第38話 イライラいろは 中編

 祐一と付き合っているのかと聞かれ、つい声を弾ませてしまったいろは。

 ゴホンと咳払いして声を戻す。


「…………それが本当だとしたら、どうするの?」

「僕はあの男を叩きのめさなければならないだろう。八神君をたぶらかす不埒な男をね」

「不埒……それはどういうところか教えてほしいのだけれど」

「昔あの男は君を殴ったと聞いた」

「……それには事情があるわ」

「事情があろうとなかろうと、女子に手をあげる男は男ではない」

「そう、素晴らしい考えだと思うわ。でも私はどうしようもないバカにはやむなしだと思うし、それで目が覚めることもあると思う」

「いーや、ダメだ。例えどんなことがあろうと男が女に暴力を振るうことは許されん。説得を放棄するなんて文明人としてあるまじき行為だ」

「……はなから説得が通じないときもあるのよ」


 茂杉の言うことは何も間違っていない、しかし話し合いでなんでも解決できるなら争いは起きない。特にあの頃の荒れたいろはに祐一ヤンキーの説得など通じるわけがないのだ。

 それを無理やり話し合いに応じさせるには、そういった強行手段もやむなしと考える。

 事実祐一のビンタ一発がなければ、いろはは警察の厄介になっていたし、今もこうして学校に通うことはできなかった。

 茂杉は気づいていない、この現代社会で誰かを救うために拳を振り上げることの難しさを。


「それに奴は気に入らない人間をリンチしたり、舎弟を使ってお金集めをさせているなど良からぬ噂が後を絶えない」

「それ……どこの情報なの?」

「皆そう言っている」

「皆って誰のことなの?」


 いろはの語気は次第に荒くなっていく。

 皆とは誰だ。

 そんな根も葉もない情報をバラまいているのは一体誰だ。


「八神君、目を覚ませ。君に相応しいのは奴のようなクズではない。桧山祐一と一緒にいれば君の品位が下がる。聡明な君ならわかるだろう?」


 何も知らないくせに、誰が言ったかもらからない適当な情報でクズって言うな。

 私を勝手に自分の望んだキャラクターにはめるのはやめろ。

 彼女のイライラが止まらない。

 ポケットに入ったスマホを強く握りすぎて、パキッと嫌な音がなった。多分液晶が割れた。


「僕からすれば彼は猿山でイキる、猿山祐一だ。クッハハハハハ、我ながら良いあだ名を思いついたものだ。君も遠慮なく笑ってくれたまえ」


 自分で言って自分でウケる茂杉。


 あっ、ダメだ……手が出る。

 真っ黒い感情が胸の中でのたうち回ると、いろはの目の光が消え、力んだ手がすっと持ち上がる。


「誰がサル山祐一だ。ぶん殴るぞ」


 体育館裏に突如現れた祐一に、茂杉は目を見開き「ひっ! 桧山!?」と悲鳴を上げると、すぐに持っていた竹刀を構えた。


「えーい現れたなヤンキーめ。今僕と八神君は大事な話をしている最中だ、失せろ失せろ! それともやるか、僕は剣道二段だぞ!」

「中学生みたいなイキりかたすんなよ。茂杉、人のことサルとか言うがお前の方がサルだろうが」

「無礼だぞ! 僕のどこがサルだと言うんだ!」

「お前、会長にもアンジェにもフられたらしいな」

「な、なぜそれを……」

「しかも」


 祐一は茂杉の道着の前襟を掴むと、左右に開いた。すると美人の女子生徒の写真がバラバラと地面に落ちた。


「うぉわあああ、貴様何をする!!?」


 写真を慌てて拾い集める茂杉。

 その写真は、写真部によって隠し撮りされたもので、中にはいろはやレオ達のものも含まれていた。


「写真部がお前はお得意さんだって言ってたぞ」

「あ、あいつら人のプライバシーは守ると言ったくせに……」

「俺は写真部に、お前らいいカメラ使ってんなって言っただけだが、何勘違いしたのか知らんがお前の名前が出てきた」


 カツアゲされたと勘違いした写真部は、慌てて茂杉パトロンの名を口にしてしまったのだ。


「随分とレオやいろは達生徒会の人間にご執心だとか。10万くらい写真を買ってるって聞いたぞ」

「えーい黙れ黙れ黙れ! 僕は自分含め美しいものが好きだ! 美人の女生徒の写真を集めて何が悪い!」


 こ、このナルシスト開き直りやがった。

 茂杉はヒュンと竹刀をしならせて、その切っ先を祐一に突きつける。


「桧山祐一。よくも僕に恥をかかせてくれたな。お前の名前は僕の心に刻んだ。心底不快だが貴様を永遠のライバルと認めよう」

「何その今年一番嬉しくない認定」

「覚えていろ桧山祐一! また会おう八神君ムチュ!」


 祐一には怒鳴り、いろはには投げキッスを残し退散していく茂杉。


「茂杉……なかなか強烈な奴だな」


 あいつはまたちょいちょい出てくる気がしてならない。

 彼が去ってから、いろはは大きく息を吐いた。


「…………どうしてここに?」

「夕飯買って帰るのに、荷物持ち連れて行こうと思って待ってたら告られてて焦った」

「そう……どうして出てきたの?」

「明らかに委員長が殴りそうだったから」

「だからまた悪役になったわけ? 呆れた、また悪い噂が流れるわよ」


 彼は自分を悪役だと理解している。だからこそあえて面倒になりそうなことは自分が引き受けている。

 悪の仮面を被り続けたせいで、周囲の敵視ターゲットを集めることに慣れてしまっているのだ。

 今の状況も客観的に見れてば、桧山祐一が茂杉の告白を邪魔したと言われるだろうが、実際は面倒な告白をいろはに変わって断ってくれただけ。

 でもきっとそのことを言っても誰も信じてくれないだろう。なぜなら彼は既に黒塗りされてしまっているから。


「委員長苛立つと物に当たる癖あるからな」

「……どうして知ってるの?」


 ピクリと反応する。桧山家で暮らしてからは物を壊してないはずなのに。


「ページがグチャグチャに破れた教科書と、やたら新しい教科書があった。あれ多分引き裂いて新しいの買ったんだろ?」

「…………」


 いろはは親に悪癖が見つかったように、ばつが悪そうな表情をする。

 彼女自身この破壊癖は悪いことだとわかっているため、怒られると身構えてしまう。

 ただこの癖が治らなかった責任は、彼女の両親にある。親がしっかりと躾ける以前に、家にちゃんと帰ってコミュニケーションをとっていればここまで悪化することはなかった。


「ウチ来てからはなくなったのか?」

「え、えぇ」

「なんでだ?」

「……あんまりイラつかなくなったから……かしら」

「そりゃ良かったな。よく耐えてんじゃねぇか」


 そう言って祐一はいろはの頭を軽くなでた。


「ガキの頃とかについた癖ってなかなか治んねぇんだよな」


 この男怒るときは怒るが、褒めるときは無意識にこうやって頭を撫でたりする。

 恐らく響風のような年下と接しているうちについた癖だと思うが、それがいろはにとっては抗えないほど心地よいものだった。

 実は叱られるの好き、褒められるのもっと好きだった。


「怒らないの?」

「耐えてんなら別にいいじゃねぇか。昔ウチにもすぐ物壊しちまう奴がいたんだが、ありゃ壊したくて壊してるんじゃなくて、自分の心がグチャグチャになってるのをなんとか鎮めたい一心で物に当たってるって感じだった。そんでやっちまった後は、壊した物見て自己嫌悪で泣いちまう。そんなの叱れねーよ」

「…………その子その癖治ったの?」

「ウチ来て半年くらいで治ったぞ。物に当たるより俺に当たった方が面白いと思ったのか、よく殴りかかってきたな。ほぼ返り討ちにしてたが」


 カラカラと笑う祐一


「…………ほんとあなたってお兄ちゃんよね」

「そうか?」

「えぇ、きっとその子は不幸じゃなくなったから物に当たらなくなったのよ」


 いろはは横髪をかきあげて微笑む。

 貴方にもっと早くに会いたかった。いや、それはワガママか……。

 会えて良かった、そう思うことにしよう。

 いろはの黒く乱れた心がスッと落ち着いていく。


「そんじゃとりあえずスーパー行くかって思ったけど、さすがに制服で二人ってのはやばいか。やっぱ俺一人で行ってくるわ」

「行くわ」

「やめとけ、また寺岡や茂杉に嫌なこと言われんぞ」

「私そういうの気にしないから。あっ、そうだこれ使おうかしら」


 何かを思い出した彼女は、財布から雑な字で書かれた小さな券『桧山祐一、一日自由にしていい券』を取り出す。


「買い物付き合うから私の買い物も付き合ってくれるかしら?」

「晩飯前までだぞ。それ以上はうるさいのがいるからな」


 祐一が肩をすくめると、お譲とヤンキーは繁華街へと買い物デートへ向かう。

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