"家族"

「それではこちらにサインをお願いします」


 レティシャ、という名の奴隷の少女は硬い表情でこちらを眺めたまま、その表情は石のように動かなかった。


 対照的に商人は媚びるような笑顔を崩さなかった。私が書類にサインをすると商人はレティシャと奥の部屋に再び入っていき、私はしばらくその部屋で待たされた。


 振り返るとレザボアが立っていた。レザボアはまるで新しい玩具を見つけた様に笑っていた。


「…クライド、処女の血は旨いだろうな?」


 そう、レザボアは私が吸血鬼ヴァンパイアであることを知っている。


「…そうそう、処女は吸血姫ドラキュリーナにもなれるそうだ、なぁ?」


 私が無言でいると、レザボアは顔をずいと近づけて囁くように言ってきた。


「お前が大枚をはたいてでも欲しがったのは…美食グルメか?それとも眷属どうるいか?それとも……恋人?はたまた家族か?」


 レザボアは獣の様に喉を鳴らし、愉快そうに口の端を吊り上げた。


 そんなレザボアに向けて、私は自嘲気味に言った。


「……それが困ったことに私ですらよくわからないのですよ」


 レザボアは一呼吸おいて、笑い声をくつくつと上げてから去り際にこう言った。


「……クライド、お前は面白い……色々と、混ざっている・・・・・・からな……」


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


 レザボアと別れたあと、私は緊張した面持ちのレティシャと帰途を共にしていた。


 この娘を引き取ったものの私は内心ではどうしたものかと考えていた。


 レザボアが言ったような捕食することや眷属にするという選択肢は私にはなかった。


 好奇心の対象としての興味が私にとってこの娘の価値であるならば、その価値を最大化することが最も合理的な判断といえるだろう。傍らに置き観察する。そのためにこの娘と関係性を構築する。そうすることが娘の価値を保存する最良の手段と思えた。


 当面の方策としては、家族ごっこ。それに尽きるだろう。


 そして家族であるならば、奴隷と主人という関係性は健全とは言えない。


「私は君が成人して独り立ちする時に奴隷という肩書から解放しようと思います」


 私が唐突にそういうとレティシャは、目を丸くした。


 それからしばらくまた無言のまま二人で歩いていると今度はレティシャが声を掛けてきた。


「あの…旦那様は…なぜ私を買おうと思われたのですか?」


「………あなたは一匹の蛾を助けました」


「…………」


 レティシャからは返答がなかった。


 二人とも黙ったまま夜道を歩いていると、しばらくして私の診療所兼自宅が見えてきた。


 レティシャは解せない表情のまま黙っていた。私はそんなレティシャに笑みを浮かべて言った。


「ティッシ、疲れたでしょう。今日はゆっくりと休んでください。寝室や洗面所、浴室、色々と好きに使ってください。貴女の寝室へ案内します」


 レティシャはまだ何か問いたげだったが、私は話を打ち切った。


 その翌朝もそのまた翌朝もレティシャの表情は私に対し強張ったままだった。


 それもそうだ、彼女にとって私への信頼感など薄氷同然かそれ以下だろう。好奇心などというものに任せて彼女を買ったが、それこそ私自身にとってですら得体の知れない行動に違いないのだ。


 それからのことはレティシャに新しい衣服や家具を買い与えたり、レティシャに家事を覚えてもらったりと取るに足らない日常の話だ。


 だが、取るに足らないからこその日常であり、その積み重ねこそが人間同士の信頼になるのだと、私も時間が経ってからようやく気が付いたものだ。


 そうして、三か月が過ぎた頃、朝食の時レティシャがぽつりと呟いた。


「私は……もっともっと怖い想像をしていました」


 そう言ったレティシャの頬には一筋の涙が流れていた。


「先生が買ってくださって私は救われました……本当にありがとうございます」


 私はレティシャの言葉に笑顔で応えた。


 レティシャとの回想はここで終わりにしよう。


 概ねあの奴隷市場での夜から今に至るまで、存外に私はうまく出来ていると思う。


 この、“家族ごっこ”を。

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