第5話 ホームセンター

 小熊が山梨から東京に引っ越すに当たり、心配事のような物が一つあった。

 スーパーカブの維持や日常生活に要する物を、山梨と同じように入手出来るか否か。

 日々購入する物の多くは、価格も品揃えもネット通販のほうが概ね優れているが、それでもなお、実店舗で直に見て買ったほうがいいものもあるし、小熊とスーパーカブの暮らしに必要な物は、その概ねの外にある事が多い。


 とはいえ日常的に散財する生活はしていない。今まで暮らしの中でよく行っていた店さえあればいいと思っていた。食料品を買うスーパーと、日用品を買うホームセンター。

 どちらも山梨に住んでいた頃は、家からカブで十分少々の近場に店舗があり、少し足を伸ばせばロードサイドの大型店まで行く事も出来る。

 何もかもが狭苦しい東京において、広々とした店に原付を駐め、自由な買い物が出来るのかという小熊の懸念は、まったくの杞憂である事がわかった。

 小熊は自分の住む南大沢北部から私鉄で一駅少々の、唐木田駅近辺にあるショッピングモールに来ていた。


 広大な駐車場と駐輪場のあるモールには、ホームセンターとスーパーマーケット、家具店と家電店の大型店舗、カジュアル服店やゴルフ用品店、レストラン棟まである。 

 それだけでは飽き足らず、広い道路の向かい側には大型家電店がもう一つ建っていて、隣に見えるリサイクルショップも馬鹿でかい。

 小熊が山梨に居た頃によく行っていた、ホームセンターと古書店系リサイクルショップ、中古カー&バイク用品店が向かい合った中央市の商業地区を思い出すが、物量はそれ以上だろう。


 距離は自宅から一km強。丘陵の多い町田市北部でありながら、小熊の家のすぐ近くにある尾根幹線道路を走るだけなので、坂道はほとんど無い。この距離ならカブを出すまでもなく、自転車のほうが気軽に来られるかもしれない。

 自転車の駐輪区画とは分離された、種々雑多なバイクの社交場のような駐輪場にカブを駐めた。盗難防止のワイヤーロックを掛けられるような柱やフェンスは無いが、駐車場には警備員が常駐していて店舗からも目が届くことを確かめた小熊は、カブを降りてまずホームセンターに足を踏み入れた。


 小熊が初めてホームセンターに行ったのがいつだったのかは思い出せない。

 必要性を意識して行ったのは、まだカブに乗るようになる前、母が失踪した直後だった。不意の一人暮らしに要する物々を買いに行った時。

 そこで催されていた官庁の施設閉鎖に伴う不用品放出市でパナソニック・レギュラーの実用自転車を買い、今でも乗っている。


 あの時はホームセンターという物が具体的に何を売っている場所なのかもわからず、高校生女子の自分には場違いな感覚を味わいながら店内を歩いた記憶がある。

 今は初めて行く店舗でも、地元でよく利用していた店と屋号やチェーンの系列は違えど同じホームセンター。案内板を一瞥すれば、必要な物を置いている売り場まで場所まで迷わず行ける。その途中にある色々な売り物を見て楽しむ事も出来るようになった。


 今日の目的は生活用品の購入。しかし電動工具のコーナーで家庭用百v電源で使えるプロクソンの小さな旋盤を触ったり、保安用品コーナーで様々な種類の保護眼鏡を見たり、つい寄り道してしまう。

 思うに初めてホームセンターに行った時の不安感は、周囲の棚に並ぶ商品が何に使う物なのかわからなかったのが理由だったんだろう。小熊はそう思いながら、今の自分には縁の無いペット用品コーナーに立ち寄り、カブの整備やカスタマイズに流用できそうな物を探した。

 カー用品コーナーにも寄ってみた。車やバイクのタイヤは取り扱われていないのに、カブだけは別格といった感じでタイヤとチューブを置いてある事に感心した小熊は、ここに来た用を思い出し、生活用品のコーナーに行った。


 ホワイトボード替わりに冷蔵庫に貼り付けたダンボールに書き出された品々を撮ってきたスマホを見ながら、今朝まだ買って無い事に気づいたカーテンや、山梨の集合住宅から持って来たが、引越しを機に買い換えたいと思ったフライパン、続いて洗剤や歯磨き粉などの消耗品をカゴに入れた。新しい家の日当たりのいい模造大理石のキッチンを思い出し、陽の光を受けて輝きそうなステンレスのタンブラーも買う。


 寝室のベッドやデスクの足が畳を凹ませるという問題については、木材加工コーナーの隣にある端材売り場で、フローリング材の切れ端を幾つか買って下に敷く事にした。

 厨房道具コーナーで今朝必要だと思ったバターケースを探したが、それは見つけられなかった。これはネット通販で探したほうがいいのかと思った。

 概ね必要な物をカゴに入れた後、レジまで行く中途にあった家電コーナーで、小熊は衝動買いをしてしまった。風呂場で使えそうな防水のラジオ。


 今回の引越しで以前住んでいた集合住宅と同じユニットバスながら、大型の浴槽や追い炊き機能、昼は多摩の里山風景、夜は星空が一望出来る窓など、色々とグレードの上がったバスルームで、入浴中に音楽を流したいという理由と必要性はあったが、実際のところカボチャのような緑色の見た目と、豊作ラジオという愛嬌のあるネーミングに惹かれたというのが本音。

 レジで支払いを終えた後で、本当にラジオまで買ってよかったのかと思い少し後悔した。残高にはまだ余裕があるが無尽蔵では無い。


 これからは差し迫って必要の無い売り場をあれこれと回るのは控えようと思った小熊は、園芸コーナーを通って買い物の大袋を片手に店外に出た。駐輪場に見える自分のスーパーカブに向けて歩き出した小熊は、途中で足を止め、そのまま来た道を引き返した。

「家庭菜園って幾らくらいで出来るんだろう」

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