第9話 会わない分には長すぎる

 休日とは何か?

 読んで字の如く休む日である。

 休むとは何か?

 少し解釈の幅はありそうなものだが、風邪をひいた時に「安静にして休んでいなさい」などと言われるように、家でゆったりと体を落ち着けるような意味合いが強いだろう。

 

 となると、本来的な意味での休日というものは、元気に外へと遊びに出かけるというようなものではなく、なるだけ自宅から出ずにのんびり過ごすことを指すのではないか。


 休み明けに一定数現れる「遊びすぎたー」などと言って疲労の色を顔に浮かべている輩はすなわち、休日に休むことをせず新たな疲労を作り、あまつさえそれを平日に持ち込む愚か者である。それでは本末転倒ではないか。


「……あの、先輩。自分がゴールデンウィークになんの予定もないからといって、余人の休日にケチをつけるのはやめてください。みっともないというか哀れです」

 

 後輩の分際で先輩である僕に不敬極まりない口を利くこの少女、名を山吹菫やまぶきすみれという。彼女もまた例に漏れず休日に休むことを良しとしない愚か者の一人である。


「まったく、ゴールデンウィークの予定を訊いただけでこんなに虚しい持論を聞かされるとは思いませんでした。先輩、そんな屁理屈をこねる労力があるのならそれを友達を作る方向に向けたらいかがです?」


「友達くらいいる。今も言ったように僕は休日は家でゆっくりしたいんだよ」

 

 山吹は呆れたふうに肩を竦めた。「処置なし」とでも言いたげだ。なんとでも思うがいい。僕には僕の良しとする休日観がある。決して世間一般の高校生が送るキラキラとした休日に屈折した感情を抱いてこんな持論を披露したわけではない。……本当ですよ?


「そういう君はどうなの、山吹? 僕の休日の予定をこき下ろすのだから、ご大層な予定でもあるんだろう?」

 

 水を向けると山吹は手許の文庫本に栞を挟んでから顔を上げる。


「別に大層なものでもありませんが……普通に友達と遊びに行ったりするくらいですかね」

 

 友達と、という部分をやけに強調してくる。自分だって中学生の頃は全然友達なんていなかったくせに。人とはこうも変わってしまうものか、としんみりしたセンチメンタルを覚える。


「ところで、今時の女子高生ってどういうところへ行くの?」


「セクハラですか?」


「えぇっ、なんでっ」

 

 唐突な糾弾に僕は震えた。


「いえ、口振りにそこはかとなく嫌らしさを感じたので、つい」


「とんでもない冤罪だ……単純にちょっとした好奇心だよ」


「女子高生に好奇の目を向けている……?」


「言い方っ」


 わざとらしく椅子を引いて遠ざかる山吹を非難の眼差しでめつけてやると、僕をからかって満足したのかひょい、といつも通りのうすい笑みを浮かべた。


「別に、特別なこともないと思いますよ。普通に服を見に行ったり、ご飯を食べに行ったりするだけです」


「……誰かにとっての普通は、他の誰かにとっての特別足り得る」


「先輩の特別のハードル低すぎませんか?」


「あんまり高いと跳べないからね」


「いえ、その低いハードルですら跳べていないですからね?」


「今は助走をつけているところなんだ」


「口の減らない先輩です」


「それはお互い様だ」

 

 チャンバラのような軽口の叩き合いの末、どちらからともなく読書へと戻っていく。

 

 紙の擦れる音と、微かな息遣い。程良い静寂は耳に快く、僕はするりと物語へと没入する。

 

 どれくらい経っただろうか。最後のページを繰り、ほぅと小さなため息を漏らしながら伸びをすると、こちらを見上げる山吹と目が合った。


「どうしたの、山吹」

 

 問うと、山吹は少したじろいだように目を伏せる。いたずらを見咎められたように、ほんのりとバツが悪そうな色が睫毛の下に隠れた。逃げ道を探すようにその視線が動き、つ、と僕の手許に置かれた文庫本に引っかかるようにして止まる。


「あ」


「ん?」


「えっと、先輩、その本読み終わっていますか?」


「え、うん」

 

 また唐突だな。


「じゃあ、それ借りても良いですか? ゴールデンウィーク中に読む本をどうしようかと思っていたのですよ」


「いいけど。でも僕と違って連休中も忙しい山吹さんは本を読む暇なんてないのでは?」

 

 文庫本を手渡しながらちょっと意地悪く訊いてみる。


「何も毎日約束をしているわけではありませんから。少しくらい先輩が言うところの『本来的な休日』の過ごし方を試してあげてもいいかな、と思いまして」

 

 涼しい顔で本を受け取りながら山吹はそう嘯いた。さいで。

 

 僕から受け取った本を山吹が丁寧な手つきでタオルに包んで鞄にしまっていると頭上からチャイムの音が降ってくる。下校時刻だ。


「それじゃあ山吹、良いゴールデンウィークを。本は休み明けに返してくれればいいから」

 

 順当にいけば数日間は山吹と顔を合わせることはない。だからこその「休み明けでいい」、という言葉だったのだが、意外にも彼女は首を横に振った。


「いえ、連休の真ん中あたりは友達との約束もないので、それまでに読んでお返しします」


「え、いいよ別に。僕はもう読み終わっているし、ゆっくりで全然構わないから」

 

 山吹は不遜な奴だが、本に関してはきっちりしている。僕を粗雑に扱うことはあっても、僕の貸した本をそのように扱われたことは一度もない。僕もその点は山吹を信用しているので、無理に急いで返さなくたっていいのだが。

 

 けれど山吹は頑として譲らなかった。


「あの、返す時に感想とか伝えたいですし、読んですぐの方が新鮮な感想をお届けできると思うのですよっ」

 

 などと、最後の方はよくわからない理屈で押し通される。鮮魚じゃないんだから日が経っていようが構わないのだが……。まぁ山吹がそこまで言うのだから固辞するのも面倒だ。

 

 帰り際に「それでは、お返しする前日には連絡しますね」と言う山吹を見送ってからはたと気づく。

 

 あぁ、ということはゴールデンウィーク中にも山吹と会うことになるのか。

 

 休日は家でゆっくりと過ごすに越したことはない。これまでずっとそう思ってきたし、これからもその考えが大きく変わることはないだろう。

 

 けれどまぁ、一応山吹とは毎日顔を突き合わせている仲だ。それが一度も会わないとなると、ゴールデンウィークはちと長い。

 

 長い休みの一日くらい、『特別』な休日があってもいいだろう。長らく無視してきたハードルだが、ちゃんと跳べるだろうか。

 

 まぁ大丈夫か。助走だけは嫌というほどしてきたのだから。

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