第15話 浄霊(3)

「さて、」

臣人がバーンの前に立った。

「…臣人」

「久しぶりにオフェンスとディフェンス、交替やな? バーン」

バーンは小さくうなずいた。

「任せい。お前のエノクよりは、わいの出番やろ?」

「Sorry…」

「何、謝っとるんやか。それよりフォローを頼むでぇ」

臣人はバーンの肩を叩いた。

そして、彼から離れると真剣な表情で綾那のそばに赴いた。

バーンも後退るようにして数歩下がると、アニスが座っているテーブルの横に立った。

この準備室の『気』を一気に高めるために、さっきの魔法陣を倍の大きさにして敷こうとしていた。

「Ol Sonuf Vaorsagi Goho Iada Balata. …Lexarph, …Comanan,.. Tabitom. Zodakara, eka; zodakare oz zodamram. Odo kikleqaa, piape piaomoel od vaoan….」

準備室の床に縦横無尽にまぶしい光が走った。

それがある形を成す。

綾那が眠るソファを中心に、ここにいる全ての人がすっぽり中に入ってしまうほど大きい光の魔法陣が出現した。

「こ、これは!?」

榊が周囲を見回した。

魔法陣の内部だけ昼間のように明るい光に満ちていた。

臣人は床に平伏して座った。

そして、体を起こし右手に持っていた数珠を左に持ちかえ、綾那に対して九字を切った。

「臨兵闘者皆陣列在前…鬼!」

喝を入れるように右手の手刀を振りかざした。

意識がないはずの綾那の身体がソファにバウンドした。

臣人は立ち上がると彼女を抱き起こし、額と後頭部に何かの文字を書き記した。

おそらくは梵字の一種だろう。

同じように右足の裏にも何かを書き記した。

それも終わると静かに手を合わせる。

「天魔外道皆仏性

 四魔三障成道来…」

低い声と独特の抑揚でが唱えられていく。

綾那の体に徐々に異変が現れてきていた。

が進んでいくに従って、再び身体が硬直し始めた。

腕を九の字に曲げ、握られたコブシには力が入り震えていた。

しかし両目は閉じられたままである。

口も何かを言おうとして微かに動いている。

顔の表情は苦悶に喘ぐようになってきた。

その様子に心配になったのか美咲がバーンの顔を見つめていた。

「…見よ、となんじの神は語りき。我は円なり、その手の上に12の王国を立てり。……6は生ける息の席なり、残りは死の鋭い鎌あるいは角のごとくして、地の生き物はここにあり」

バーンも右手を前に出し呪文を詠唱しながら、美咲の顔を一瞬見た。

ここで起きるひとつひとつのことが彼女には信じられないことだった。

綾那から少しは聞いていたが、いざ目の前でそういうことが行われている。

それに自分も臨んでいるという事実が信じられなかった。

「魔界仏界同如理…一相平等無差別……」

数珠をジャラッと数度鳴らし、臣人は綾那を見つめたまま沈黙した。

綾那の身体が何かに弾かれるように起きあがった。

そのまま不自然な形でソファを蹴って臣人に襲いかかった。

まるで体操選手のように一回転するともの凄い速さでパンチを臣人の顔面めがけて繰り出してきた。

「綾っ!」

美咲は悲鳴を上げた。

綾那の姿をしていても、それは綾那ではなかった。

目を閉じたままで臣人に襲いかかっていた。

彼はさして驚くふうでもなく、綾那のパンチを右手で捌いた。

武術に長けた臣人の目から見れば、そんなに速いスピードではなかった。

当たらないことを悟ったのか、憑依された綾那は一旦距離を取った。

ととんっと足を軽やかに鳴らした。

「オッド先生。綾が!」

美咲が叫んでいた。

綾那の所へ行きたいという気持ちはあっても、足が言うことをきいてくれなかった。

根が張ってしまったように少しも持ち上がらなかった。

「…大丈夫。臣人を信じろ。あいつは劔地を傷つけたりはしない」

臣人と綾那の対峙を見つめたままバーンが言った。

「でもぉっ!」

何がどうなっているのかわからなくて美咲はパニックになっていた。

「憑依した狐が劔地の体を動かしているんだ。人間離れした力で」

それを聞いて美咲は青くなった。

そんな綾那を止めるためには力尽くになってしまうのではないかと。

殴ったり、蹴ったりの暴力がふるわれるのではないかと。

「そうしたら、綾がっ!?」

そんな彼女の心配をバーンは一掃してやりたかった。

「俺の魔法陣の結界なかにいる限り…怪我はしない」

「どうして、そんなことが断言できるんですか!」

口で説明しても信じてはもらえなかった。

そのために、今、大気の精霊を召喚していた。

「…見てればわかる……。」

真剣な眼差しでバーンは臣人と綾那の動向を見守った。

(臣人、頼む…)

綾那は少し前屈みになりながら、両手をダラリと下げた。

上がっていた顔が力無くうなだれた。

四肢を持つ動物のような姿で辺りをうかがっていた。

「天魔外道…皆仏性……四魔……三障成道来……」

臣人は左手に数珠を掛け、真っ直ぐに伸ばすとをゆっくり唱えていった。

綾那は首を少しだけ左右に振った。

動きが人間のそれではなくなっていた。

まさに動物だった。

それもまともな動物ではない。

狂った何か。

息が次第に荒くなっていく。

その様子を臣人は見つめていた。

(劔地に憑いたお稲荷はんは相当な力の持ち主や。

こんだけわいがきつく呪法を掛けているんに、弱るどころか憎悪の念が強くなってく一方や。

こんなになるまで苦しんだんやなぁ。)

急に綾那が動いた。

臣人の頭の上を飛び越し、美咲めがけて牙を剥いた。

「くっ」

それをバーンが見逃すはずもなく、右手を美咲の方へと差し出した。

「我が手に…よらざりてここにはなし。すべて眠り、起き上がるものなり。……まず我は汝を執事となし、支配の12の席につけたり。」

すごい形相の綾那が美咲に噛みつこうとして襲いかかった。

「いやあぁぁぁ!綾!」

美咲は横を向いて目を閉じた。

綾那が何かに弾かれて飛んだ。

「え!?」

涙目になりながら綾那を見る。

床に叩きつけられることもなく、目にもとまらぬ俊敏さで臣人のすぐ右横に音もなく着地していた。

美咲の前には渦巻く風の壁があった。

バーンの仕業であった。

魔法陣の結界は憑依された綾那を外に出さないようにするものであると同時に美咲や榊を護るために存在していた。

「汝らのすべてに……真の時間の年代456を統べる力を連続して与えたり」

大気の精霊はバーンの呼び掛けに答えるようにその強さを増していった。

彼の腕の周りには風が幾重にも渦巻いているのが見えた。

綾那は低い雄叫びのようなものを上げた。

すると今度は榊を目がめがけ、突進していった。

「つ、劔地さん!? やめてぇ!」

榊は両手を口元にあてたまま、首を振っていた。

バーンの右眼が光った。

「その意図は、至高の器と汝らの支配領域の四隅より、汝らが我が力を働かせ、地の上に不断に生命と増加の火を注がせんことにあり…」

彼の腕から、大気の渦が再び放たれた。

ブンッと何かを裂くような音を上げて、精霊達は榊の前に立ちはだかった。

ガキーン!!

力と力がぶつかり合った音がした。

綾那は上に高々と上げた腕を何かに押さえつけられるようにされながら、動きを止めた。

いくら下に下ろそうとしても、渦を巻く風がそれを押し止めていた。

榊は瞬きもできずに、目を見開いたままその様子を見てしまった。

「…こ……れ?」

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