6-3

 結局その日は終始デモナのペースにのせられてしまい、セティと一緒に散々振り回されるだけで終わった。

 求人募集を探すこともなければ、港町にある店を見て回ることもなく、ほとんど海岸で遊ぶだけだった。


 ノーマンはそのことを不本意に思うが、同時にそれほど気にしていなかった。


 もちろん少女たちの独り立ちを急ぐ気持ちはあるが、それよりも重要で気がかりなことを見つけてしまったからだ。


 翌日の早朝、まだ少女たちが目覚めるよりも早くノーマンはこっそりと部屋を出た。


 目的地は昨日セティとデモナの就職先を探すために立ち寄った港町だ。

 ノーマンのおぼろげな記憶が確かならば、あそこから自分の生家がある村を目指すことができるはずだ。


 それは同時に、母と再会できるということでもある。


 本当なら自分が自由になってから会おうと思っていた。


 しかし居場所がわかるかもしれない、という状況で我慢できるほどノーマンは辛抱強くはない。



「どこかへお出かけですか?」



 こっそりと外へ出ようとしたところ、玄関で背後から声をかけられた。



「なんとなくバレる気はしていたよ」



 振り返るとアリエルがいる。

 彼女に対して隠し事はできそうもなかった。



「だったら私が言いたいこともおわかりですよね」


「無断での外出は控えてほしいってことだろう」


「一人での外出もです」


「でもこれはごく個人的な用事だ。誰かをつれていくような類のものじゃない」


「それでしたら私がご同行いたしましょう。主の外出に侍女がついていくのは不自然ではありません」


「屋敷で一番忙しい人間の時間を私用で奪うのは気が引ける」


「なにを今さら。それにノーマン様がよそで粗相をしていないかと思うと、不安で仕事も手に付きません」


「どうせぼくは世間知らずだよ」



 押し問答を続けているのも時間の無駄だ。


 ノーマンがなにを言おうとアリエルはついてくるつもりなのだろう。

 それは心強い部分もある。



「わかった。じゃあ一緒に来てくれ」


「最初から素直にそうおっしゃってください」


「ぼくもそうしておくべきだったと思うよ」



 移動手段は馬を使うことにした。

 昨日と同じように乗り合い馬車でも良かったのだが、生家の場所がはっきりとわかっていない以上、自由に使える足があったほうがいい。


 二人は馬小屋で大きめの馬を一頭借りるとそれに跨がって都を離れた。


 馬に二人で乗るとき、手綱を持つのは後方に乗った人間だ。

 そのためノーマンは、前にのせたアリエルを後ろから抱きかかえる形で馬を進ませることになる。

 アリエルからはふわりと花のような甘い香りがした。



「できれば小型の馬車を借り切っていただきたいところでした。この馬では遠くから弓で狙われたとき対処がしづらくて困ります」


「暗殺者に狙われる覚えはない。それに、できれば馬車では行きたくない場所なんだ。嫌なことを思い出す」



 ノーマンが母と暮らす村を離れたとき、大きな馬車にのせられたことを覚えている。

 そのときのことはできるだけ再現したくない。



「そうですか」



 アリエルはノーマンの感傷を責めなかった。


 二人乗りなので、さほど速度を出さずに進む。

 道に人の姿は少なく、静かで落ち着いた旅路となっていた。


 ノーマンとアリエルはそれまで沈黙を共有していたが、そこからぽつりぽつりと言葉を交わし始める。



「いつの間にか大きくなられましたね。こうしてノーマン様を背もたれにしてみて、初めて気づきました」


「どういう感想なんだ、それ」


「そういえば身長も抜かれてしまいましたね」


「それはとっくに抜いてる。変に年寄りじみたことを言うんじゃない。そう年も変わらないだろう」


「三つ違います」


「たったの三年だろ」


「それでも私のほうが年上です。しかし不思議なものですね。お城にいた頃はこんな冗談を言えるとは思っていませんでした。王子様にこんなことを言ったら不敬罪で首をはねられてしまいます」


「城にいた頃からアリエルに敬ってもらった記憶はないけどな」



 成人女性ばかりの侍女の中に、ある日自分とそう年の変わらない侍女がやってきた。

 最初はたどたどしかった身の回りの世話もあっという間に上達し、一年と経たずに指導係を必要としなくなった。


 それがアリエルとの出会いだ。



「ノーマン様の嫌味は今でも覚えてます」


「ぼくがそんなにネチネチしたことを言ったかな」


「私が仕事を初めてからちょうど一年が経ったとき、時計をくださったじゃないですか」



 アリエルが自分の胸元に触れる。

 彼女がいつも首から提げている時計はかつてノーマンが贈ったものだった。



「あれは嫌味じゃない。むしろ普段の働きに対する褒賞みたいなものだよ」


「そうだったんですか? てっきり遠まわしに、私が時間を守れていないと非難しているものかと思っていました」


「それは受け取り方に問題がある」


「とはいえ、時間に正確になることができたのはノーマン様が時計と反骨精神をくださったおかげですね。感謝しております」


「反骨精神はあげた覚えがない」



 こんな風に話していると忘れてしまうがアリエルは隠密だ。

 今も服の下には時計以外に暗器を隠しているし、その気になれば一瞬でノーマンを殺すこともできる。

 あるいはそういう目的で送り込まれたはずだ。


 それがどういうわけか、ノーマンに革命の計画を明かし、協力を求めた。


 いい機会なので、そのあたりの疑問についても尋ねてみることにした。



「そういえば、どうしてぼくに革命の計画を話したんだ? ああしてぼくに打ち明けなくてもお前なら城の警備情報を知るのは難しくなかっただろう。むしろ、ぼくがお前の素性を他の連中に知らせるリスクのほうが高い」


「いいえ、私では警備を穏便に引かせることは難しかったでしょう。どうしても方法が手荒くなってしまいます。犠牲を少なくするためにはノーマン様の力が必要でした」



 にこやかに打ち明けているが、冗談ではない可能性が高い。

 アリエルはこう見えて手が出やすいようだ。先日の市場でも迷いなくセオドアを殺そうとしていた。



「我ながらノーマン様に協力を求めたのは良い判断だったと自負しています。お嬢様への珍しい手土産にもなりました」


「ぼくは珍獣かなにかか」


「ある意味ではそうですね」


「そもそもアリエルはどうして隠密に?」


「今日はずいぶんと質問が多いですね。私のことがそんなに気になりますか」


「普段は訊きづらいことだからな。それにこんな機会でもないと、お前がゆっくりしていることもないだろう。だから嫌じゃないなら教えてくれ」


「そうですね……たしかに、こんな穏やかな日は久しぶりです。つい口が軽くなってもおかしくはないかもしれません。でも、それほど大した理由はありませんよ」



 アリエルはノーマンに強くもたれかかると、つぶやくように語り始める。



「生まれたのは地図にも載っていないような小さな村でした。両親は薬師をしていて、母が採集と調合を、父がその薬を他の町に売ることで生活していました。近所にはそういう人が大勢いて、互いに薬草の情報交換などをしていた記憶があります」


「薬師の村みたいなものか。アリエルはどんな子どもだったんだ?」


「今とそんなに変わりませんよ。活発で友達の多い、可愛らしい女の子でした」


「いや、かなり印象が違うぞ。活発でも、友達が多いとも思えない」


「可愛らしいという部分は否定されないんですね」



 冗談でも聞いたようにアリエルは笑みをこぼす。



「幸せな暮らしでした。そんなとき、村に正義の味方がやってきたんですよ」


「ん?」



 身の上話を聞いていたと思ったら急におとぎ話のようになってきた。



「正義の味方は悪い魔女を倒すために来たと言いました。国家転覆をもくろみ、何人もの王子を毒殺したとのことです。もちろん身に覚えがない嫌疑でした。しかし反論は聞き入れてもらえず、あっという間に薬師たちは斬られ、貯蓄していた薬ごと村を燃えました」


「それって……」



 ノーマンの脳裏によぎったのは、十数年前におこなわれたという反乱分子の粛清についてだった。

 立て続けに起こった王位継承者の死を、他者に責任転嫁した王の凶行だ。


 各地で王の命を受けた騎士によって粛清がおこなわれた。

 その中には冤罪も多数含まれていたと聞く。



「そのさいに私はひどい火傷を負いましたが、幸運にも生き延びてしまいました。そして近くの別荘に来ていた珍しいモノが大好きなご令嬢に拾われたんです。以降はお嬢様に恩返しをと考えているうちに、こうして秘密と魅力があふれる侍女となったわけですね」


「拾われたのはどうやらぼくと同じ相手のようだな」


「はい。お互い、変わった方に助けられたものです」



 たしかにオベロンは純粋だ。


 彼女にとっての人助けは善意によるものではなく、好奇心に忠実に従った結果なのだろう。

 その先に目指している〝自由〟という考え方も同じだ。

 国内への啓蒙を考えているわけではなく、ただオベロンがそうしたいから目指しているだけなんだろう。


 そして目的を果たすためには相応の策謀を巡らせることをいとわない。


 その純粋さはノーマンに恐ろしさを感じさせる。


 しかしそんな相手だからこそ、ノーマンとアリエルの命をこの上なく気軽に拾ってくれた。

 そのことは純粋に感謝すべきだと思う。



「なら、アリエル。お前が城に潜入したのは、復讐だったのか?」



 アリエルの家族を奪ったのは王、ひいては王族だ。

 ノーマンが恨まれていても不思議ではない。



「私に個人的な感情はありません。ノーマン様の近くで情報を引き出し伝えるのが、私に与えられた仕事だったというだけです。他者の望みに応じて求められたことをなす。そんな侍女の鑑のような女性になりました」



 そんなことがあるのだろうか、とノーマンは疑問を感じる。

 ひたすら自分の感情に振り回されている自分には信じがたい境地だ。


 だがそのことを羨ましいとはあまり思わない。



「感情を出すのもそんなに悪いことじゃないだろう。たとえばアリエルが今なにを思っているのかとか、ぼくは知りたい」


「そうですか。では特別にお教えしましょう」



 アリエルはノーマンの胸に頭頂部を押し当て、深い藍色の瞳で彼を見上げて言った。



「馬に長時間乗っているとすごくお尻が痛くなるんだなぁ、と思っていました」


「さっきまでの真面目な雰囲気が台無しだ」



 ノーマンがため息と共に言うと、アリエルは楽しげに笑った。

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