閑話 そうだ、修学旅行に行こう

その時俺は京都嵐山にあるホテルで、月形の嘆きを聞いていた。


「修学旅行はパスしたいって泉くんが言いだした時は、さすがにないと思ったけど……」


月形が眼鏡を外し、ジャージの袖口でレンズの曇りを取る。


「一緒にサボるのが正解だったんじゃないかって、こっちに来てから思ったよ」


俺たちはお互いに風呂上がり。学校指定のジャージ姿で、髪はまだ濡れていた。

今いる自販機前の廊下は薄暗く、他に人影もない。


朝からバスに揺られ、人でごった返す観光地を巡り……。

それで疲れ切っている月形は、気だるげに壁へ体重を預けていた。

そんなこいつを前に、俺は少し呆れながら言う。


「お前さ、周りにサービスしすぎなんだよ」

「サービス?」

「そうだよ。外国人の道案内はするし、教師のつまんねー話に律儀に付き合ってやるし、それに他のやつらの記念写真にまで収まってやってただろ」

「あれは流れで」

「流れねえ」


思わずため息が出る。

俺は今まで部活や放課後のこいつしか知らなかったが、今日見た月形は絵に描いたような優等生であり、相変わらずの人気者だった。

今こうして2人きりになれたのも、奇跡みたいなもんだ。

さっき風呂上がりの廊下でこいつに声をかけられるまで、こっちから話しかける隙なんかなかったんだから。


「泉くん」


同じ壁に寄りかかると、月形が俺の肩に寄りかかってきた。


「ねえ、これからどっか2人きりになれるとこ行こうよ」

「今2人きりだけど」

「そうじゃなくて……」


困ったように笑われる。

いや、わかるけど。まずいだろ優等生。

今はホテル内でくつろぐ時間だが、外出することは禁じられている。


「泉くんと一緒の修学旅行、僕は楽しみにしてたのにな」


そうなんだ。こいつがそういうから、俺も重い腰を上げて興味もない修学旅行に付き合ったんだ。

それなのに……。


「クラスも班も違うから、全然一緒じゃなかったな」

「自由時間くらい話せると思ったのにね」

「団体行動に、もともと自由なんてないんだよ」

「だね」


月形の両腕が俺の首に回ってきた。


「だから一緒にどこか行こう」


風呂上がりの熱気を映した眼鏡の向こうから、上目遣いに見つめられる。


「そんなこと言ってお前、本気じゃないだろ」

「本気だよ」

「ウソだな。何だかんだ言ってお前は、優等生なんだ」


言い返す俺の声に、妙な感情が乗ってしまった。

俺はこいつに嫉妬してるのか。

1日姿は見えていたのに、そばに来てくれなかった”恋人”に。


「月形……」


見つめてくるこいつの顔を固定するように、頬に両手を添えた。

やわらかな頬がしっとりと手のひらに吸い付く。


「泉くん……」


月形が、ため息とともにまぶたを伏せた。

視線は合わなくなったのに、呼吸はさっきよりはっきりと伝わってくる。

血色のいい唇に目が行った。


(これ、キスする流れだよなあ……っていうか、期待されてる)


首に巻き付いている月形の腕に力がこもって、また距離が近くなった。

見つめていた唇がぼやけて見えなくなる。

風呂上がりの体が、じっとりと汗をかく。

絡み合う吐息が熱かった。

眼鏡にぶつからないよう首を傾け、それから。

唇の先だけを擦り合わせるように、キスをした。

自分からしたはずなのに、濡れた感触にドキリとする。

それから月形の上唇が持ち上がり、内側の粘膜を感じた。


(やばい、気持ちいい)


吐き出される2人分の吐息に、目の前にある眼鏡が曇る。


「泉くんのキス、すごくえっちだなあ」


月形が茶化すように囁いた。


「バカ」


俺はたぶん、控えめなキスしかしていない。


「もっとして」


それには応えてやる。

さっきより深く、内側が触れ合った。

そのうち暗い廊下に、じゅるりと唾液を吸う音が響く。

吐息が乱れる。


「……はあっ」


こんなことしてたら、本当に2人でここから逃亡する羽目になりそうだ。

俺は発火しそうな自分を抑え、ゆっくりと顔を離す。

月形が俺を見て、小さく笑った。


「修学旅行の思い出、できたね」


京都も何も関係ないけれど、まあいい。

今日1日で1番こいつに思い出を刻んだのは、俺だ。

それで今夜は満足するとする。


初めて行った京都の夜は、思いのほか暑かった――。

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