第四節 言伝の男

 わたしのように文字の読み書きが出来る者でも、子供のころから律法や教えは口伝えで教えられる。わたしたちはわたしたちの祖先が誇り高く気高い、神に是認された者であったから、その祖先が神より与えられた掟というものをとても大切にする。わたしもそのように育ったし、先生もその様に育てられたようだ。

 先にも言ったように、律法はとても大切な、神の定められた法律。だから学者たちは、その法律をより完璧に、より完全に解釈し、順守しようと、細かい事を決めていく。それが、安息日の行動制限に始まり、病の穢れ、月経の穢れなどに現れているのだ。わたしたちは神に選ばれた者の子孫だから、穢れというものに対して神経質だ。市場などの人の多い所から帰ったならば、身体をきちんと清めてから食事をする。食器も、手も、よくよく洗って清めてから食事をとる。それはいわば、高潔さや純潔さを守るためのものだった。

 その日わたしは会計係として、皆のパンを買いに出かけた。主要な弟子十二人意外にも、弟子はいるので、かなりの買い物だ。ところが、帰る途中で、寡婦と子供に出会った。

「おめぐみを。」

 子供が拙い舌で物乞いをする。母親らしい寡婦は、どうやらしゃべることも出来ないくらい衰弱しているらしい。先生を連れてこようかと思ったが、わたしの手の中には、すぐに子供を救える物があった。先生の手を煩わせるまでもない。わたしは、二人分のパンを荷物から取り出して、与えた。子供は二つのパンを受け取ると、二つとも母に与えようとした。が、当然ながら母は子供にその二つのパンを与えようとする。わたしは見かねて、母親に言った。

「二人で一つずつ食べなさい。貴方が死んでは、子供を守れないでしょう。」

 すると、母親は涙を流しながらパンを受け取り、かぶりついた。が、喉が渇いているのか、中々飲み込めない。仕方が無いので、わたしは葡萄酒を開けて手で掬い、母親と子供の口が潤うまで飲ませた。余程腹が減っていたのだろう。ごくごくと飲み干し、わたしの手の溝の湿り気さえも舐め取っていた。二人は釣瓶すら持っていなかったので、恐らく井戸には行けないのだろう。だが流石に、わたしも釣瓶は持っていなかった。

「ありがとうございます。ありがとうございます。貴方こそ、神の使者です。ホザンナ、聖なる方。神の祝福がありますように。」

「ホザンナ、アレルヤ。」

 二人は縺れて乾燥した舌を潤し、感謝を伝える。わたしは少し得意になって、二人に答えた。

「いいから。坊や、大きくなったら真っ当な仕事にお就きよ。母親よ、貴方ももう身体が限界でしょう。売春婦に戻るのではなく、貴方の親戚の所に身を寄せると良い。」

 二人はわたしが道の角を曲がり、パンと葡萄(ぶどう)酒を買いに行くまで、ずっと頭を地面に付けていた。この程度の出費、普段弟子達の為に渡す賄賂に比べればなんともない。この程度のことで、こんなに良い気分になれるのなら、あいつらの不始末は自分で補って貰うことにして、わたしは割り当てられた金で彼女たちのような者に施しをしようか。随分と施しなどしていなかった気がする。

 わたしは久しぶりに、充足感に満たされ、足取りも軽く宿に戻った。


 しかし戻ると、弟子の一人の取税人が、わたしが持って行った金と、持って帰った金の比がおかしい事に気づき、わたしを咎めた。

「どうして釣りがそんなにも少ないのか。」

 わたしは黙っていた。以前先生が、偽善者のように善行を大っぴらにしてはならないと仰ったこともあったが、なぜか行った善が恥ずかしくて、言う気になれなかった。わたしは行った事を後悔していない。昔からしていたことだ。だがどうしてか、わたしはそれについて言いたくなかったのだ。わたしが黙っていると、元取税人はいきりたってわたしの胸倉を掴んだ。しかし、すぐに先生が止めに入った。

「どうして止めるのですか。この男はわたしたちから集めた金で不正を働いたのかもしれません。問い詰めるべきです!」

「兄弟を疑ってはなりません。」

 元取税人は言葉を詰まらせた。元取税人と、他の十人の弟子の視線が痛い。先生はわたしに向き直り、尋ねられた。

「貴方は、何か後ろめたい事をしたのですか。」

 わたしは目を反らした。わたしの行いは限りなく善意で行ったもので、何の咎めを感じることでもないのに、どうしてこんなにも切ない罪悪感が湧くのか、分からない。しかしわたしは先生の眼をみて、言った。

「していません。先生の名によって。」

「そうですか。なら良いでしょう。」

 弟子たちは納得していないようだったが、争いを嫌い、ゆるしを尊ぶ先生がゆるされたのだから、と、その話題には触れなくなった。

 気分を変えて、わたしたちがパンを食べるために手を洗おうとすると、必要はない、と戒められた。泥にも触れていないし、死体に触れたわけでもない。まして腹が減っているのだから、そんなことはしなくてよいと仰った。また偽善者たちに見咎められるのではないかと思ったが、彼らを相手にするのは先生だし、わたしもとても腹が減っていたので、その通りにした。

 それに、先生に暗に、『賛美の子、貴方は何も恥じる事はないし穢れにも触っていない』と言われた気がして、ホッとしたのだ。

 どこから湧いたのか、また偽善者たちがやってきて、言った。

「なぜ、貴方の弟子たちは、昔の人たちの言い伝えに従って歩まないで、穢れた手でパンを食べるのですか。」

 すると先生は答えて言われた。

「過去の預言者は、貴方方偽善者について予言をして、こう書いているが、まさにその通りです。」

 と、先生は聖書の個所を引用して答えた。また丸めこまれた偽善者たちは、すごすごとそこを去った。


 食事を終えると、先生はまた群衆を集め、話をされた。その時は、穢れについて話された。手を洗わなくても穢れたものは人の中に入らない。人を穢すのは、人から出たものだけだ、と、いう話で、わたしたちはその言葉の意味が分からず、皆で先生に尋ねた。すると、先生は、その様なものは腹を通り、厠に出されるのだと話され、続けられた。

「人から出るもの、これが、人を穢すのです。内側から、すなわち、人の心から出てくるものは、悪い考え、不品行、盗み、殺人、姦淫、貪欲、邪、欺き、好色、妬み、謗り、高ぶり、愚かさであり、これらの悪はみな、内側から出て、人を穢すのです。」

 弟子の何人かが、わたしを見た気がした。わたしが黙っていると、弟子の老人が言った。

「先生。それらをどうしたら完璧に取り除くことができますか。」

「それが出来るのは聖霊の力によってです。だから天の父に祈り、寄り頼めばいいのです。」

「そうか、なるほど。」

 老人は素直に言った。わたしにはない、人の言葉をすとんと受け入れられる素直さ。それも寄り頼めば、得られるのだろうか。わたしは自分がどれほど嫌な性格か分かっている。わたしは卑屈で、妬みもするし、謗りもする。こんな自分でも、変えられるのだろうか。

 わたしは、自分が、自分たちの神よりも、先生に心酔し始めていることを自覚していた。その先生が、頼めというのだから、わたしは素直にハイと言って寄り頼むべきだ。特に難しい事ではない。けれども、どうしてもわたしは、先生にはその様なことは言ってほしくなかった。

 わたしは聖霊でも、神でも、救世主でもなく、ただ一人、先生に救って頂きたかったのだ。だって、わたしは先生、貴方一人をお慕いしてついて行っているのだから。

  ああ、先生、先生。わたしの先生。

  どうしたら貴方のおそばに行けますか。もっと貴方のおそばに行けたのなら、わたしは何も考えることなく安らげるのでしょうか。

  父なる神も、聖霊なる神もいらない。例え先生、貴方がその御方を尊ばれたとしても、わたしの主は貴方だけなのです、先生。

  ああ、先生、先生。わたしの先生。わたしの恋が、羨望が、何か別の羞悪なものに変わる前に、どうかわたしを、どうかわたしを―――。

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