二章

第34話 死の糸


 女は一人で川辺に立っていた。

 緩やかな川の流れ、日は既に沈み月が水面に映っている。


 女は灰色の薄汚れた着物を纏い、夜を歩く。

 奇妙なことに、女は帯刀していた。


 女は何かに気づいたように歩みを止めた。

 川を見るとまだ年若い女が川に半身をつけた形で倒れていた。

 顔は既に青白くなっており遠目でも既に事切れているのがわかった。

 

 だがその姿を見ても女は眉一つ動かさなかった。

 この辺りでは珍しくもない。


 女がその姿をただ見つめていると、後ろから足音がした。

 振り向くと、血濡れた腹当てを纏う男たちが刀の剣先をこちらに向けていた。


 どうやら女を殺したのはこの男たちのようだった。


「今日は最高だなぁ、2回も女にありつけた」

「へっへっへ、しかもさっきのより良さそうっすねぇ」


 男達は帯刀している女を見て、ニヤニヤと口を歪めていた。


「へっへ、おとなしくしてたら痛くはしねぇからよ。女だてらに刀なんか持ってないでこっちにこい」

「じゃねぇとそこの女みてぇに命は――あ」


 そういった男の言葉が途中で止まった。


「ん、どうした?」


 後ろにいた男たちが言葉を止めた男を不審がって覗き込んだ。

 男の首に一本の赤い線が浮かびあがっていた。


 そして男の首が落ちた。


「あぁぁぁ!! テメェ……え」


 それに気づいた別の男が刀を振りかぶろうとした瞬間、首に違和感を覚えた。


「え、あ? え」


 その男の首にも赤い線が既に浮かんでいた。

 気づけば男達の首全てに赤い死の糸が結びついていた。


 女は顔色一つ変えない。

 そうしていると男たちの亡骸から何かが抜けた。

 

 小さな小さな光。

 それが女の身体に吸い込まれる。


「……やはりただの人ではこの程度ですか」

 

 女は刀についていた汚れをボロ布で拭き取る。

 そしてその場を離れようとしたとき動きを止めた。


 微かな声が聞こえた。


 川沿いの岩の陰。そこに赤子がいた。

 泥や土で汚れながらも、まだ息をしている。

 

 おそらく、そこで事切れている女の子供なのだろう。

 男たちに襲われる前に岩の陰に赤子を隠したのだ。

 

 放っておけばそう遠くないうちにこの赤子はその生を終えるだろう。

 母親と同じように。


「……」


 女は赤子に背を向け立ち去ろうとした。

 だが、一歩踏み出したところで動きが止まる。


 それはほんの気まぐれだった。

 赤子の場所まで戻り、無造作に赤子を持ち上げる。


「……暖かい」


 そこで夢が途切れた。








 

 影静が目を覚ますと、隣には恋詩の姿があった。

 まだ外は暗い、6時を回ってはいないだろう。

 

 ゆっくりと身体を起こす。

 影静の姿は、着物姿ではなくTシャツ一枚のラフな格好だった。


「記憶が戻りかけている……やはりあの時に」


 思い出すのは先日、あの腕のない剣士を倒したときのこと。

 男の命を終わらせたとき、影静の身に”力”が流れ込んだ。


 だが、それはいつもと同じではなかった。

 すぐに馴染んだのだ。まるで長い時を経て、元あった場所に帰ってきたように。

 

 先程まで見ていた夢。あれは昔の光景だ。

 この恋詩たちの世界ではなく、もう一つの世界での昔の出来事。


「あの男が持っていた力の一部は、私の」


 確証はない。

 だが、感覚がそうだと伝えていた。


「そろそろ起きましょうか」


 影静はそう言ってベッドから降りた。










 靴紐をしっかりと結んだ後、脇に置いていたリュックを背負った。

 玄関脇に掛けられている鏡を見ても自分の姿に特におかしいところはない。

 

「恋詩、弁当は持ちましたか?」

「持った、じゃあ行ってくるよ」

「待って」


 影静は、母親が幼い子供にするように俺の頬に触れた。

 俺はそれを気恥ずかしさを感じながらも受け入れた。


「いってらっしゃい」

「じゃ、行ってきます」


 そうして俺は家を出た。

「なんかヤベェな俺、子供かよ......」


 ここ最近、影静に甘えすぎていると感じていた。

 まるで、本当の母親のように彼女に甘えている。


「まっ、いっか」


 俺は眠気を覚ますように自分の頬を両手で叩き学校に向かった。





 教室にはもう半分程度、生徒がいた。

 スマホを弄る者、友達と喋る者、何か課題をやっている者、様々だ。入ってきた俺に何人かが視線を向けたもののすぐに興味を失ったかのように視線を戻した。


 と、奥の方にいた柊子と一ノ瀬が俺に気づく。


「おーっす」

「おはよ」と柊子。

「おはよう恋詩君」と一ノ瀬。


 2人はいつもと変わらなそうだった。

 俺は自分の席にリュックを置き、2人の近くにある席に座った。


「課題やった?」

「現文の?」

「そう」

「まぁ、一応。でも適当だわ。何書いていいかわかんねぇあれ」

「ほんとそれ! 課題出すならちゃんと明確に指示しなさいよ、ほんとキレそう」

「柊子ちゃん、もうキレてる」


 柊子は御立腹のようだった。とは言っても本気で怒ってるわけではなく、どこにでもあるような学生の愚痴に過ぎない。なのですぐに話題が移る。


「そういえば結衣に借りた小説すっごい面白かったよ」

「あ、もう読んだんだ? あれ面白いよね、恋詩くんも借りる?」

「あー、前言ってた恋愛小説?」

「うん、あれは男の子が読んでも楽しめると思う」

「確かにそう、結構万人向けって感じだったかも」

「でも、俺本読むの苦手だしなぁ」

「別に返すのはいつでもいいからさ、読んでみてよ、本当に面白いから」

「マジ? そんな面白い? 読んでみるわ」


 そうして他愛もない話をしているとすぐに朝のHRの時間になっていた。

 俺は自分の席に戻り、1時間目の準備をした。


「……」


 学校では特に変わったことはなかった。

 俺はなぜか授業を受けながら、ここ数ヶ月にあった出来事を思い出していた。

 

 彼女に振られ、異世界に迷い込み妖刀――影静と出会った。

 そして影静の力を取り戻すためにこちらの世界とあちらの世界で化け物と戦う日々。

 

 今思えばよく生きていたものだろう。この数ヶ月で何度”死”を意識したかわからない。とくに先日の暴糞虫の事件では、きっと死ぬのだろうという思いで、あの腕のない男と戦った。


 生きている。 

 そんな当たり前のことがただ嬉しい。


 影静がいて、柊子達がいて、普通に生活を送れている。

 そのことを思えば、あの朱里に振られて広まった噂のことや、クラスメイトに避けられていることも些細なことに思える。


「佐藤ー、黄昏れてないでこの問題とけー」

「あっ、了解です~」


 そうして学校での時間が過ぎていった。

 



 放課後。とくに用事もなかったので俺はすぐ帰り道についた。

 車が行き交う大通り。いつもと変わらない町並み。

 ふと空を見上げると、鱗雲流れる空を一羽の鳥が飛んでいた。


 名前のわからない鳥だ。

 と、俺が鳥に意識を向けた瞬間。


 世界が止まった。

 

「……」


 始まった。遥か空を飛ぶ名も知らない鳥も、道路を行き交う車も、風で舞う落ち葉すら静止していた。だが、実際に止まっているわけじゃない。


 そう見えるだけだ。よく見てみるとほんの少しづつ動いているのがわかる。空を舞う鳥の羽が鮮明に俺の瞳に映る。視線を動かす。歩道を歩く老人、その後ろにあるコンビニの窓に止まっている蛾、どこまでも”見る”ことのできる世界。


 俺の意識だけが世界の中で動いていた。

 と、”見る”ことを止めた瞬間、世界が一瞬で元の速さを取り戻した。

 途端に響く車の駆動音や、風の音。いままで聞いていたはずなのに、とても煩く思える。


「……」


 先日、あの腕のない剣士と戦ってから、こんな現象が何度も起こるようになっていた。集中すると世界が止まったかのように見える。

以前から、世界がスローモーションのように見えていたことはあったが、それよりも断然にはっきりと知覚できる。


「さっさと帰ろ……」


 俺は気を取り直して、影静の待つ自宅に向かった。

 

 

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