第十三節 詩編の男

 ―――我が神、我が神、どうしてわたしを、お見捨てになったのですか。遠く離れてわたしを御救いにならないのですか。わたしの呻きの言葉にも。

 我が神。昼、わたしは呼びます。しかし貴方はお答えになりません。夜も、わたしは黙っていられません。

 けれども、あなたは聖であれ、イスラエルの賛美を住まいとしておられます。

 わたしたちの先祖は、あなたに信頼しました。彼らはあなたに叫び、彼らは助け出されました。

 彼らはあなたに叫び、彼らは助け出されました。彼らはあなたに信頼し、彼らは恥を見ませんでした。

 しかし、わたしは虫けらです。人間ではありません。人の謗り、民の蔑みです。

 わたしを見る者はみな、わたしをあざけります。彼らは口をとがらせ、頭を振ります。

 「主に身を任せよ。彼が助けだしたら良い。彼に救いださせよ。彼のお気に入りなのだから。」―――。

 しかし、あなたはわたしを生れさせ、母のふところにわたしを安らかに守られた方です。

 わたしは生れた時からあなたに委ねられました。母の胎を出てからこの方、あなたはわたしの神でいらせられました。

 わたしから遠く離れないでください。悩みが近づき、助ける者がないのです。

 多くの雄牛はわたしを取り巻き、バシャンの強い雄牛はわたしを囲み、掻き裂き、吼え猛る獅子のように、わたしに向かって口を開く。

 わたしは水のように注ぎ出され、わたしの骨は悉く外れ、わたしの心臓は、蝋のように、胸のうちで溶けた。

 わたしの力は陶器の破片のように渇き、わたしの舌は顎につく。あなたはわたしを死の塵に伏させられる。

 真に、犬はわたしを巡り、悪を行う者の群れがわたしを囲んで、わたしの手と足を刺し貫いた。

 わたしは自分の骨を悉く数えることができる。彼らは目を止めて、わたしを見る。

 彼らは互に私の衣服を分け、私の着物をくじ引にする。

 しかし主よ、遠く離れないでください。我が力よ、速く来て私をお助けください。

 わたしの魂を剣から、わたしの命を犬の力から助け出してください。

 わたしを獅子の口から、苦しむ我が魂を野牛の角から救い出してください。

 わたしはあなたの御名を兄弟達に告げ、会衆の中であなたを褒め讃えるでしょう。

 主を恐れる者よ、主を褒め称えよ。父祖の諸々の裔よ、主を崇めよ。イスラエルの諸々の裔よ、主を怖じ畏れよ。

 主が苦しむ者の苦しみを軽んじ、厭われず、またこれに御顔を隠すことなく、その叫ぶときに聞かれたからである。

 大いなる会衆の中で、わたしの賛美はあなたから出るのです。

 わたしは主を恐れる者の前で、わたしの誓いを果します。

 貧しい者は食べて飽くことができ、主を尋ね求める者は主を褒め称えるでしょう。

 どうか、あなたがたの心が永久に生きるように。

 地の果ての者は皆思い出して、主に帰り、諸々の国の輩は皆、御前に伏し拝むでしょう。

 国は主のものであって、主は諸々の国民を統べ治められます。

 地の誇り高ぶる者は皆主を拝み、塵に下る者も、己を生き長らえさせ得ない者も、皆その御前に跪くでしょう。

 子々孫々、主に仕え、人々は主のことをきたるべき代まで語り伝え、主がなされたその救を後に生れる民にのべ伝えるでしょう。


 嗚呼、先生、先生。貴方はこの偉大な業の故にお生まれになり、そしてこの業の為に苦しむべくして苦しむと、預言者も詩人も言っていたのか。私を苦しめる為に、行えと言ったのではなく。貴方自身が苦しむために。

 そうなのだ、だから、きっとそうなのだ。だとすれば私はこう謳おう。


 神よ、貴方は私を心にかけ、私の全てを知っておられる。

 私が座るのも、立つのも知り、遠くから私の思いを見通される。

 歩むときも休む時も見守り、私の行いを全て知っておられる。

 唇に言葉がのぼる前に、神よ、貴方は全てを知っておられる。

 後ろからも前からも、貴方の手は私を守る。

 私を包む貴方の英知は神秘に満ち、余りに深く、及びもつかない。貴方から離れて私はどこに行かれよう。

 貴方の顔を避けて、私はどこに逃れよう。

 天に昇っても貴方はそこに居られ、師の国に下っても貴方はそこに居られる。

 翼を駆って東の果てに逃れても、海を渡り西の果てに住んでも、貴方の手は私を導き、貴方の右手は私を離さない。

 「闇が私を覆い隠せばよい。光が消えて夜となればよい。」と願ったとしても、貴方は闇の中でも明るく、夜は昼の様に輝き、貴方の前に暗闇はない。

 貴方は私の身体を作り、母の胎内で私を形作られた。

 私を造られた貴方の業は不思議。

 私は心からその偉大な業を讃える。

 私がひそかに作られ母の胎内に行き始めたときから、私の骨は貴方に数えられた。

 貴方の目は私の行いに注がれ、私の全ては貴方の書に記されている。

 生涯を歩み始める前に、私の日々は定められていた。

 神よ、貴方の思いは極めがたく、その全てを知ることは出来ない。

 貴方の計らいは限りなく、生涯、私はその中に生きる。

 神よ、私を心にかけ、私の全てを知ってください。

 私を調べ、悩みを知ってください。

 悪への道を歩まぬように見守り、正しい道に導いてください。


 わたしは目を覚ました。

 ゆっくりと起き上がると、随分寝ていたのか、頭から血がなくなってしまった。額を抑えながら、ほら穴を出る。少し歩くと、荒野にぴったりな、腕っ節の良い古木があった。少し叩いてみると、枯れてはいるが脆くはなさそうだ。見上げると、結構な高さがある。見下すようなその木を見ていると、幼いころ、父を見上げていた時のような安らかな気分になる。

 わたしは帯をほどき、両方に輪を作ると、木によじ登った。枝に帯を巻いて、輪の中にもう片方の輪を入れる。シュッと、帯がしまった。わたしはもう片方の輪に頭を入れ、一度空を見た。

 嗚呼本当に、どうしてあんなにも、空はのんびりとしているのだろう。

 嗚呼わたしは、鳩になっていた。わたしの止まり木が、ほら、逞しい二本の枝が、わたしに向かって伸びているではないか。


 ―――我が神、我が神、どうしてわたしを、お見捨てになったのですか?

 子々孫々、主に仕え、人々は主のことをきたるべき代まで語り伝え、主がなされたその救を後に生れる民にのべ伝えるでしょう。わたしのたった一人の主、貴方を裏切り、貴方の使命をお手伝いしたこの栄光は、私だけが知っていればよい。わたしの妹達、その娘達。例え売女と罵られようとも、この兄はお前達を愛している。

 主がわたしを愛しているように。


【カリオテの男 完】

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