一計③

「……そろそろ追加の料理を頼むか」


 最後の一切れ——クアトロフォルマッジ四種のチーズピザを口内に収め、ソルディオがメニューを手にする。


「リベル殿は何にするんだ?」


 訊ねると、リベルは一瞬テーブルに並んだ空き皿を見やり、うんざりとした口調で「いらん」と答えた。


「えっ……チーズ数切れしか食べてないだろ?」

「もう十分だ。けいの食事を見ているだけで腹が膨れる」

「……そうか」


 二人が席に着いてから約二時間。

 ソルディオは既に店のメニューを二周はしていた。

 一皿の量が然程さほど多くないとはいえ、一周もできないのが普通である。

 それを目の前で、次々と皿を空けていく様を見せつけられた結果、リベルの顔から表情が抜け落ちていた。


「卿はまだ食べる気なのか?」

「うっ……」


 どこか冷たい目で見られたソルディオは言葉を詰まらせる。

 正直に言えば、あと二周は余裕で入りそうなところだが、自重した方が良いだろうか?


「まあ、良い。食事を楽しんでいるところ悪いが、卿にはこの店と料理の評価を、レポートにまとめて出してもらうぞ」

「……な」


 完全に寝耳に水である。


「何を驚いている。下見という名目なんだ。出すべきものがあるに決まっているだろう?」

「言われてみれば、その通り……なの、だが……」

「だが何だ? メニューを制覇した卿ほどの適任はいまい」

「いや、それはそうなんだが……」


 言われてみれば当然の要求だが、どうせなら初めから言って欲しかった。

 そのつもりで食べていなかったソルディオは、自分が今まで何を食べたか確認するため、再度メニューに視線を落とす。


「…………」


 なるほど。どれも食べたのは確かだが、味を聞かれるとまったく思い出せない。

 ソルディオにとって食事とは、味を楽しむものではなく、空腹感を和らげるために量を詰め込むものでしかなかった。

 そして何より、


「オレは学がないから……書き物はちょっと……」


 ソルディオはレポートや作文といった、文章を書く系の仕事が苦手だった。


「二十三もの言語を操る卿に学がないとは笑わせる」

「話すのと書くのは別だろ……」

「書き方が分からないと言うなら私が教えよう。ちょうど卿も、私の教えを請いたいと言ったばかりだしな?」


 ここまで無表情で捲し立てていたリベルが、意地の悪い笑みを浮かべた。

 ソルディオもまさか先程自分で発した言葉を突かれるとは思わず、絶句する。


「それと、卿は確か……私に頼って欲しいとも言っていたな?」


 —— 『オレなんて学がないからな……リベル殿に教えを請いたいくらいだ』

 ——『リベル殿には遠く及ばないが、もう少し我ら教師陣に頼って欲しい』


 どれも弱気な態度を見せたリベルを気遣って、かけた言葉である。

 それがまさか……


「まさかあれらの言葉が嘘だったとは、言うまいな?」


 こうなるとは。


「……たばかったな?」


 恨みを込めてそう言うと、リベルは「ふん」と鼻を鳴らして言う。


「だから言っただろう。下の者に甘く接しては付け上がらせるだけだとな」

「ぐぅ……」


 あの時ソルディオは「気にしない」と答えてしまっている手前、文句を言うことも出来ずに歯噛みする。


「前々から、卿が授業や試験で作文を避けていたことには気がついていた。だが、正しい文法や単語を学ぶのにライティングは欠かせないと私は考えている。卿が苦手なのは勝手だが、学生から書くチャンスを奪うべきではない。これを機に作文を学んではどうだ」

「その言い方はずるいぞ、リベル殿……」


 学生のためと言われてしまえば、ソルディオも強く反対できない。

 自分の好き嫌いで、学生達に迷惑をかけるのは本意ではない。しかしそれでも「やる」と即答できる程、レポートに対する苦手意識は軽くなかった。


 そうして唸るソルディオを見て、リベルがさらに言葉を重ねる。


「まあ作文の問題については、卿がやらぬと言うのであれば、私が出題し私が添削をするつもりだ。だが……私の仕事が増えてしまうな?」

「その言い方はずるいぞ……」


 どうやらリベルはソルディオの弱みをとことん突こうとしているようだ。

 ソルディオの中で、レポートを書きたくない気持ちと、学生やリベルを思いやる気持ちで天秤が激し揺れ動く。


「別に断ってくれても構わないのだぞ? ソルディオ・ルーシア」


 唐突にかけられた許しの言葉に、ソルディオが驚いて顔を上げる。

 追い詰められ過ぎていつの間にか俯いていたソルディオだが、心底愉快そうに笑うリベルと目が合って、このままでは地獄に叩き落とされる事を秒で悟った。


「ただその場合、ここでの会計も卿の自腹になってしまうがな」

「待ってくれ、それだけは……!」


 無情にも告げられた言葉に、ソルディオは恥も外聞もなく立ち上がる。

 初めに経費で会計を落としてくれると言われたからこそ、こんな値の張る店でメニューを二周もしたのだ。

 それが自腹となると……


 ソルディオは伝票の末尾を確認し、すぐに伏せて見なかったことにした。


「何を慌てる必要がある。卿とて稼ぎは決して少なくないだろう?」

「……オレの給料の百二十パーセントは食費だ」


 つまり大赤字である。

 今は昔の貯金を崩しながらなんとか生活をしている状況なのに、余計な出費はできない。


「なら、レポートの件は頼めるな?」

「……ああ」


 Yes以外の選択肢など、最早ソルディオには残されていなかった。


「一体いつから貴殿に乗せられていたんだ……」


 あっという間に追い詰められ、手も足も出なかったソルディオが悲痛な声で訊ねる。

 自分が優勢と思い攻めていたら、チェックされていたキングの気分だ。


「さて、どうだろうな? 追加の食事を味わいながら考えるが良い。これでも卿は語学の教師であろう?」


 ……なるほど。

 つまり自分を卑下してみせたあの弱気な態度も、敬語を使う使わないの問答も、全ては今この瞬間ソルディオに頷かせるためにリベルが案じた『一計』だったと考えるのが自然だろうか。

 完敗としか言いようの無い状況に、


「ソルディオ・ルーシアは、沈痛な面持ちになった……」

「そのセリフは、その様な顔ができてから言いたまえ」


 どうやら普段からサボり気味なソルディオの表情筋は、こんな時でも仕事をしなかったようだ。



 ………………

 …………

 ……



「ソルディオ・ルーシア……何故呼び出したか分かっているな?」

「……レポートなら出したが?」


 例の食事会から数日後、ソルディオはリベルから呼び出しをくらっていた。

 学生のライティングについては、中間試験で早速手紙を書くという形で問題を出すことにし、食事のレポートも提出済み。

 なので、呼び出される理由に心当たりはないなとソルディオは首を傾げる。


「チーズ料理どれもうまかった。また行きたいです。誰がこんな小学生にも劣る感想文を、提出しろと言った。舐めてんのか?」


 心なしか温度が下がった様に感じる室内に、地を這う様なリベルの声が響いた。

 まさに怒り心頭である。


 そんなピリピリとした雰囲気を纏うリベルに、ソルディオは少しでも和ませようと思ってジョークを飛ばした。


「……人間は不味いから舐めないぞ」

Hal den Maul黙れ! 卿のくだらんジョークなど求めていない」


 まあ和むどころか、余計に神経を逆撫でして終わった訳だが。


「文が書けないというのはまだいい。言いたいことは多々あるが分かっていた事だ。だが、何故私が送ったフォーマットに従って作成しない? 物事にはテンプレートというものが存在する。慣れぬ内はそれに従って進めろと、事前に伝えたはずだ。

 それから、店の売りであるチーズの品揃え、質、味。それらを踏まえ、少なくとも三品についてまとめろとも言ったはずだ。卿が書く内容が分からないなどと言うから私が細かく指定してやったのに、何故指示したことすら書かない?」


 まさか大人になってまで、これ程長々と説教されるとは思わなかった。

 リベルの凄い剣幕けんまくに気圧され、ソルディオは「……あ」だの「ゔっ……」だのと口籠る。


「言いたい事があるならハッキリと言いたまえ」

「……ない」

「なに?」

「オレにはどれも美味かった。味の違いが分からないんだ……」


 長い沈黙が降りる。


「……冒涜だ」


 この瞬間。ブチっという、血管が切れる音が聞こえたのはきっとソルディオの気のせいでは無いだろう。


「それは食への冒涜だ!」

「そ、そこまで……」

「家へ来い」

「……は」

「貴様にチーズの味を教えてやるっ!」


 それはソルディオがリベルと出会ってから、今までで一番大きな声だった、とのちにソルディオは語った。


——————————————————


〜おまけ〜


それは、中間試験が終わってから数日たったある日のことだったにゃ。


「……これで今日の授業を終いにする。起立、礼」

「ありがとうございました」


授業終わりにクラスから立ち去ろうとするソルディオ先生を、ニャアが呼び止めた。


「あっ、ソルディオ先生が行っちゃうにゃ。先生~待ってくださいにゃ!」

「どうした……マオ」

「リベルんに、授業が終わったら来いって伝言頼まれてたにゃ!」

「!? オレはいなかったと伝えてくれ……」

「えっ、それだと誰がニャア達に授業してたことににゃるんです?」

「誰でも良い……! とにかく、オレはいなかったということにしてくれ」


「ほう……? では、私の呼び出しを無視すると言うのだな。ソルディオ・ルーシア」

「リベル、先生……」

「えっ!? リベルんにゃんで!?」

「様を付けたまえよ。マオ・リリベル」

「ぶぅー」

「冗談じゃ無い……もうチーズは嫌だッ!」

「あ、逃げた!」

「……追え、マオ・リリベル。あの阿呆を捕まえろ!」

「う、うええぇぇぇ!?!?!?」



「ぜぇぜぇぜぇ……」


リベル様に命じられたまま、

ニャアはソルディオ先生の後を追った。

暫く鬼ごっこをし、にゃんとか三階の特別教室まで追い詰めた時……


「ご苦労、マオ・リリベル。そして、貴様は観念したまえ、ソルディオ・ルーシア」

「……観念などするものか。チーズの熟成時に聞かせた音楽がクラシックかロックかなど、味で分かるわけないだろ!?」


言うや否や、ソルディオ先生は教室の窓ガラスを打ち破り、そのまま外へと飛び出した。


「えっ……えぇええぇえええ!?!?」


突然の暴挙に、慌てて下を確認すれば完璧な着地を決めたソルディオ先生が元気に走り去る姿が……


それから暫くの間。

リベル先生から逃げ回るソルディオ先生が、良く目撃されたとか。


「校内の窓ガラスを全て強化ガラスに替えるか……」


リベル様の気苦労はまだまだ絶えにゃいのであった。

ちゃんちゃん。

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