 そして家を出てから数分、俺はとある交差点の信号で足止めを食らっていた。

 この信号は比較的大きな交差点にあるため一度赤になると次に横断歩道を渡れるようになるまでしばらく時間がかかる。

 そんな場所で俺が大人しく傘をさして待っていたとき、近くのマンションのエントランスに見知った人影が見えた。

 綺麗な黒髪を肩より少しだけ長く伸ばした制服姿の美少女。彼女はまさしく同じ部活の仲間、そしてクラスメイトでもある椎名えりであった。

 きっと今から学校へと向かうのだろう。


 視線を外して一分、もう流石にいないだろうと思いながらも再び彼女がいた方を見ると彼女は先程の位置からまったく動いておらずただどんよりと曇った空を見ていた。

 遠くからでよく分からないがどことなく困っているようにも見える。


「何やってるんだか」


 そんな彼女の様子が気になった俺は多くの人達が青になって渡れるようになった横断歩道を渡る中、その横断歩道ではなくマンションの方へと歩を進めた。


 マンションのエントランス前までたどり着いたところでガラスで出来た壁面をコツコツと指で叩けば、ガラスの壁と自動ドアを挟んだ向こう側にいる彼女が俺をエントランスへと招き入れる。


「拓也君、どうしてここに?」


 彼女は少し驚いた様子で俺に声をかけるがそれを聞きたいのは俺の方である。


「それはこっちのセリフだ。ずっとここにいるから来てみれば一体何やってるんだ?」

「……私は大丈夫よ。なんとかするわ」


 一瞬だけ謎の間があったものの椎名えりは大丈夫、心配するなと口にするだけ。


 様子がおかしい彼女に疑問を感じながらもそこまで言うならとエントランスを出ようとしたとき、俺はあることに気づいた。


「もしかして傘がないのか?」


 俺の言葉にビクッと肩が震える彼女、どうやらそういうことらしい。

 何故そこまで傘がないことを隠そうとしていたのかは分からないが事情を知って放っておけるほど俺は酷い人間ではない。

 幸い俺の傘は二人くらいは入れる。となれば俺のやることは決まっていた。


「だったらこの傘に入っていくか? このままじゃどうしようもないだろ?」


 俺の提案に椎名えりは考える素振りを見せるもそれはたった数秒だけ、彼女は小さく頷いた。

 まぁ俺の傘に入るなど嫌だとは思うがここは我慢してもらうしかない。遅刻を免れるにはこれくらいしか方法がないのだから。


「じゃあお邪魔するわね」


 エントランスから外に出たところで椎名えりはその一言と共に俺の傘の中に入ってくる。

 大きめの傘とはいえど二人が横に並べば流石に狭いが少し密着すれば二人とも濡れなくて済む。

 左手に持っていた傘の柄を右手に持ち直したところで俺は彼女と一緒に学校へと向かった。



 学校の近くまで来ると同じ学校の生徒が多くなり俺達は目立つようになっていた。

 しかしだからといって相合傘を止めることはしない。そうしてしまえばどちらか一方がこの雨で濡れてしまう。それは俺の望むところではなかった。


「ごめんなさい、私が拓也君の傘に入っているせいで」


 普段周りの視線を気にしない椎名えりも今俺達に向けられているこの視線は気になるのか少し申し訳なさそうに目を伏せる。


 確かにこの視線の大部分を彼女──椎名えりが集めているのは事実である。

 それでも彼女の見た目がそれほどに人目を惹くのは初めから分かっていたことで今更とやかく言うなんてことはしない。


 ただ可能性としてはほぼないが俺と一緒にいることで彼女までクラス内で浮いたりなんかしたらと思うと少し不安ではある。

 もしかしたらそんなこと彼女の方は気にしていないかもしれないが俺の方が気にしてしまう、というより後ろめたい気持ちになってしまうのだ。

 まぁ今更こんなことを不安に思ったところでもう既に相合傘をしているわけで結局は全て遅いことなのだが。


「まぁそうならないことを祈るしかないか」

「何のこと?」


 思考の海の中で聞こえた声に意識を現実に戻せば、無表情の椎名えりが俺の顔を覗き込んでいた。

 ただでさえ密着しているのに更に顔を近づけられて心臓の鼓動が激しくなるもなんとか表に出さないよう耐える。


「いや別に何でもない。それよりももうすぐ学校につくな」

「そうね……」


 我ながら下手すぎる返しだと思ったがこの問題は彼女に話してどうにかなる問題でもない。


 ふと彼女の顔の方へと視線を移動させると数秒遅れてこちらに顔を向けた彼女と目があった。


「すまん」

「いえこちらこそ……」


 なんともぎこちないやり取り。

 だが不思議と気まずくはなかった。

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