第10話 「相合い傘」

 

(眠れねえ)

 

 俺はうっすらと目を開けた。

 暗闇に目が慣れて、天井の小さなシミすら見える。

 ベッドに入ったのが12時なので、今はもう何時だろうか。

 

「……」


 眠れてない理由は単純である。

 ちらりと横を見る。

 

 そこには、影静がいた。

 少しだけ浴衣を着崩し、瞳を閉じている。


 影静が人間の姿になって2日目の夜。

 俺たちは一緒のベッドで寝ていた。

 昨日は、初めての修行疲れで気にするまもなく寝てしまったが、2日目にもなると少しだけ落ち着き、俺はめちゃくちゃ影静のことを意識していた。


 想像してほしい、まじで。

 美女。同じベッド。健全な男子高校生。

 寝れるわけがねえのである。


(アカン……これはアカン……)


 寝る前の一時を思い出す。

 俺は影静に言った。「一緒に寝るのはまずいのではないか」と。

 影静は言った。「今までも一緒に寝ていたではありませんか?」と。

 そう俺たちは、これまでも一緒に寝ていた。

 もう一ヶ月以上も同じベッドで。


(でも、刀と人間の姿は違うって……)


 ただし、影静は刀の姿である。

 影静は俺がそんなことを言ったことに不思議そうであった。

 

「……」


 俺は、影静の横顔を眺める。

 美人だ。まじで、人生で知り合った中で、一番美人だと思う。

 すっと整った鼻筋、きめ細かい肌。

 

 俺は、眠れていないことも忘れ、ただ影静を見ていた。


「……」


 あの日、朱里に振られて、自棄になって訪れた山で、狭間に迷い込んだ。そして世界を飛び越え、彼女と出会った。


 もしあのとき、彼女と出会わなかったら?

 俺は、間違いなくあの化物に殺されていた。


 俺が生きていられるのは、彼女が命を救ってくれたからだ。

 そんな人に俺は邪念を向けるのか?

 そう思うと、急に気持ちが落ち着いた。


 瞳を閉じる。

 そして、俺の意識は深い闇に沈んでいった。









 「恋詩……起きてください、学校遅れますよ」


 俺は夢うつつの中、揺らされていた。

 どこかから影静の声が聞こえる。

 つーか、太陽光あったけえ。

 あっ、もう朝か。


 まるでナマケモノのようにゆっくりと身体を持ち上げる。

 目を開けたさきには、もう見慣れた人間の姿の影静がいた。

 影静は、いつもの浴衣の前からエプロンを羽織っており髪を後ろで結んでいた。


「ほら、立って顔洗ってきなさい」


 影静は、そう言ってキッチンに向かっていく。

 その後姿は、様になっておりまるで何年も主婦をやっていたかのようだった。


「……もう、完全に任せっきりじゃねえか」


 俺は自分に突っ込んだ。

 もう、完全に家事は任せっきりである。

 別にやらなくていいって、俺やるからと言っても影静は「弟子の身体を管理するのも師匠の役目ですから」と言い家事を辞めようとはしなかった。

 こっちとしてはありがたいけど、影静に悪いような罪悪感のようなものが俺の中にはあった。


「……」

 

 ぼーと部屋を見渡す。


「にしても……」


 自分の部屋じゃないみたいだ。

 1DKの、以前は洗濯物なんかが置きっぱなしになってたりして散らかっていた部屋。

 それが今では、綺麗にものが整頓されており、同じ部屋だと言うのに清潔感を与えた。


 そろそろ、真面目に起きるか。


「よっこらせ」


 おじさんくさい掛け声をしながら俺は立ち上がる。

 そしてのそのそした足取りで洗面所に向かった。


 



 その後、顔を洗って、歯を磨いて部屋の中央のテーブルに座る。

 

 俺はテーブルの上に置いてある皿を見る。

 今日の朝ごはんは、焼き肉だった。

 朝から。しかもご飯山盛りである。


「なんで朝から焼き肉?」

「お肉があったので、それにご飯を食べることも修行のうちですよ恋詩」


 小さなテーブルに二人分の食事を乗せて、向き合うような形でご飯を食べる。

 影静はエプロンを脱ぎ、いつもの浴衣姿だ。

 俺は、それを見て少し残念に思った。あのエプロン姿好きだったのに。


「「いただきます」」


 一口食べる。

 やべえ、美味え。


 朝から幸せすぎる……。


「……どうですか?」


 影静は、少しだけ不安そうに聞いてくる。


「大変美味しゅうございます」

「フフ、それはよかった」


 箸が進む。

 本当に美味しい。

 最初、山盛りにされたご飯を見て、朝だし少し食べれるか不安だったが、これならいくらでも食べれそうだ。


「恋詩、そんなに急いで食べないで、減るものではありませんよ」

「うっ、はい」


 お母さんかな?俺は影静の姿を見て思った。

 なんというか、ものすごい様になっている。

 

 うっ、なんか今じーんと来た。

 母は、幼い頃に死んでいて、父親とも、ここ十年ほど家族らしいことはしていないので、なんとうか本当に久しぶりに家族っぽい愛情を感じた。


「恋詩、なぜ泣いているんです?」


 俺は気づけば泣いていた。 


「ぐっ、おいし、美味しすぎて」

「もう……」


 そして泣きながら朝ごはんを食べるという人生で初めての経験をし、俺は学校に向かう準備をした。

 




「今日って確か体育なかったよな……」


 俺はスマホで、時間割をもう一度確認する。

 どうやら、やはり今日は体育ないので、体操着は持っていく必要ないようだ。

 俺が忘れ物をするとすれば、体操着とシューズだけである。

 ほかの教科書とかは完全に置き勉である。

 

 いやだって、先生たちの言うように、毎日教科書を持っていったりするとまじで登下校のカバンの重さがエゲツない。

 これだけはうちの学校で直してほしいとこである。


 そして、俺は立ち上がって、ドアを開けた。


「行ってきます」

「恋詩、待ってください」

「?」

「これ」


 影静が手渡してきたのは傘だった。

 

「今日はきっと雨が降ります」

「マジ?」


 外を少し覗き、空を見ると快晴である。

 それに天気予報でも、それほど高い降水確率ではなかった。

 これで、雨降るのだろうかと、俺は少し半信半疑だった。

 だが、別に拒否する理由もないので、素直に受け取る。


「今度こそいってらっしゃい」

「おう、行ってきます」


 俺は、学校に向かった。




 

 

 



 



 4:55 p.m.

 ――高校、一階玄関フロア。


「どうやってお家帰ろう……」


 林道柊子は、外を見て途方に暮れていた。

 外は大雨。どうやら、風も強そうだ。


 靴箱の前では、自身と同じように、帰れない生徒が複数存在していた。柊子は、いつもはカバンに入れているのに今日に限って、傘を入れていない自分に腹が立った。


「朝、あんなに晴れてたのに」

 

 そう、今日の朝の天気は、快晴で雨が降る気配など微塵もなかった。

 天気予報でもそう言っていたはずなのに、現実には、土砂降りと言っていいほどの大雨だ。


 柊子の頭の中に、親に迎えに来てもらうという選択肢が浮かんだが、父は今日遅くなると行っていたし、看護師の母に来てもらうのも大変かと、すぐに考えを否定した。


 もう少し様子を見てみるかと、カバンからスマホを取り出そうとしたとき、後ろから声が聞こえた。


「よっ」


 振り向くと、少し髪が赤みがかった少年が手を上げていた。

 柊子の動悸は、少しだけ激しくなった。


 佐藤恋詩。柊子のクラスメイトであり、中学時代からの旧友である。

 彼の特徴を言葉で表現すれば、明るいけど、バカで、変態。そんな身も蓋もない表現になるだろう。顔の形は悪くはないが、どこかアホそうに見える。そんな少年だ。


 でもと、柊子は心の中で付け加えた。

 恋詩の表情はたまに陰を帯びる。

 瞳の中に寂しさを秘めるとでも言えば良いのであろうか。

 それが、柊子にはすごく辛そうに思えた。


 だから、だろうか彼のことが気になり初めたのは。

 自分でもあまりよくわからないが、彼のことが好きだとはっきり言葉で表現できるくらいには、恋詩のことが好きだった。


 もちろん、そんなこと目の前の少年には言っていないし、もうひとり仲の良い友だちである一ノ瀬結衣にも言っていない。


「あんた、山っちに呼び出されたんじゃないの?」

「まあ、ちょっとな」


 山っちとは、柊子たちのクラスの担任である男性教師のあだ名だった。ちなみに、柊子たちからあだ名で呼ばれていることからもわかるようにそれなりに慕われ、生徒人気の高い先生である。ちなみに動物で言えば、たぬきに似ている。

 

「柊子何してんの?」

「見てわかるでしょ、傘持ってないから立ち往生してんの」

「ふーん」


 ふーんってなんだふーんてと柊子は心の中で突っ込んだ。


「一緒に帰るか?」

「え?」


 意外な言葉に柊子は恋詩の顔を見た。

 恋詩は、カバンから傘を取り出し、広げていた。


「一緒にって?」

「相合い傘」


 わざとらしくちょっとふざけた表情で恋詩は言った。

 

「いいの?」

「まあ、そっちが気にしないなら」


 一瞬、恋詩が言ってることがわからなかったが、周りの生徒を見て「あぁ、そうか」と納得した。

 恋詩は、二人で同じ傘で帰路につけば、周りからそういう目で見られるぞと言っているのだ。


「別に気にしないわよ、そのくらい」


 そう言って、柊子は恋詩の傘の中に入った。

 恥ずかしさを隠すように恋詩に顔を見せないようにしながら。



 







 学校の玄関から外に出ると、吹き荒れる雨風の影響か、思っていたよりも肌寒かった。大雨。まるで、傘の外と中で世界が切り離されているような感覚に柊子は陥った。音も、視界も、なにもかも遮断されている。


「結構、さみいな」

「そうね」


 隣を平然と歩く恋詩を見上げる。

 柊子と恋詩の身長差は、ちょうど頭1つ分ほどだった。

 同じ傘を共有しているため、自然と密着する形になり、どこからどう見てもカップルに見えるんだろうなと柊子は思った。


(温かい)


 傘の横から入る雨に、少しだけ濡れた。

 靴に至っては、もう完全に水に浸かっている。

 でも、それ故か、恋詩の体温を強く感じた。


 歩く。遅くもなく速くもなく。

 小道に入り静かになっていく帰り道とは反対に柊子は胸を高鳴らせていった。


 ただ、少しだけ癪なのは、こうして密着しているにも関わらず恋詩が平然としていることだった。もう少し、顔を赤らめるとかそういう反応を期待していた。


 そんなときだった。


「あっ」


 柊子は足を滑らせた。

 ちょうど小さな坂になっており、雨で滑りやすくなっていた。

 

 だけど、転けることはなかった。


「大丈夫か?」

「……うん」


 恋詩が、咄嗟に反対側にある脇に手を入れて、身体を支えてくれていた。

 ありがとうと礼を述べて、体勢を立て直す。


「どうする?少しどっかで雨宿りしてく?」

「ううん、大丈夫」


 恋詩は、柊子を心配しているようだった。

 大丈夫と首を振りまた歩き出す。


「ねえ」

「ん?」

「服掴んで良い?ほら…また転んだら危ないし」

「そうだな」


 少しだけ恋詩の頬は赤くなっていた。

 柊子は、顔を見られないよう俯いて袖を掴んだ。


(やばい……やばい……)


 私、今人生で一番ドキドキしてると、柊子は思った。

 

(今、絶対顔も赤くなってる……)


 もう、雨の冷たさが心地よかった。
















 コンビニの自動ドアが開く。

 そこから、出たのは長い黒髪を、サイドに結んだ少女だった。

 少女は、コンビニの袋を持ちながら反対側の手で傘を広げる。

 

 空を見上げた。

 まだ、雨は止んでいないようだった。


 少女が歩くだけで、通りがかった人が振返った。

 少女は美しく、男なら振り返られずにはいられないだろう。

 それほどの美貌を持つ少女だった。


「……」


 少女は、道路を挟んで反対側の歩道を歩く1組の男女を見た。

 2人は、相合い傘で仲睦まじい様子だった。


 別に、それだけであれば珍しくもない光景であり、少女も気に留めなかったであろう。


「恋詩……?」

 

 その男が、一ヶ月前に別れた少女の元恋人でなければ。


「……っ」

 

 少女、御堂朱里は、その二人の後姿を見て傘を強く握りしめていた。

 





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