第47話 孤独

 温かみのある白熱灯に照らされたダイニングは、いつもより気温が低い気がした。

 今年の春は寒暖差が激しいのかもしれないと思った小熊はエアコンのスイッチを入れ、夕食の準備を始める。

 体の表面だけではなく、もっと奥の部分まで染み込んでいくような冷たい感触に抗うように、ルンダンと呼ばれるインドネシアの牛肉と唐辛子の煮物を作った。


 レトルトのルンダンの素でシチュー用の牛肉を煮込み、炊飯器より早く炊けるメスティン飯盒で米を炊く。

 唐辛子たっぷりのビーフカレーのようなルンダンをご飯の上に盛り、レタスとトマト、タマネギのサラダを添える。無糖の炭酸水をグラスに注ぐ。

 出来上がった夕食をバーカウンターに並べる。分厚く大きい檜材は、いつも食事をただのテーブルより美味しく見せてくれる。


 ラジオでNHK-FMを流し、スツールに座って夕飯を食べ始めた。ルンダンもオリーブオイルと塩、レモン汁で和えたサラダも出来上がりは上々。今住んでいる町田市北部は、日常的な食材も物珍しい食べ物も、山梨に居た頃より種類豊富で廉価に手に入れる事が出来る。

 ルンダンを頬張った小熊は、唐辛子とココナッツミルクの効いた牛肉の刺激的な味に、思わず声を出した。

「辛いな」

 ダイニングに響いた自分の声に、なんだか気恥ずかしくなった小熊は、ラジオの音量を上げた。そのまま黙って食事を済ませる。


 これは人から伝え聞くが、今まで自分には縁の無かった孤独という感情なのかもしれない。未知の感覚に対する物珍しさもあってもう少し味わってみたいような、これ以上孤独を実感すると何かが壊れてしまうような気持ちになってくる。

 バイクに乗る時の、期待と不安が混じり合ったような気分に似ているかもしれない。そう思った小熊は、夕飯を片付けた後、スマホを手に取った。


 数日ぶりに会った椎は、見た目が少し変わっていた。

 外出時の服をジャージ上下で済ませるのは変わりないが、水色のジャージを一張羅のように着ていた高校の時には持っていなかった、グリーンの生地にレモンイエローのラインが入ったジャージを着ている。

 服がジャージからお洒落ジャージに、それが大学生になった椎の変化なんだろうか。きっ社会人になった彼女は、高級なジャージを着ているに違いない。

 小熊が夕べLINEで、家に遊びに来ないかと誘った高校時代の同級生、恵庭椎は翌日すぐリトルカブに乗ってやってきた。


 紀尾井町の大学に通うため実家を出て、二子玉川のマンションで一人暮らしをしている椎の話では、昼間ならここまで一時間弱で来られるらしい。

 現在、小熊の目の前では、ジャージの上着を脱いでリトルカブの後部ボックスに放り込んだ椎が、サッカーの子供用ボールをリフティングさせている。

 ランニングシャツ姿の椎は水色がかった髪をポニーテイルにしていて、少し日焼けしたように見える。

 椎の話では大学に入学していきなり部員四人のフットサルチームに勧誘され、今はようやく公式戦に出られる人数の揃った、全員が一年生のチームで、アラと呼ばれるミッドフィールダーをしているという。


 チームジャージもシューズも無く、大学からは正式なサークルと認められていないため専用のグラウンドすら無いフットサルチームで、椎たちは自作のゴールを担ぎながら校内の開いている場所を探しては練習を重ね、今日ついに全員分の新品ボールを手に入れる事が出来たらしい。

 小熊と話している間もトラッピングやヘディングの練習に余念の無い椎は、サッカーの少年用四号ボールと兼用のフットサルボールを蹴りながら、小熊の話を聞いていた。

 孤独という今までに無い感情を自覚し、高校時代の友達に会いたくなった事。礼子はどこに行っているのかスマホがつながらない事、椎なら会いに来てくれるだろうし、椎が望むなら二子玉川まで会いに行きたいと思った事。


 椎は小熊に向かってボールを蹴った。小熊が胸でトラッピングし、何度かボールをリフティングさせてから返すと、椎は額でボールを受けながら言った。

「なんだ、そんな事ですか」

 椎がもう一度ボールを寄越す。先ほどより少し強い。小熊は一度インサイドで蹴り上げてから足の甲で受ける。そのまま甲に乗せたボールのバランスを取りながら言った。

「らしくないかな?」

 小熊が高く蹴り上げたボールを踵で受けた椎は、一度弾ませトゥキックで蹴り上げたボールを、リトルカブの後部ボックスにシュートインさせながら言う。

「小熊さんは寂しがりな人ですよ。初めて会った時からずっと」 

  

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