第17話 攻防(1)

翌日。

夕方。

テルミヌス店内。

昨夜の報告がてらバーンも臣人も飲みに来ていた。

リリスが二人の前に同じカクテルを差し出した。

エメラルド色のオリーブが映える透き通るようなカクテル。

「お疲れさまでしたぁ~」

「おっ、いきなりマティーニでお出迎えとは。リリーも気が利くなぁ。」

そう言いながら臣人はグラスを持った。

「………」

バーンはグラスを持たずそんな臣人の様子を見守っていた。

「やっぱりぃ、仕事のあとはこれでしょう~?」

二人をねぎらうようにリリスは気を遣っていた。

「後始末の方はぁ私の方で手配しましたので~、たぶん大丈夫だと思いますよぉ~。きっとぉあのお稲荷さんもぉ新しい場所で喜んでくれているはずですわぁ~~~」

ミキシンググラスとバースプーンを片づけながら、説明を付け加えた。

「………」

それを聞いてようやくバーンもグラスを持ち、飲み始めた。

「あ、ついでにぃ」

彼女の人差し指が頬に当てられた。

「校長先生の方もそれとな~く脅しておきましたのでぇ。きちんと古式にのっとってお祀りしてくれるでしょう~~」

にっこり笑いながらリリスが言った。

「リリーの微笑みはどっか怖いよなぁ。一体どんな手法でやったか心配やでぇ」

「そんなぁ、人聞きの悪い~。 …!」

リリスの視線が彼らの背後に向いた。

「あの…」

二人は振り返った。

リリスは彼女の姿を見て、気を利かせたのか奥に引っ込んだ。

「榊先生?」

臣人が彼女の顔を見るなり声を上げた。

榊は暗い顔をしながら、彼らの前に立っていた。

眼鏡をかけた顔がうつむいている。

グリーングレイのコートとショルダーバッグを手に持ったまま立っていた。

どうしてこの場所に彼女がいるのか不思議に思ったが、おそらくは劔地に聞いたのだろうと思った。

「ご、ごめんなさい!」

開口一番にこうつぶやき、頭を下げた。

「?」

何について謝られたのか理解できぬまま、彼女の言葉を聞くことになった。

「疑ったりして…あの、本当に。バーン先生にも葛巻先生にも失礼なことばっかり言って」

彼女は頬を紅潮させている。

「………」

バーンは何も言わず彼女から視線を外し、何事もなかったようにカウンターの方に向き直るとまたマティーニを飲みはじめた。

彼女が何を言おうが、自分には関係ないと言いたげだった。

榊はバーンの背中を見つめながら、拒絶されたように冷たい印象を受けた。

「無罪放免ってわけですかい?」

臣人はそんなバーンの態度に困った顔をしながら、榊に話しかけた。

「ええ。ちょっとショックな事件だったけれど…冷静になって考えてみたら……その…」

感じたことはあるのだろうが、言葉になっては出てこないようだった。

こちらの世界に足を踏み入れたことのない人間には、至極当たり前の反応だった。

バーンと臣人にはいつもの日常でも、彼女にとっては非日常以外の何者でもないのだ。

ましてや視覚的に捉えられる現象でもない。

何が起こっているかわからないような状況下で、生徒の異様な行動を目の当たりにしたのだ。

いくら憑かれていると説明したところで、納得できない人間はそう簡単に納得できるものではない。

それでも彼女は彼女なりに考え、答えを出してここへやって来たのだろう。

その思いをバーンも臣人もわかっていた。

「そんなとこに突っ立っててもなんやから。座らへんか?」

臣人が彼らの横の椅子へと彼女を促した。

彼女はコートとバッグを横に置いてバーンのひとつ隣に座った。

「別に、いつものことやから気にせんでぇ、榊先生。わいらも結構きついこと言っとったで、おあいこやと思うでぇ。なあ?」

臣人はバーンに話を振るも、

「………」

バーンは関心がなさそうにマティーニを飲んでいた。

ホンマに困った奴やなという目で臣人は彼を見ていた。

「ま、過ぎてしまったことは過ぎてしまったことや。リリー」

「はぁい?」

臣人に呼ばれて、奥からリリスがトテトテと小走りに出てきた。

榊先生彼女にマンハッタンを」

「かしこまりましたぁ」

手早くミキシンググラスに数種のアルコールを入れるとステアして、エッチングの美しいグラスに注いだ。

「どうぞ」

グラスを差し出しながらリリスは小声で榊に言った。

「マティーニを飲みながらぁこのカクテルを勧める人は~危ないですから気をつけてくださいねぇ」

下心があると言いたげだ。

「はぁ。」

榊はかけていた眼鏡を両手で取ると、グラスのすぐそばに置いた。

その一連の動作を臣人は横から目で追っていた。

素顔になった彼女は、学校にいる彼女とはまた違った印象を受ける。

謝らなければならないと思うと同時にそれを行動に移すことができる。

曲がったことが嫌いな性格もそこからはうかがえる。

気の強い性格は、どことなくラティに重なっていた。

あの時、調理室に落ち込んだ顔できたバーンを思い出していた。

何があったか、榊に何を言われて自分の所に来たかはわからない。

しかし、彼は榊の中に彼女の影を見てしまったのではないかと思った。

榊がどんな意図でバーンに興味を持ち、関わろうとしているのかはわからない。

彼女もラティと同じようにバーンに踏み込もうとしたのだと思った。

だから、彼は彼女に冷たく接しているのだろう。

彼女がもうこれ以上自分に興味を持たないように。

踏み込んでこないように。

二人目の彼女ラシスにはしたくはないから。

そんなことを思いながら、臣人は手元にある飲みかけのグラスを見ていた。

同じようにちょっと何かを考え込むようにしていた榊がようやくグラスを手に取った。

一口飲んでみる。

「おっ、おいしい!」

率直に感想を口に出した彼女に臣人は嬉しそうな顔をした。

「結構いけるクチみたいやな、榊先生」

臣人の残っていた中味を飲み干した。

「酒の所為にして忘れてまおうぜぃ。リリー、もう一杯」

「またですかぁ? こないだと展開が一緒ですよぉ~~」

困った顔で臣人を見ながら、渋々2杯目をステアしていた。

「またとはなんや、またとは~!」

「臣人さんってぇ、お酒が入ると別人になってしまいますものぉ~」

そう言いながら、リリスが次のグラスを差し出した。

「なっ、何、人聞きの悪い。わいはなぁ、普段から超紳士で通っとるやでぇ。榊先生、そやろ?」

臣人は困りながら榊に話を振った。

「うにゃ…?」

「うにゃ!?って」

榊はだれ~んと力無くグラスを持ったまま半顔をカウンターにくっつけて臣人の方を見ていた。

「はい~↑どうかしましたぁ↑?」

さっきまでの雰囲気と全く違う彼女がそこにいた。

眼鏡をかけていた時の精悍さが全くない。

とろ~んとした目で彼らを見ながら、くすくす笑っていた。

「オッド先~生~。昨日のこと、怒っているでしょう↑?」

突然、バッグや何やらの荷物を自分の座る反対側の椅子へ退け、榊がバーンの方へと詰めてきた。

不必要に彼の方へ身体を寄せてきている。

「………」

さすがのバーンもこれには驚いた顔をした。

榊は上目遣いでまるで挑発するような眼差しを送っていた。

「怒っているわよねぇ?」

バーンの腕を引っ張って、自分の腕で抱え込み絡みついた。

「………」

バーンは何も言えなかった。

彼の顔色が変わった。

頬を赤らめ、横を向いた。

眼のやり場に困っていた。

大きくV字に開いた白いブラウスの襟元から豊満な榊の胸が見えているからだ。

胸が自分の腕に押しつけられて、その谷間がより深くなっていくように見えた。

彼女の大胆な行動に、翻弄されていた。

同じように臣人も口をあんぐりと開けながら、硬直していた。

「………」

まるで二重人格やと、思いながら言葉を失った。

半分羨ましそうな顔をしていたのかもしれない。

そんな臣人に気づいて、榊はバーンの腕をとったまま言葉を続けた。

「葛巻しぇんしぇいったら、いつもこんな美味しいお酒を出す店で飲んでるんですねぇ~。許せませんわぁ~。」

幸せそうに笑いながら榊が言った。

「何か、さっきと雰囲気がちがうでぇ。榊先生ーぇ…」

「そーですか?」

ムクッと体を起こして反論した。

「なんや、ぽやーっとしてるような…。天然のような…」

「はにゃ?」

首を傾げながら、榊が何かを答えようとした。

が、言葉にはならなかった。

会話が噛み合っていないことに、臣人は頭をかかえた。

「………」

思わずバーンも絶句してしまった。

「あら、珍しい方ですわねぇ~。私と同じ感じかしらぁ~?」

彼女を気に入ったのか、リリスがにっこり笑いながら付け足した。

さすがにリリスと榊が二人でかたまっているとそこはもう春のひだまりの中を思わせるようなのんびりとした感じだ。

時間の流れまで止まっているようなそんな錯覚に陥る。

榊はどこを見ているのかわからない虚ろな視線でぼ~っとしていた。

「はれ~?」

「榊先生。大丈夫かいな?」

悪酔いでもしたかと思って臣人が榊の目の前に手をかざし、上下に振った。

いい加減バーンの腕を放さんかいとでも言いたげに。

カラーン。

涼しげにドアベルが鳴った。

だれかがテルミヌスに入ってきた。

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