第21話 ラブコメは始まらない

 僕は行き詰まっていた。

 どだい無理な話だったのだ。餅は餅屋に、という語があるように、どんな物事にも適した人物というものがある。そういったものに素人が無闇に手を出しては、得てして痛い目を見る羽目になるのだ。

 

 何が言いたいかと言うと、要するに、僕は小説が書けない。

 

 第一回文芸部文集作成会議で、謎の流れから小説を書くことになった僕だが、あれから早一週間が過ぎても僕の筆は遅々として進まない。時の流れとは残酷なものだ、と嘆く間にも時間は流れ、しかしもちろん嘆くだけでは筆は進まない。

 

 翌日には第二回の文集作成会議を控えた今も、僕は八割がた空白の原稿用紙と睨めっこをするばかりだ。実に無益である。たかが原稿用紙数枚分の文章すら生み出せない己のすかすかの頭を呪うばかりだ。ぅぁあああ。


「兄貴ー、暇だからなんか漫画貸してー――って、うわっ。何してんの?」


「……部屋に入る時はノックをしなさい」

 

 折しも中身のない頭を盛大にかきむしっているところに能天気なあくびをかましながら妹の明夢めいむが部屋に入ってきた。醜態を晒した直後ではいまいち格好がつかないが、いかな家族といえど守るべきプライバシーがあることについては注意をしておく。


「はいはーい。で、何してたの? 作文?」

 

 おざなりな返事で濁しつつさりげなく話題をすり替える妹の高等技術に、僕は彼女の将来が不安になった。こうしてどんどん口ばかりが達者になっていったら、ゆくゆくはあの山吹菫やまぶきすみれのような可愛げのない人間になってしまうかもしれない。家でもあんなのを相手にするなんてお兄ちゃんは嫌だぞ。


「えーなになにー……『昔むかしあるところに、おじいさんとおばあさんが』」


「おい、勝手に読むんじゃない!」

 

 妹の行く末に思いを馳せていたら苦心して書いた冒頭部分を朗読されていた。ホントにデリカシーというものに欠けるな、こいつは。


「おかーさーん! 兄貴がなんか昔話書いてるんだけどー!」


「いちいち報告するな!」

 

 デリカシーを母の胎内に置き忘れてきた小学生を放逐し、僕は再び原稿用紙と睨み合う。もちろん睨むだけでは筆は進まないのであったが。


   *


「――というわけで、文芸部文集作成会議の第二回目なのですが、紺青先輩は欠席です」


「どういうわけだ。場面転換を利用して説明を端折るんじゃない」


「いえ、何やら用事ができてしまったとかで。紺青先輩の担当分の進捗はわたしが伺っているので問題はありません」


「あ、そう……というか君たち、この前からなんだか仲いいね? 連絡先とかいつの間に交換したの」


「なんですか、先輩。唯一の友達である紺青先輩をわたしに取られたみたいで寂しいのですか? すみません、先輩と違ってわたしが誰とでもすぐに仲良くなれてしまうばかりに」

 

 夏休み中二回目の文芸部の活動日。

 相変わらずクーラーのない部室は殺人的な暑さだが、辟易している僕とは対照的に山吹はどことなく楽しそうだ。何に楽しみを見出しているのか、と考えればもちろん僕を言葉のナイフでいたぶることにだろう。あまり健全な趣味とは言えない。


「いや、別にいいんだけどね……あと唯一ではないからな?」


「先輩のような根暗な人間にそう何人も友達がいるものですか」


「なんでそんな決めつけるの?」


「昔からネッシーやらイエティやら、『いる』という情報があるばかりで実際にその存在が認められているわけではないものっているじゃないですか。つまりそういうことです」


「僕の友達をUMAと同列に語るのはやめよう?」


「そんなことより先輩、小説は進んでいますか?」

 

 戯れのような小競り合いから一転、山吹は今日の本題である文集の原稿の進捗について尋ねてきた。どきり、と小心な僕の心臓は縮こまる。


「……まぁ、進んではいる」

 

 原稿用紙一枚半くらいだけど。

 

 日本語の隙を巧妙に突いた返答をするも、山吹は言外のそれを見咎めたように目をスッと細める。


「わたしの言い方が悪かったですね。どのくらい進んでいるか、見せてもらって良いですか?」


「……はい」

 

言い逃れたところで原稿の提示を求められてはどうしようもなかった。

 

 のろのろと鞄からファイルに挟んだ原稿用紙を取り出して待ち受けている山吹に渡す。鷹揚に頷き読み始める山吹。絵面的に山吹が上司感あるけど、実際は僕の方が部長で偉いんですけどね?


「……なんですか、これ」

 

 読みだして僅か三秒、顔を上げた山吹は険しい顔で原稿用紙をパタパタと叩く。だから上司が部下を叱る雰囲気やめて?


「何って……そりゃあ小説だけど」


「……気のせいでしょうか、ものすごく既視感のある書き出しなのですが」


「そりゃ、僕は小説を書くのなんて初めてだし、既存の作品を参考にしないと書けないよ」


「いや、参考というか丸パクリですよね? 『昔むかしあるところに、おじいさんとおばあさんが』って完全に昔話ですよね?」

 

 ……なんだろう、心なしか山吹の視線が冷ややかだ。クーラーの代わりに視線で涼しさを提供――というわけではないか。

 

 しかし僕とてふざけて書いたわけではない。たとえ書き出しが剽窃ひょうせつだと言われようが、こちらにだって言い分はある。


「いやいや、確かに冒頭は昔話っぽく見えるかもしれないけど、その実現代を舞台とした作品なんだよ?」

 

 疑わしげな山吹に先を読むよう促す。


「いや思いっきり『昔』って言っているではないですか……まぁ、先輩がそこまで言うなら読みますけれど――『昔むかしあるところに、おじいさんとおばあさんがおりました。二人は同じ老人介護施設のデイサービスに通ううちに知り合ったのです。隣の席でレクリエーションをするうちに、二人はお互いのことを意識するようになりました』――いや、おじいさんとおばあさんって夫婦ではなかったのですね……」


「夫婦じゃラブコメが始まらないだろう」


「あ、これラブコメなんですね……」


「そう。軽度の認知症によって噛み合わない二人の会話が売りのすれ違い系老人介護施設ラブコメだ」


「ボケているじゃないですか! 何をのんきにラブコメなんてしているのですか」


「いや、家庭内での孤立から症状が進んでしまった認知症が、老人介護施設での温かな触れ合いによって徐々に改善していくというヒューマンドラマ的要素もあるんだよ」


「設定が意外に重い! 対象年齢低そうな書き出しのくせに現代社会の闇をちらつかせるのはやめてください」


「なんだ君は、さっきからケチばかりつけて。編集気取りか!」


「だって、先輩が真面目に書いてこないのが悪いのですよ?」

 

 ぷくり、と頬を膨らませる山吹。


「いや、真面目に書かなかったわけじゃなくて……むしろ真面目に考えていたらまったく筆が進まなくて、今日の会議のために無理やり捻り出したらこうなったというか……期待に応えられなくてごめん」

 

 言いながらも情けなさで胸が詰まった。書評は書けない。小説も書けない。こんなないない尽くしな僕に文芸部員たる資格が果たしてあるのだろうか。いや、ない。


「先輩」

 

 思考の泥沼にずぶずぶと沈んでいこうとする僕を掬い上げるように、山吹は穏やかな声音で僕を呼ぶ。


「わたし、先輩が小説を書けなくっても怒ったりなんてしません。もともとわたしが言い出したことなのですから、先輩一人で抱え込む必要なんてないのですよ?」


「山吹……っ」

 

 いつになく優しげで慈愛に満ちた眼差しに、僕はうっかり涙しそうになった。書けもしない小説を書かなければ、という強迫観念にも似た思いはそれほどまでに僕の精神を磨耗させていたのだ。

 

 けれど、僕の目の前にいるのは山吹菫。優しげな言葉に惑わされそうになった僕をその認識が引き留める。

 

 果たして、


「もとより先輩がちゃんとした小説を書けるだなんて思っていませんよ? 初稿なんて叩き台になれば良いかなくらいの気持ちだったので、全然気にしないでください。期待に応えられないとか、そんなことはないのですよ。端から大した期待もしていないのですから」


「山吹……」

 

 笑顔で言葉のナイフを振り回してくるな、こいつ。バッサバッサと斬り伏せられた僕の自尊心は虫の息だよ……。


「あのね――」


「なので先輩、いつでも相談してくださいね?」

 

 なんて、急に真摯な目をして言うものだから、抗議しようと開きかけた口は途中で止まってしまう。

 

 山吹はというと、言ってから照れたのか原稿用紙で顔の半分を隠してそっぽを向く。けれど赤くなった耳までは隠しきれていなくて。

 

 僕も少し意固地になっていたのかもしれない。任された以上は一人でやり遂げなければならない、そんなふうに。


「……そうだね、僕一人じゃ似非昔話になるのが関の山だ。一からまた書き直そうと思うんだけど、山吹、一緒に考えてもらってもいいかな?」


「――っ、はい!」

 

 原稿用紙の向こうから、晴れやかな笑顔が覗いた。

 

 その笑顔を眩しいと思ってしまったのは、山吹の肩越しに視界を埋める夏空のせいだろう。

 

 一瞬だけ高鳴った胸の鼓動を夏のせいにして、僕は山吹と一緒に小説のアイデアについて語り合った。


   *


 後日、没になった『すれ違い系老人介護施設ラブコメ』の原稿を紺青に見せたところ馬鹿ウケだった時には、少々惜しいことをしたかな、という気がしないでもなかったが。

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