シロタエの木の前で

雪乃 直

第1話 欲する重さ

 『麻衣は女神』よくそんな言葉を耳にする。実際、大学のミスコンも一年の頃から三年連続でグランプリを取っている程の美人。そして、きっと今年もグランプリを取って、彼女は四年連続グランプリの偉業を成し遂げるだろう。


「あー、麻衣ちゃんってほんまに美人!」

「……」

 サークルの飲み会後半は、いつもこうやって麻衣の話になる。そう、私の恋人であるその女神に皆はいつだって興味津々らしい。

「ねぇ、りお」

「なに?」

「麻衣ってさ、二人っきりの時ってどんな感じなの?」

 それは恥じらいなのか、ただお酒に酔っているからなのか分からないけど、自身の頬をこれでもかと言う程に紅く染めた酔っぱらいが、いつもより近い距離感でニヤニヤと問いかけてくる。

「美久、近いから離れて」

「やだー、答えてくれるまで離れてあげなーい」

「はぁ…、別に普段と変わらないよ」

「えー、甘えたりしないの?」

「しない。と言うか麻衣に甘えられたことはないよ」

「嘘…、それって心配にならないの?」

 向かいに座っている奈々も興味あり気に聞いてくる。普段、人の恋愛なんて興味無いくせに不幸な匂いがするとすぐに食いついてくる……。この人も困った性格だよ全く。

「何が?」

「何がって、普通好きな人には甘えるもんでしょ?」

「そうかな?」

「そうだよ、もしかして麻衣って本当は、りおの他に好きな人いたりして?」

「それは無いね」

「おぉ、自信あるんだ?」

「まぁね、愛は痛いほど感じるから大丈夫」

「言うねー」

 美久も愛されたーいなんてソファーに寝ころびながら叫ぶ酔っ払いは、奈々とさゆりに任せて一人先に帰宅することにした。


 大学一年の冬、学園のマドンナだった麻衣に私から告白をして付き合い始めた。正直、こんな美人が私なんかと付き合ってくれるなんて思っていなかったけど、告白した時に「実は、入学式の日にりおに一目惚れして、私もずっと好きだったの」なんて返されてしまい驚いた。それなら、麻衣から告白してくれれば良かったのにと言えば、「振られたらショックで生きていけないと思ったから…」って切ない表情で言う彼女を堪らず力いっぱい抱きしめたのが懐かしい。

 付き合い初めてすぐに麻衣から一緒に住みたいと言われ、私が元々一人暮らしをしていたマンションに麻衣が引っ越してきて、最初の頃は、自分の家に麻衣が居ることが信じられず、麻衣の姿を目にする度にドキドキしていた。


「ただいま」

「おかえり、りお。飲み会どうだった?楽しかった?」

 玄関の扉を開けると笑顔で出迎えてくれる麻衣。いつも必ず玄関で待っていてくれる。昔、帰りが何時になるか分からないし、遅い時間の時は先に寝てて良いからねと伝えたことがある。

「大丈夫、りおがいつ帰ってくるか分かるから」

「なにそれ、麻衣って超能力でもあるの?」

「えー、あるかも! なんか分かるんだよね。もうすぐりおが帰ってきそうって」

 本当に超能力でもあるのか麻衣は必ず玄関で出迎えてくれる。

「もしかして、ずっと玄関で待ってくれてる?」

「そんなことないよ?ちゃんとご飯作ったりお風呂入ったりテレビ見たりしてるよ?」

「そっか、それならいいんだけど……」

これも愛の力だね!と可愛い笑顔で言われてしまえば、そうかもねと笑顔で返してしまう。


「飲み会?」

「うん、楽しかった?」

「うん、飲み会はいつも通りくだらない話ばっかりだったよ。でも、やっぱりそれが安心するし楽しかった」

「……りお?」

「ん?なに?」

 玄関からリビングに移動してソファーに座ると、麻衣は温度の無い表情で私の前に立ち、見下ろしてくる。

「麻衣?」

「……美久の匂いがする」

「えっ?」

「なんでりおから美久の匂いがするの? ねぇ、なんで?」

「なんでって、美久も飲み会に来てたから」

「匂いが付くくらい密着してたの?」

「密着はしてないけど、席は隣だった…」

「隣に座ったくらいでこんなにはっきり匂いは付かないよね? ね?」

「いや、美久の匂いって強いじゃん。ほら、あのバニラの匂い」

「…嫌」

「えっ?」

「相手が美久でも他の女の匂いがするりおなんて嫌」

「…ごめん、すぐシャワー浴びて着替えてくる」

 麻衣は怒ると怖い。だから、こんな事で麻衣の機嫌を損なう訳にはいかない。そうじゃないと大変な事になる…。急いでシャワーを浴びようと立ち上がれば、肩を強く押されソファーに倒れ込む。麻衣はそんな私の上に跨り、冷たい手でそっと頬を撫でた。

「シャワーなんて浴びなくていいよ?」

「えっ、でも」

「私がこの匂いを取ってあげる」

 その微笑みに鳥肌が立つ。

「…麻衣?」

「ごめんね、他の女が近寄らないように最初から私の匂いを付けておけば良かったね」

「何言って…っ」

 不意に首筋に触れられ体がビクッと反応してしまい、それに合わせて鼓動も早くなる。

「りおは私のもの…」

 麻衣の声に、麻衣の言葉にどきっとしてしまう。

「麻衣…離れて…」

「どうして?私のこと嫌い?」

「違う…」

「好き、大好き」

 麻衣が首元に口を当てながら話すせいで唇や歯が当たりその度に鼓動が痛いくらい早くなる。

「っ…麻衣、待って…」

「嫌、まだ足りない……」

「麻衣っ…」

「皆にりおは私のものって分かるようにしておかなきゃね」

 そう小さな息と共に放たれた言葉の意味を瞬時に理解するにはもう脳内の酸素は足りなかった。そして、首元から口を離し、こちらに向けられた眼差しはこの世の全てを魅了してしまうのではないかと思う程に美しく儚く、艶めいていた。あぁ、もういい。この瞳を独り占めできるなら、もうなんだっていい。このまま麻衣の心に沈んでしまいたい――


 腕の痺れで目が覚める。いつの間に寝てしまったんだろう…。ぼやけた目で時間を確認すれば、とっくに日付けも変わりもう少しで朝になる。右腕の痺れの原因は、隣で眠る彼女の重みのせいだろう。整った容姿に可愛い声、気取らない性格で誰にでも優しい麻衣。皆は、彼女のことを女神だと言う。

 でも、皆は知らない。麻衣の独占欲も嫉妬深さも何も知らない。

連絡はすぐに返さないといけない。すぐに返信ができない時は、事前にその連絡と理由の説明。バイト以外の日の門限は夜七時。そのせいで飲み会はいつも途中帰宅。携帯の暗証番号はお互い同じもの。男女問わず、麻衣以外の人と二人で会うのは禁止。どんな時でもお揃いのネックレスは外してはいけない。

 世間では、これを束縛と言うのだろうか。もしそうだとしても私は嫌だとは思わない。麻衣は、誰かが居るとき、必ず完璧な彼女でいてくれる。そして、自分に色目を使ってくる相手には一ミリの期待も与えぬように「何も期待とかしないでくださいね」と笑顔で言い放つ。私はその瞬間を横目で見るのが好きだ。本当は奈々の事を性格が悪いと言えない程、自分の性格の悪さも自覚している。

 それでも、麻衣が誰かに言い寄られた時、私が誰かに言い寄られた時、彼女の衝動を全て受け止めてあげないといけない。そうじゃないと麻衣が壊れてしまうから…。

 私が誰かに告白されるなんて事は滅多にないけど、麻衣に関しては違う。彼女が受ける告白の数はとても多く、この一ヵ月で何人から告白されたか思い出して数えるだけでもため息が出る。

 ただ告白されるだけなら「ごめんなさい」や「付き合っている人がいるから」と断ってしまえばそれで終わる。でも、麻衣はだめなんだ。麻衣は、私からの愛以外受け入れるどころか、好意を向けられることすら耐えられないと泣いてしまう。私以外の人から告白された後は決まって「私が好きなのは、りおなのに…」「私に触れて良いのは、りおだけなのに…」「……嫌だ、気持ち悪い」って小さく震えて泣き出してしまう。

 最初は、そんな彼女の様子に戸惑ったけど、麻衣が私だけのものでいてくれるなら、私も麻衣だけのものでいたい。ずっと貴女に好きでいてもらえるように私はずっと貴女だけを好きでいるから。


 麻衣の寝顔を見ながら思う、本当に綺麗な顔だと。どうしてもその綺麗な顔に触れたくて、閉じられた瞳に私を映して欲しくて、麻衣の頬に手を伸ばし触れる。

起きてよ、麻衣。

「んっ…」

「麻衣」

 少し反応してくれたけど、まだ起きてはくれない。起きて欲しいと思いながら親指でそっと唇に触れれば柔らかくて気持ちがいい。あぁ、指だけじゃ抑えられない…。今度は、自分の唇をそっと押し当てる。うん、やっぱり柔らかい。ちゅっと軽く吸ってみた時、麻衣の口元がニヤついた。

「起きてるでしょ?」

「ふふっ、うん」

 閉じられていた綺麗な瞳が露になり、やっと私を映してくれた。寝込みを襲うなんて可愛いなーなんて呂律が回っていない口で言われても可愛すぎて困る。寝起きまで女神な君に優しく口付けて昨夜の仕返しを試みる。

「昨日、沢山された。次は私の番でしょ?」

「だーめ」

「…なんで?」

「昨日付けた痕が消えちゃってるから、また付けなきゃ」

「……」

「りおが私のものって言う証が消えるなんて耐えられない…」

あぁ…、麻衣の眼の色が変わった。いいよ、吸うなり噛むなり好きにしてくれ。

「りお、愛してる」


 愛の力と言う名のGPSも体中にできた痕も全部麻衣からの愛情だから受け止めるよ。麻衣からの愛が重ければ重いほど、麻衣を欲してしまうことを麻衣は知らないだろう。


彼女には一度も甘えられたことが無い。

でも、愛は痛いほど感じているから大丈夫。

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