第三話 女子高生と夕日

*


 学校の屋上に入るのは思いのほか簡単だった。

 最近のインターネットというものは本当に便利だ。

 身の回りでは決して手に入らないであろう品々がクリックひとつで手に入り、あらゆる知識や技術の解説が動画で提供されている。私は何度も練習したピッキングで屋上へ続くドアを開け、悠然と一歩踏み出した。肌寒い秋の風がセーラー服のスカートをさらう。一緒に舞い上がろうとする黒髪を押さえて空を仰いだ。

 ここはどれくらい天国に近いのだろう。そんな夢想にふける私の頭上を、綺麗なV字を描いてかりの群が飛んでいく。彼らの行く手では死にかけの太陽が、刷毛はけで掃いたような薄雲を断末魔のあかで濡らしていた。

 血が滴るような赤い空。なんて美しいのだろう、と私は感嘆のため息をつく。


初雁はつかりの、鳴きこそ渡れ、世の中の、ひとの心のあきければ」


 古今和歌集の中で一番好きな歌を口ずさみながら、私はひとり歩き出した。誰も来ない屋上で忘れ去られたネットフェンスが、寂しげにひしゃげて空を見ている。

 まるで今の私みたい。飛躍した同情心とともに手を伸ばし、かつては鮮やかな緑色をしていたのであろう網目にそっと指をかけた。

 そうして見やったの向こうには、息を飲むような景色が広がっている。

 遠い稜線のくぼみに沈みゆく夕日が、怨嗟えんさのごとく世界を真っ赤に燃やしていた。おかげで赤や黄色に色づいた山々がよりいっそう鮮やかさを増し、まぶしいくらいに輝いている。私は我慢できなくなって、急いでフェンスを乗り越えた。

 ひしゃげたフェンスは重そうにしながらも私の上履きを支えてくれて、ありがとう、とお礼を言いたくなる。やっとの想いで屋上の縁に降り立った。

 秋の風を全身で感じる。清々しい気分だった。

 こんなに心が軽いのは、もしかすると生まれてはじめてのことかもしれない。



 私はいわゆる〝いらない子〟だったそうだ。母が嫁いだ先は伝統というものがひとり歩きして生まれた化け物、いわゆる名家というやつで、普通の会社で普通に父と出会い、普通の結婚をした母にはたいそう居心地の悪いところだった。

 祖父母に乞われて同居を決めたはいいものの、日本昔話に出てくる妖怪みたいな祖母からはいちいちいびられ、親戚が集まる席では必ず家柄の差を笑われる。

 いつの時代の話だと思うかもしれないが世紀をまたぎ、様々な自由がうたわれるようになった現代でも、そういう馬鹿馬鹿しい優越感にすがりつくしかないあわれな生命体が世の中にはまだ生存しているのだった。

 ひとを見る目がなくて、そんな非知的生命体の巣へ嫁いでしまった母の結婚生活が、散々な幕開けで始まり散々な幕引きに終わったことは言うまでもない。

 唯一幸いだったのは、幕間に持たされた時間が短くて済んだことだろうか。おかげで私は物心つく前に一般常識の欠落した父や祖父母とお別れすることができた。

 待望の初孫が女であると知り、失望した祖父母が父に別の婚約者をから、母は慰謝料をもらえるだけもらって離婚することができた。その後、顔も知らない父親がどんな末路を辿たどったのかは知らないし知りたくもない。


 身寄りがなかった母は私を育てるために、誰にも頼らず一生懸命働いた。

 金狂いならぬ家柄狂いの連中に好き放題されて泣き寝入りするのが悔しかったのだろうと思う。腹を痛めて生んだ子には決してみじめな思いをさせまいと、全身全霊の愛情を注ぎつつも厳しく育てた。どこに出しても恥ずかしくない娘にするために幼いうちから英才教育を施し、高価な靴や服を与え将来有望な理想の娘という型に我が子を押し込めようと躍起になった。私もそんな母の愛情に応えたくて、一生懸命理想の娘を演じ続けた──中学に上がるまでは。

 私たち母子おやこは何かがおかしいと気がついたのは思春期に入ってからのことだ。

 あるときことあるごとに「お母さんが」「お母さんは」「お母さんと」と口走る私を見ていた友人が「かえでの世界っていつもお母さんが中心だよね」と理解しがたいものを見る目で私を評した。そう言われるまでそれが人類のごく普遍的な母子のあり方だと信じて疑っていなかった私は、友人たちとの価値観の差に愕然とした。

 彼女らは少なからず自分の母親をうとんじていたし、だからこそ母親にべったりな私のことを奇異の眼差しでもって眺めていた。

 中学生にもなって精神的に自立できていない可哀想な子と思われていたのかも知れない。私はそこではじめて母と自分の関係がどこか歪んでいることを知った。


 思春期の女子にはありがちなことだが、この時期の少女というのは友人同士のグループからはずされることをことさら怖がる習性がある。もちろん私も例にれず、学校で孤立しないために彼女らの価値観に擦り寄った。

 そのために母には精神的訣別を告げ、反抗的な態度を取ることもいとわなくなった。おかげで母は心を病んだ。今まで従順で自分の意思を持たなかったはずのが「自分は物ではなく人間である」と主張し始めたのだから当然だ。

 どこで教育を誤ったのかと悩みに悩んだ母は、やがて知人に紹介された怪しげな宗教にハマった。全智にして全能な超常的存在ならば娘をと信じたのだ。私はそんな母を心底軽蔑し、育ててもらった恩義もかすむほどに嫌悪した。一度だけ母を信仰の世界へ導いた知人から「お母さんには楓ちゃんしかいないの、楓ちゃんがお母さんのすべてなの、楓ちゃんはお母さんの生き甲斐なのよ」と熱心に説かれたが、何故母の人生を満たすために私の人生をドブに捨てなければならないのかと憎悪が募っただけに終わった。

 そしてなにより厄介だったのは、母への憎しみが次第に学友たちへ向かうねたそねみへと姿を変えていったことだ。私は同い年の友人たちがうらやましかった。

 当たり前の家庭で当たり前に育ち、その当たり前を当たり前のようにないがしろにする友人たちが。


 以来私は友人とも距離を置くようになり、完全に孤立した。

 孤立をおそれて彼女らの草履取ぞうりとりとなり、いびつながらも調和を保っていた母との関係を断ち切ったというのに滑稽な話だ。

 そういう経緯があって、高校は私を知る者がいない隣県の私立高校を選んだ。

 けれど私という人間はとことんまで選択を誤らないと気が済まないらしい。

 入学後も自ら孤立する道を選んだ私はやがていじめの対象になった。

 理不尽な暴力や暴言の理由は単純だ。私の言動がいちいち気取っていて、それが周りを見下しているように見えて気に食わないのだという。

 前者については本だけが友人の身として否定しないが、後者については被害妄想もはなはだしい。気取った言動が鼻につくというのなら、私とは極力関わりを持たない方が精神的安寧を得られるだろうに、わざわざ自分から接点を築こうと奮闘する彼女たちは何故この学校に入学できたのだろう?

 まあ、とは言えわざわざ彼女たちの神経を逆撫でするようなことを言って、さらに苛立たせるのも申し訳ない。私が口を開くことで彼女らが不愉快になるのなら黙っていよう。そう思って、ぶたれても蹴られても雑巾を絞ったあとのバケツの水をかけられても、私は無言と無抵抗を貫いた。

 なのにどういうわけだか彼女たちは日増しに激昂げっこうしていく。

 特にいじめグループのリーダーである小梨こなしさんは、もはや私が存在していることさえもユダの裏切りと同等に許せないようだった。


「おまえマジでうぜえんだよ! もう学校に来んな、死ね!」


 およそ女子高生とは思えぬ恫喝どうかつ

 けれども私はそう怒鳴られたとき、ふっと肩の荷が下りたような気がした。


 ああ、私、死んでもいいんだって、そう思えたから。


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