第23話 熊笹のお茶

 炬燵に入った小熊が、油断ならない気持ちを保ちつつ寛ぐという奇妙な行動を取っているいる間に、お茶が運ばれてきた。

 目の前に置かれた茶托と白無地ながら薄く上等な湯呑みも、どこかからくすねてきたんだろうかと思いつつ、芳香だけは申し分ない薄茶色のお茶を啜る。

 香りに違わず、強い苦味とすっきりした後味のお茶だった。


 鋳物の茶瓶から竹千代の湯呑みにお茶を注ぎ、自分のものらしき寿司屋の湯呑みをお茶で満たしている春目に、目線だけで頷いて美味である事を伝えると、春目は誇らしげな様子で茶瓶の中を見せてくれた。

「熊笹の葉を煎じたお茶なんですよ。近くの山で摘んできたんです」

 どうやらこのプレハブに巣食う奴らの行動論理は徹底しているらしい。そう思いながら小熊は湯呑みを爪先で弾いた。澄んだ音と感触。これと同じ物をどこかで見た記憶がある。そんなに昔じゃない。高校時代、バイク便の仕事をしていた頃、例の如くどこかの現場で急に足りなくなった物を届けたところ、現場の混乱で待ち時間が発生し、応接室に通された小熊はお茶を出して貰った。確か中身はこの熊笹のお茶ほど香気豊かではない業務用の茶葉だったが、湯呑みがこれと同じだった。


 どうせ学年も専攻も異なり、これから先の大学生活で係わる事は無いであろう人達の使っている湯呑みの出自など、思い出してもさほど益の無い事だと思った小熊は、続いて出てきた茶菓子の饅頭も頂く。

 こっちは蒸したてとはいかなかったが、微かに白檀のような香りのする上品な紙箱に、白皮とよもぎの皮の小ぶりな饅頭が交互に納められ、食べてみると奇を衒う事無く、安心して食べられる饅頭の味。苦味の強い熊笹の茶との相性が良かった。

 饅頭を食べた小熊はまたしても気づいた。この饅頭もどこかで食べた事がある。どこでも食べられるような平凡な饅頭だが、紙箱に入った様と、この香りが記憶のどこかに引っかかった。


 とりあえず、ここまで冷蔵庫を運んだ礼ということなので、茶菓を供にお喋りの一つもしたら帰ろうかと思った小熊は、あまり得意ではない世間話とかいう物の取っ掛かりが無いかと部屋を見回した結果、手近にある茶瓶を指差した。

「この熊笹のお茶は美味しいです」

 お客さんにお茶を出す仕事を終え、掘り炬燵に落ち着いた春目が、自慢げな様子で言った。 

「大学から北へ行くと、町田市に入ってすぐのところに、いいお茶や山菜が採れる山があるんです。部長が地主のお婆ちゃんに話を通してくれました」


 小熊には話の内容より、春目が町田と言った時に竹千代の目線が、一瞬こちらの表情を窺い、春目を制するような動きをしたのが気になった。小熊はその町田の山で暮らしている。まさか新入学生の一人に過ぎない自分の事を知っているはずはあるまいと思った。

 もし、ついさっき対面してから今までの間に、顔認識や学生証のデータなどから調べたならば、この部室は節約なんかではなくオカルト詐欺商品の販売部と看板を書き換えたほうがいいだろう。


 どちらにせよ、そろそろここが危険な場所かそうでないかを判断し、適切な行動を取るべきか思った小熊は、春目に話の続きを促す。

「お茶に出来るほど良質な熊笹の群生は珍しいと聞いています。どこで採れたのか興味があります」

 春目は得意げに口を開く。今度は竹千代が明らかにやめろといった感じの視線を向けるが、小熊はそれを封じるべく、春目に顔を寄せ情熱を篭めた視線を向ける。小熊に見つめられた春目は、頬を少し上気させながら、おそらく竹千代が話して欲しくないであろう事をぺらぺらと喋った。


「尾根幹線道路を渡った先におっきいお墓がありますよね? お墓を突っ切って斎場の横に回ると、火葬場の裏にすごくいいとこがあるんです」

 それを聞いた時、先ほどから小熊の脳にまとわりついていた記憶の断片が繋がった。

 湯呑み、饅頭、そして先ほどから気になっていた座布団や菓子盆、これは小熊が葬式の場で見た物だった。

 確かに多くの金と物が動き、縁起の関係か使い古しの物が好まれない現場では、大量の不用品が出るだろう。目の前に居るような世の余り物を浚って生きている人達にとっては宝の山に違いない。


 小熊はもう一つの事に気づいた。この二人と自分は、同じ大学に通っているだけでなく、生活と活動の場まで共通、重複している。春目が熊笹を摘み、不用品を貰っているであろう総合斎場は小熊が住んでいる木造平屋とは目と鼻の先で、風呂場の大窓からは墓場が一望出来る。

 もしかして入浴中に多摩の里山風景を楽しみながら、眼前を通り過ぎる春目の姿を見た事もあったのかもしれないが、この良くいえばナチュラルカラーとも迷彩色とも取れる草木染めのワンピース姿で山野を歩いていても、野性動物か何かと勘違いするだろう。


 この共有、符合は偶然の一致か、それとも別の要素が加わっているのか、そう思った小熊は、先ほどから一言も発する様子の無い竹千代を見た。

 小熊はこの捉えどころの無い女の謎めいた瞳を鋭い目付きで見据える。何か相手を攻める材料があるわけでないが、こういう時はブラフを使ったほうがいい。

 竹千代は観念した様子で苦笑する。これも彼女の装いだろう。小熊が見る限り、この竹千代という女は今まで一度も本音や心中を晒していない。

「どうやら君は私の浅知恵などお見通しのようだね。そう、私は小熊君の事を以前から知っている。そして私は君を我がサークルに招きたいと思っている」


 小熊はもう一つ食べようと思い、饅頭に伸ばした手を引っ込めた。熊笹のお茶も少し残したまま前に押しやる。

「私には金銭的にも時間的にもサークル活動のような遊興を楽しむ余裕はありません。お茶、ごちそうさまでした」

 春目が小熊と竹千代を交互に見て不安そうな表情をする中、竹千代はミステリアスな笑みを崩さなかった。掘り炬燵から出ようとする小熊を止めるでもなく、追従するように上品な仕草で立ち上がった。

「私は、とある信頼に足る人物から、君が理に適わぬ事では動かない人間であると聞いている。どうか帰る前に我がサークルの活動を見ていって欲しい。君に我々と行動を共にする理由を示せるかもしれない」


 それはあやしい商法への勧誘を行う奴がよく使う物言いだと思った小熊は、係わりたくないと思い背を向けて障子を開ける。一礼して部屋を出た小熊が玄関の上がり框に座り込み、ショートブーツを履き直していると、いつのまにか真横に居た竹千代が、引き戸の外を指す。

 小熊は竹千代に促されるようにプレハブ二階から下を見下ろす。大学構内を走ってきた白い軽自動車がタイヤを鳴らして駐まった。ドアが開き、背の高い女が出てくる。

 長い赤毛をかきあげた長身の女性を見た春目が言う。

「あ、ペイジちゃんが帰ってきた」

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