第3話 最初の夜

 ダイニングや寝室に置いたダンボールの中身を開いては並べ、荷解き作業を進めているうちに、春の陽が暮れてきた。

 電気が開通し、配電に異常が無いか確かめるべく、小熊は部屋中の電灯を点ける。

 寝室の灯りは既に備え付けられていて、天井からブラ下がっている紐を引くと蛍光灯が点いた。


 昭和の住宅で見かけるような、紙と木の行灯を模したプラスティックの天井ライトは、くたびれた砂壁や畳と相まって温泉旅館のような雰囲気を醸し出している。

 見栄えは格好いいものではないが、落ち着くことは確かなので、とりあえず気に入った天井ライトが見つかるまでこのまま使おうと思った。

 引越し費用が予想外の安価で済み、バイトの稼ぎや交通事故による相手からの入金で懐は潤っていたが、何でも気に入らないから気軽に買い換えるほど気は大きくなっていない。


 続いてこの家の中でも特にお気に入りの場所になりそうな、小熊がバイクの部屋と名づけた四畳半の部屋には、これも随分レトロなデザインの透明オレンジ色の傘がかかった天井ランプが下がっている。問題なく点灯するが、この灯りは寝室のランプより優先して、もうちょっと格好いい物に換えたいところ。

 ダイニングの灯りは以前住んでいた山梨の集合住宅にあった、ごく普通のシーリングライトで、前住人が取り付けたらしきライトはまだ真新しく、シーリングライトにありがちな虫の死骸も付いていない。

 台所作業をするには充分なくらい明るい照明は。夕食の時間を過ごすには少し眩しすぎるかもしれない。


 玄関灯を点けた。ドアの外側を照らす屋外灯は光センサーで自動的に点灯、消灯する集合住宅と異なり、暗くなったら自分で点けなくてはならない。

 前住人が取り替えたらしきシーリングライトと異なり、玄関灯は蛍光灯の樹脂カバーが黄色く劣化し、ドアを開けて外に出るとやや薄暗い。

 これも何とかほうが望ましい。新品がどれくらいするかわからないが、紫外線劣化した透明樹脂の再生方法は、バイクや車の整備で少し知っている。

 ユニットバスは電灯が点かなかった。玉切れではなく、四角いカバーを外すと、ソケットがあるだけで電球が無い。


 引越し荷物の中に替え電球があったかどうか思い返した小熊は。とりあえず外に出てコンテナの中に入り、作業灯の点灯を確認した後、カブの予備部品箱の中に入っていた替え電球を取り出し、室内に戻って浴室に取り付ける。

 屋外作業用の百ワットクリア球は、擦りガラスのカバーをかけても眩しく、これではあまりリラックスした入浴時間を過ごせない。もっと優しい灯りの電球、工学的観点から言えばワット数が低い擦りガラス球が欲しくなる。


 寝室のベッドやデスクが畳を凹ませる問題の解決などで、何だかんだで買い足さなくてはならない物は細々とある様子。いちいち覚えていられる物でも無いので、荷解きを終えて空っぽになったダンボールを手に取って一面を切り取り、台所に苦労して設置した冷蔵庫の横に貼り付ける。

 寝室のデスク横に置いたダンボールからマジックペンを取り出して、必要な物を書き出した。冷蔵庫の上にペン立て替わりのカップを置いて、黒と赤のマジックペンを放り込んだところで、小熊は空腹を自覚した。

 昼に高校時代の同級生とのツーリングを終えてここに来る前、南大沢駅近くでドーナツを食べて以来、何も口にしていない。


 山梨の集合住宅にあった物をそのまま持って来たので、台所にはレトルト食品やインスタントフードもある。とりあえずガスも使えてお湯は沸かせるので、今夜はこれで済まそうと思い、以前礼子と全部食べられるか勝負をした時に買った、ペヤングやきそばの一番大きなパックを取り出した。結局二人とも完食してしまったので勝負にはならなかったが、そういう馬鹿な事には意外と冷淡な椎が棄権したため、一つ余ってしまった物。


 振り返り、背後に置いたダンボールの中からヤカンを取り出した小熊は、ダイニングスペースを見た。

 山梨の集合住宅に居た時から使っていて、よく礼子や椎と食事を共にしたテーブルと椅子が設置されていたが、置いてある物は同じでも環境が違う。

 広く明るくなったダイニングスペースと、けっこう上等な木が張られたフローリング。ここで食べる最初の夕食がカップやきそばでいいのか。

 小熊が自分自身の目で選び、これから大学在学期間を過ごす住処の第一印象を決める夜。引っ越して初めての夕食というのは、きっと後々の記憶に残る。


 カップやきそばを棚に戻した小熊はバイクの部屋に入り、デニムの上にライディングジャケットを身につけた。ポケットに財布やスマホを入れた後、玄関でヘルメットを被り、革ショートブーツの紐を結ぶ。

 外に出た小熊は、カブのエンジンを始動させ、最初の夕餉にふさわしい物を買うべく夜の道を走り出した。

 数分後、引き返してきた小熊は、少々慌てた様子で家の雨戸を閉め、玄関の鍵をかける。集合住宅と一戸建ての勝手の違いにはまだ慣れない。


 改めて買い物に出た小熊は、カブを五分ほど走らせた先にある南大沢駅前であれこれと食材を探したが、結局のところ自分がつまらないこだわりで無駄な時間を過ごしているんじゃないかと思い始め、目についた半額のパック寿司と炭酸水を買って帰った。


 機能確認のためドアチャイムを鳴らした後、家に帰りラジオを点け、ペリエの炭酸水を供に寿司を食べた小熊は、シャワーを浴びて髪を乾かしたところで、何かと作業量の多い一日の疲れが出たのか、まだ夜も早いのに睡魔に襲われ、六畳間のベッドに倒れこんで間もなく眠りに落ちた。


 広く新しくなった寝室をもう少し味わい、これからこの部屋をどんなふうに作って行くか思いを馳せたかったところだが、それは明日でいいと思った。 

 

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