さて、話を会場に戻そう。


 昨今の同人界隈は作る方も買う方も、日本の悩みと同期し、少子高齢化の傾向があると言われている。故に動く金が大きかったりするんだけど、こんな地方の辺鄙な会場まで通販じゃなくてわざわざ足を運んで同人誌を買いに来ているのは、中々の『強豪』――つまり、現実という何よりも恐ろしい物に日々怯えつつ、それでもオタクを貫こうとしている、覚悟ガンギマリな人々なわけである。


 故に、各サークルが『ゾンビ乱入の為、販売中止』という当然な処置を行ったらどうなったか?


 並んでいた人達は激怒した。

 ここまでの運賃、並んだ時間、購入の為に金をやりくりした数か月間の労力、周囲の目、それに対する一握りの良心の痛み、それが一気に頭から足の先まで電気みたく暴れ狂ったのだ。

 必ずや原因であるゾンビに報復せねばならんと、心の底から思ったわけである。


 サークルの人達も激怒した。

 やっぱりここまでの運賃やら、今まで原稿を書いた時間、印刷代、周囲の目、個人的な問題、そして――まあ限が無いけど、ともかくそういうのが全身に荒れ狂ったのだった。

 必ずや原因であるゾンビに報復せねばならん。その後、ちょっとでいいから販売したい。

 まあ、多少の違いは有れど、その場にいた人間は概ねそんな思いだった。


 結果、全員がゾンビに襲いかかったのである。


 太った男性がバットでゾンビを殴り倒すと、売り子の女性が会場に設置されていた刺又を持って走ってきた。(あまり知られていない事だが、『618』以降、全国の学校や駅等の公共施設には刺又を設置することが義務化された)

 売り子の女性は机の上に登ると、刺又でゾンビの腹を上から押さえつける。ゾンビは刺又には手を触れず、ゆっくりと体をよじりはめた。どうやらこのゾンビ『成り立て』らしく、その怪力に女性の体がぐらりとよろける。

 慌てて俺と完全武装の男が駆け寄って足を抑えた。

「……下から覗いたら、殺すからね」

 売り子の女性の意外にもドスの利いた声に、俺と完全武装の男は顔を見合わせ俯いた。

「悪い。もうちょっと押さえてて。すぐに終わらすから」

 太った男性がそう言って俺達三人に頭を下げると、バットをゾンビの頭に打ち下ろし始めた。


 会場に侵入したゾンビは全部で、なんと40体だった。とはいえ『瞬間的に対処に動いた人間』が圧倒的に多かったのが幸いしたのか、鎮圧までの時間は20分もかからなかった。

 しかし、広い会場ではあるのだけれども、血の匂いがあっという間に充満。すぐにも外に出ようと皆が入り口に向かって歩き始めた。


 だが、スタッフが外に出してくれない。


 それどころか気分が悪い人を隔離する、とまで言い出した。これは人権侵害だと騒ぐ奴も大勢いた――のは一昔前の話だ。

 俺達は『やっぱりな』と肩を落とした。

 散々じゃないか、とげっそりした。

 それでも警察が来た際には抗議をしてみたが、そんなものはどこ吹く風、入口の扉は一時間閉鎖と正式に告知があり、自衛隊の処理班が到着するまで俺達は中で『動かない死体』と一緒に過ごす羽目になった。

(テレビの討論番組、ネットの記事等で読者諸君も一度は目にしたことがあるかもしれないが、『ゾンビ発生時の緊急判断』において、『閉所におけるゾンビ発生の際は、何よりも現場の密封を優先すべきである』か『否』かは、今でも結論が出ていない議題である。

 非人道的であるという理由で、密封には反対の人間が多いのが現状ではあるが、非常事態に遭遇した場合、管理する側がどういう行動に出るかは『618』を経験した諸君も嫌というほど知っているのではないだろうか)


 これはイベントの運営委員会ではなく、地方自治体の判断とのことだった。まあ、警官数人やスタッフが中で謝罪やら現場検証で俺達の不満解消の相手になってくれたので、暴動みたいな事は起きなかったのだが……SNSに文句を書く人は大勢いた。

 ちなみに『動かない死体』の胸には勿論、ゾンビ鈴を置いておいた。

(知らない人の為に解説しておくと、ゾンビ鈴はweb漫画『かえり血で晩酌』発祥のアイテムである。

『晩酌』は『618』を扱った漫画であり、生存者の一人が、『発症した際すぐに気付けるように』と、噛まれて昏倒している人間の腰に鈴を付けるシーンがある。

 物語の後半、ある初老の警官が鈴の音を聞き、暗闇に向けて銃を放つシーンがある。

 そこで撃たれるゾンビは彼の息子であり、彼の表情と合わせて『泣ける』としてSNS上で拡散。後日、原作者公認で、同人やジョークグッズとして販売されることになった)



「しかし――このゾンビはどっから来たのかね?」

 机の上に寝そべった誰かが言った。

「どこかにいた――ってわけじゃないよなあ。『成り立て』だったし」

 誰かが応えた。警官の一人がおいおい、と声を上げた。

「誰だ? ゾンビの顔をネットに上げただろう? やめてくれよ、怒られちゃうだろうが」

「でも、その方が、身元が早く判るんじゃないですか?」

「駄目だよ、ダメダメ! さっさと削除して!」

 不承不承スマホをいじりだしたのが、結構な数で俺は笑ってしまった。

「多いなあ!」

 刺又を持って机の上に相変わらず仁王立ちしたままの売り子の女性が、溜息をついた。

「ホントに……なんで非常扉から入ってきたのかしら? 今は鍵も閉まってるし……」

 太った男性が口を拭って、ぼそりと言った。

「ゾンビは扉を開けない」

 皆が彼を見て、それから倒れている『動かない死体』達を眺めた。

「誰かが入れたのか……」

「俺達を殺す為に?」

「他に理由があるのか?」

「意味が判らん。オタクに親でも殺されたか? キモイってだけでここまではしないだろ。大体40体も新しいゾンビをどっかから連れてくるって、そんなもの――」


 皆が黙った。


 そんな事は個人にはできない。

 危険だし、金も労力もかかる。大体、会場にいるオタクを全部殺したいなら他に手段はいくらでもある。

 つまり――

「……そういや、この前決まった法令で――」

 さわさわと噂が広がっていく中、自衛隊が到着し、それからさらに数時間後、俺達はようやく解放された。

 俺達は多分同じことを考えていたのだろうと思う。


 きっと、またどこかで、こういうイベントが開かれるだろう。

 そして、きっと今回と同じ事が起きるだろう。


 多分、辺鄙な土地で。


 了

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