幕間

黒猫と天使


「どういうことですか、天使サリエル」

「ですから今お話したとおりですよ。今年の春先、日本であなた方を襲った悪魔は消滅しました。いえ、と言うよりはと言うべきですね。これは非常に稀有な事例です。そもそも有史以来、悪魔が死神の魂を食べるなどという行為は確認されたためしがありませんでしたから」

「その話、もっと詳しく教えてください」

「残念ながら私も上から通達を受けただけで詳しいことは分かりません。ただ現場に急行した死神の報告によれば、悪魔は彼の魂をもらい受けた直後突如として弾け飛んでしまったそうです。死神の鎌に切られることなく、自ずから花火のように」

「花火のように、って……じゃあ彼の魂はどうなったんですか?」

「無論悪魔とともに消滅しました。いえ、より正確にはという報告でしたが。弾け飛んだ悪魔の魂は、彼が最後に看取った少女の魂と同じ色をしていたそうですよ」

「悪魔の魂が? そんなの見たことも聞いたこともありませんよ」

「ですから浄化されたと言ったのです。あなたも知ってのとおり、悪魔となった魂は生前の行いを問わず色彩が濁り、それを浄化するために自然界へ送られます。しかし彼の魂を喰らった悪魔は消滅の瞬間、ひととしての魂のかたちを取り戻し、居合わせた死神に回収されました。あくまで緊急的な措置でしたが、結果として上は彼らを受け入れることにしたそうです。現世送り前の最終検査で問題がなければ、来世もひととして生を受けることになるでしょう」

「……」

「あなたが今、なにを考えているのか当ててみせましょうか?」

「いえ、結構です」

「悲しむことはありません。彼には薄井楓つぎのしんじんを任せようと思っていましたので、その点は確かに残念ですが、彼は最後にあなたと同じ選択をしたのですから」

「誰がいつ悲しんでるなんて言ったんですか?」

「おや、違いましたか?」

「ご想像にお任せします。で、肝心の僕の処遇はどうなるんです?」

「上からはあなたの希望に添うようにと言われていますよ。前例のない事態で一時はどうなることかと思いましたが、冥府の法を犯したあなたの贖罪はこれにて無事完結です」

「ハレルヤ! じゃあ僕も晴れて自由の身ってことですね? もう二度と傍観主義のいけ好かない上司にあごで使われなくて済むってことですね!」

「ずいぶん嬉しそうですね」

「そりゃそうですよ、だって僕は百年もこの瞬間を待ち侘びてたんですから! まったくどこぞのゴブリンのおかげでずいぶん遠回りをさせられましたけど、僕もやっと……」

「ちなみに私も今回の件を機に〝サリエル〟の役職を辞することにしました」

「へ?」

「そろそろ後進に道を譲る頃合いかと思いましてね。私もまたひとの身からやり直そうと思っています」

「……あの、天使サリエル。それはつまり引責ということですか?」

「引責とは?」

「だって彼を死神に推したのはあなたでしょう。その彼が魂を取り戻すまで百年もかかったあげく、悪魔に魂を売ったとなれば……」

「おや、珍しい。あなたがの心配をするなんて」

「い、いえ、あれはあなたへの当てこすりではなくてですね……」

「ふふ……ではそういうことにしておきましょうか。ですが私の件は心配無用ですよ。ただ彼の姿を見ていたら、もう一度人間として生きてみるのも悪くないと思い至っただけですから」

「……そうですか」

「ああ、そうそう、ついでにもうひとつあなたの耳に入れておきたいことがありましてね」

「なんですか?」

「彼の方は引き続き死神として現世に留まるようですよ」

「〝彼〟?」

「ええ、あなたが百年かけて導いた彼です。なにしろ悪魔が盗ったのは彼の魂のみで、肉体うつわは原型を留めていましたから」

「は?」

「あなたも知ってのとおり、悪魔に対する魂の譲渡は冥府の法にもとります。たとえひとの魂であろうとも、死神の魂であろうともです。ですので彼にも罰が必要ですが、魂が消失してしまった以上、あなたのように使い魔として罪を償うという方法が取れない。ゆえにもう一度死神としての務めを果たせば、特例として罪を許すという上からのお達しです」

「……」

「さて、それではお尋ねしましょうか。──選んでください、ジャック・ザ・リッパー」


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