4-2

 二日後。陽炎揺らめく昼下がり。

 自分の部屋のシャワーが使えなくなったことを嘘の理由に、美夜は俺の部屋のシャワーを借りに神崎の元へ向かった。間借りさせてもらっている遠慮からか、神崎は断らなかったそうだ。

 そこで、一緒に入ろうと急に誘われた神崎は戸惑いを見せたらしいが、別に普通のことだからと美夜は強引に引っ張り込み、連れ立ってシャワーを浴びることとなる。

 俺の頼みごと。それは以前夢で見たが忘れ去っていたあるモノを確認してもらうことだった。

 美夜にはさりげなく見てもらうように伝え……、そしてその報告は――

(やっぱりというべきか……)

 胸の裡で呟く。

 夢に出てきた神崎に似た女。その太ももに蝶のような痣があったことを思い出した俺は、神崎渚砂の同じ位置にそういった痣がないかを美夜に見てもらったのだ。

 案の定というか、危惧していた通りというか。

 痣は、あったのだ。


「美夜、この前神崎を変装させた時、姉さんがどんなウィッグを使ったかって聞いてるか?」


 ウィッグ? と聞き返し、顎に手を添えて少考する。

 以前訊こうと思っていたこの質問は、麗華に聞けず仕舞いだった。神崎に対して少なからず疑念を抱いている今、訊くのは得策ではないだろうし。正直自分の中でも消化しきれていない現状、余計なことを口にして溝を深めさせたくはなかったからだ。

 たしか――、と前置き、


「銀色の長いやつだったかな?」


 なぎなぎが選んだみたいだけど、と美夜は続けた。

 長い銀髪、公園で見かけた時の反応、そして痣。本人から言質を取ったわけではないが、不信感は疑惑へと変遷しかかっている。

 しかしどうにも確信へは至らないのではないか、そんな思いも胸中で渦を巻いていた。

 そんな折。美夜が突然、「そういえば髪で思い出したんだけど、」と切り出した。


「レイちゃんって、髪黒いのに黒染めなんてしてんの?」

「なんだよいきなり? ってかなんでだよ。髪黒いやつがわざわざ黒染めなんてしないだろ」


 ……いや、必ずしもそうとは言えないか。黒でも別な色に憧れる奴ならしてもおかしくはないし、白髪隠しにってこともある。だが俺は白髪なんてないし、ましてや麗華に負けず劣らずの真っ黒だ。染める必要なんてない。

 美夜は顎に手を添えると、うーんと唸った。


「じゃあなんでカラー剤置いてあったの?」

「さあ。カラー剤なんて俺は買ったことすらないしな」


 別に髪を染めることに対して憧れたことがないわけじゃないけれど。なんというか、例え血が繋がっていなくても、姉弟として似た髪色であるということが嬉しくて、結局染めることはしなかったんだ。


「ってことはあれ、なぎなぎのかな」

「俺のじゃないからそうなるだろうけど……」


 神崎が黒染め? 白髪にでも悩んでるのか?

 というかそもそも、神崎は文無しでここに来たんだよな。衣食住の保障がされているとはいえ、依頼料を払うために現状タダ働きも同然で事務所で雇われてる身だ。給料は出てないに等しい。

 渡されたお使い代の中から買ったのか? いや、麗華相手にそんな誤魔化しは出来ないことくらい、短期間ながらこの事務所にいて解らないほどバカじゃないだろう。

 カラー剤か……。やはり気にはなる。あとで麗華に訊いてみるか。

 不信感に新たな疑問が上積みされ、気にしなければならないことが増えたのは面倒だ。それとも、情報の付箋が増えたと喜ぶべきか。それを判断するのは、麗華の返事を聞いてからでも遅くはないはず。

 いずれにせよ現時点では、夢の人物と同一視するのはまだ焦燥だ。

 それに気になる点なら他にもある。帯刀の言葉だ。確かに『お嬢様』と『試作体』という言葉を別に呼称していたし。

 なにか、なにか決定的なモノを掴まなければ、神崎へはまだ迫れない。

 推察が真実であれ勘違いであれ。

 本人へ問い質せるくらいの根拠というものが必要だ……。


「それでねレイちゃん、前に話した貸し借りの話なんだけど――」


 神崎の黒染めが必要なことなのかどうかはさておき。

 俺は世界の音を遮断し、しばし思考に没する。

 つい先日に見た夢の内容。試験管に沈殿した物体、注ぎ込まれた液体、溶液と化す沈殿物。試験管立てに並んだ他のものも同様に沈殿物が見て取れた。

 そういえば、と。あの時はもがいていて注意していなかった、男の傍らに置いてあった機材が脳裏を過ぎる。形状としては炊飯ジャーのような形をしていたが。


(あれはもしかして……遠心分離機じゃないのか……?)


 だとするなら、沈殿物はDNAペレットである可能性が高い。

 視界が塗りつぶされる直前、男が別の機械に手を伸ばしていたような気がするが。量りのような物の中心に黒い椀がついたものは、攪拌機か。

 以前テレビで見たことがある程度の浅い知識でしかないが。機材の形にこそ多少の差異はあれど、恐らくは間違いないだろう。

 そうであると仮定した時、嘲笑し岳人が漏らした言葉を推測するに……

『クロ……』というワードは――


「……クローン――?」


 口にし、まさかなと思わず自身の言葉を否定してしまう。

 確かにクローン技術は進歩している。受精卵および体細胞を用いたクローン動物は生産されているし、昨今では胎児と卵子の細胞を使った初期の胎児のクローニングどころか、成人のDNAを用いた初期の胎児のクローンの成功例も報告されているそうだ。万能細胞さえあれば何時でも人間のクローンは生み出せるとも、科学者はテレビで言っていた。

 しかしそこには倫理の問題が付き纏う。

 クローンだからといって、その人間とまったく同じ分身が出来るわけではない。人は生まれ出でてからの環境で千差万別の個が形成されるもの。それはクローンとて同じだろう。

 人工的に造られたといっても“ヒト”なのだ。人間である以上、人造であっても意思持つ人ならば其処に人権はなくてはならない。しかし果たしてクローンに人権を与えていいのかも分からない。法的な扱いが定められていないというのが現状だ。


 けどそもそも、なぜクローンが必要なのか。それをまず考えた時、一番に挙げられるのが臓器移植だろう。大病を罹患した際ドナーがいない。が、自分と同じDNAを持つため拒絶反応の少ないだろうクローンの臓器を移植するならば安全だという話。

 しかしクローンと言えど人間。意思を持つ一個である以上人権がある。その基本的人権を無視して、臓器を得る為にクローンを殺すことは人権侵害に当たる。

 他にも親は誰になるだとか、クローンが犯罪を犯したらオリジナルが疑われかねないとか、生命への冒涜であるとか。技術的には可能だが、様々な理由からクローン人間を作ることは禁止とされている。

 神崎に似た女が神崎渚砂のクローンであった場合、それそのものがまず違法だが……。

 それ以前に、なぜクローンを作ったのかという疑問が湧いて出てくる。

 法を犯してまでクローンを作成する理由……。

 神崎が何かしらの病を患っており、ドナーとして使うためか。いや、その可能性もなくはないが限りなく低いだろう。まだ一月にも満たないが、彼女を見ていれば健康体であることは瞭然としている。

 酷い話だが、もし臓器のスペアと考えてのことだとしたならば、ああして人目につく場所を出歩かせたりはしないだろう。付き合いの浅い俺でもそう思うのだ、見る人が見れば本人だと判ってしまうのだから。馬鹿じゃないんだ、そこまでのリスクを重ねたりはしないだろう。

 それにあの時に見た表情は、どちらかというと鬼に見つかった子のような感じだった。恐れ逃げた。そんな印象だ。

(それとも他に理由があるのか……?)

 確信を得ていない以上、まだ本人である可能性も捨てきれないが。

 お嬢さまと試作体。奴らが血眼になってまで探している理由はなんだ?

 もしかして、ブリードと何か関係が……


「――ちゃん、…………レイちゃんっ!」

「うわっ! な、なんだッ……!?」


 急に声を荒げられビクゥと肩が跳ね上がる。意識は思考の海から現実へとサルベージされた。

 目を瞬かせ声のした方を見遣ると、ムッと眉根を寄せる美夜と目が合う。


「な、なんだ、まだいたのか」


 驚きから完全に立ち直っていなかった俺は、ついそんな言葉が口をついて出た。


「ひどいよ! 今度のデートどこ行くかって相談してるのに、さっきから呼びかけてもぜんぜん返事ないし。やっと顔上げたかと思ったら、まだいたのかって……レイちゃんのバカッ!」

「あいや、悪、い……って、デート?」

「そこから聞いてなかったの!? もう信じらんないッ」


 ぷんすか怒りながらぽかぽか叩いてくる美夜に、悪かったよともう一度謝る。

 どうやら借りはデートで返せということらしい。美夜らしい提案に少しだけ頬が緩む。

 だが――、


「美夜、デートの件は分かった。けど、当分は出来ないぞ」


 そう断りを入れると、この世の終わりかというような絶望に満ちた表情を浮かべた。

 唇がわずかに動いたのを認め、先に言葉を紡がれる前に機先を制す。


「俺にはやることがあるんだ。いや、やらなきゃならないことか。だからそれが終わるまでは何があろうと、お前とデートはしない」


 はっきりとそう断じると、


「その用事って、今月中には終わるの?」


 眉を曇らせ、悲しげな双眸で見つめてくる。


「それは……分からない」


 何らかの手掛かりが掴め、神崎から真実が聞けたのならあるいは……。

 でも半端な返事は出来ない。そんな保証はどこにもない。

 事実が聞けたからといってその先に何があるのか想像がつかないし、どうにか出来るのかすらも解らない。

 けど、このまま放っておくことは出来ないのだ。人死にが出て、何度も夢に出た女がいて、その女に神崎が瓜二つ。そして過去の光景を夢見、痣の確認が取れた。

 ピースは間違いなく揃ってきているはずなんだ。あとは足りないものが補完され、一枚絵にすることが出来れば――。


「でもなんで今月にこだわるんだ?」

「……夏休み」

「あ?」

「夏休み終わっちゃうじゃん」


 ああ、そういうことか。ということは、夏休みにしか行けないところをデートにリクエストしたってことだな。海かプールか……。


「それで、お前はどこ行きたいんだよ」

「プールだけど」


 プール、か。上着って着てもよかったっけ。あんまり他人には見せたくない傷痕だから、出来れば隠したい。ほとんど行ったことないから分からないけど。着用不可なら無理だな。

 傷痕を憂慮していることを察してか、「ちなみに上着は大丈夫だよ」と美夜は補足した。

(なら、行ってもいいか)

 一つ頷き、分かったと伝える。美夜は伏目がちだった顔を上げると、弾けるような清々しさで「やった!」と笑みを浮かべた。

 笑顔になったことに安堵したのも束の間、


「レイちゃんのお手伝いしたらさ、それ早く終われるの?」


 早速不安にさせるようなことを言う。ここで下手なことを言えば美夜は首を突っ込んできかねない。美夜に頼みごとをしたのは、なにも巻き込みたいからじゃない。頼らざるを得なかったからだ。

 しかし結果として好奇心を煽ることになってしまったのは、猛省すべき失態。

 以前協力がどうこうの話になった時を鑑みるに、あの時の断り方では火に油を注ぐだけで効果がない。とするなら、より胸の心棒を揺らす方法は……


「美夜――」

「ん、なに?」


 小首を傾げる猫みたいな愛くるしい瞳を見つめ返し、真面目な顔をして言葉を紡ぐ。


「俺はお前に危険な目にあって欲しくないんだ。だから大人しく待っててくれ」


 訴えるように言の葉を置くと、どういうわけか美夜はさっと頬を朱に染めた。

 そ、それはつまり――と言い淀みながら、


「ぷ、プロポーズってこと?」

「…………、」あまりにも突拍子のない返しに唖然とし、「――はぁ?」反応が二拍ほど遅れてしまう。


 どこをどう取ったら先の言葉がプロポーズになるんだ。いま時の恋愛漫画にだってそんな勘違いするヤツはいないだろ。


「だって、戦地に赴く前に彼女に言い残して旅立つセリフでしょ? 裡で続く言葉は、この戦争が終わったら~うんぬんかんぬん」

「もしそうだとしたなら、完全に死亡フラグじゃねえか。つうかまだ付き合ってもいねえし」

「――まだ?」


 ぴくりと小さな耳が動く。

 あ、まずい失言した。今はまだそういう関係ではないけれど、いずれそうなるかもしれない。と捉えられてもおかしくない切り返しをしてしまった。……気づいた時には既に遅し。

 まるで恥じらうコスモスのように顔を上気させ、喜悦至極な顔で「そっかそっか」と嬉しそうに呟く美夜。

 まあでも、これで大人しくなってくれるのなら一芝居打った甲斐が――


「だったら、早くお仕事終わらせないとだね!」張り切り拳を握ったかと思ったら、「わたしも協力するから安心してね!」

「お、おい――」


  そう言って、制止も聞かず勢い駆け出し、事務所を出て行ってしまった。


「………………結局ダメじゃねえか」


 策を弄して失敗するとか、俺は軍師には向いてないな。美夜にただ餌を与えただけだった。

『バイト行ってきまーすっ!』遠雷のように響く美夜の声。

 事務所の扉を一瞥し、深い溜息をついたところで――折りしも再び扉が開いた。


「なぁに、あれ。なにかいいことでもあったわけ?」


 鳩が豆鉄砲をくらったみたいに惚けた顔をして、麗華が入れ替わる。

 彼女らしからぬその表情が滑稽で、見ていたらなんだか少し笑えてきた。が、逆に怪訝な顔を返され、慌てて咳払いで誤魔化す。

 ここで本当のことを言うのは不味い。ただでさえ鋭い麗華のことだ、下手に動揺しようものなら見抜かれかねない。とりあえず、嘘にならない事実だけを。


「――今月中にデートする約束してさ」

「へぇー、それであんなにはしゃいでるのね。まるで子供だわ」


 くすくす笑う麗華の表情に胸を撫で下ろす。どうやら納得してくれたみたいで何より――


「でも珍しいわね。いつもは距離置いてる零司が美夜とデートの約束するなんて」


 ……だよな、俺もそう思ってるよ。じゃなくてッ。やっぱりその疑問に行き着くわな。

 さてこのピンチ、どう切り抜けるか。高速で頭を働かせ、そして口を開く。


「あんまり突っぱねるのも可哀想かなって思ってさ。たまにはいいかなって」


 いや、いつも胸の裡では思っていることだけど。

 改めてそれを口にするっていうのは些か恥ずかしいものがある。


「いいんじゃない? あの子が笑ってるのを見るのは、あたしとしても嬉しいし。やっぱり美夜は元気なのが似合うと思うのよね」


 それには同感だ。

 けど、元気すぎるのも困りもの。過ぎた元気は時に無茶や暴走を引き起こすこともある。

 美夜はけっこう猪突猛進するタイプなわけで。特に俺が絡んでいたりすると目の色が変わる。

 念を押してあるとはいえ、無茶を仕出かす危険は常に孕んでいるのだ。

 そもそも、尾行っていうのは本来長いスパンで行うもの。こんな歯抜けな間隔でやっても意味がない。前例がないわけじゃないし、数撃てば当たるということもあるかもしれないが……。 帯刀にあまり隙はなさそうなことを省みると、やはり美夜の行動は危険極まりない。

 あの時の俺は、ある意味運がよかっただけなのだ。……銃を向けられて助かってること含め。

(今度注意しておくか――)

 そう結論付けて、息をつく。

 話も一段落したところで、俺はつい先ほど疑問に思ったことを訊ねることにした。


「それはそうと。姉さんにちょっと訊きたいことがあるんだけどさ」

「スリーサイズならお断りよ」

「姉のサイズ知って何になるんだよ……ってそんなことじゃなくて」


 そんなこと? と麗華の眉間に薄く皺が寄る。

 俺は慌て、失言を誤魔化すように矢継ぎ早に続ける。


「いやえっとあのさ神崎から受け取ったレシートとお釣りって、ちゃんと金額合ってたか?」

「はぁ……なにそんなしょうもないこといまさら疑ってるの。ちゃんと下一桁まできっちり揃って返ってきたわよ」


 金額が合ってる、つまりはちょろまかしてないってことになる。……だったらどこから金が湧いて出てきた。身に着けていたものを質に入れたとかか?

 ドレスは麗華がクリーニングに出したと聞いたし、アクセサリーは着けてなかったはずだ。そもそも売れるものが見当たらない。今回は変装させたらしいが、基本外出は極力避けるようにしているはず。バイトしようにも出来ないだろう。


「なに? あたしのスリーサイズよりも聞きたかったことがそんなことなの?」


 呆れたような、また残念そうな息をつきながら麗華が呟く。どことなく拗ねている風にも聞こえ、仕方がないから触れてやることにした。


「じゃあ聞くけど、サイズ上からいくつなんだよ?」

「……やっぱりお断りだわ」


 目を瞬いたかと思ったら、ふるふると小さくイヤイヤをして返答を拒否する。


「なんだそれ」


 俺は逆に呆れて肩をすくめた。

 こんな小さな日常も懐かしく感じるくらいには、麗華と一緒に過ごしてきたのだと実感する。

 神崎にも、安心できるそういった存在はいるのだろうか……。


「神崎と言えば。そういえばさ、神崎岳人から何か連絡とかってあった?」

「ないけど、それがどうかしたの?」

「いや……、もうすぐでひと月になるのに、音沙汰がないのはなんでかなってさ」

「たしかにそうね」


 探せと言っておいて放置とは如何なものだろう。一応、帯刀の方からはたまに連絡があったみたいだけど。それでも、親から連絡が来ないことには納得いかないな。

 というより、嫌な感じだ。

 電話がないのは黒鴉を信用しているからか、それとも単に忙しいからか。『死んでも探し出せ』とは言っていたから、見つかるまでは勝手にしていろってことなのだろうか。

 岳人の探し人はここにいるわけだが、神崎が匿えと言っている以上、事情が分かるまでは連絡など出来ようはずもない。

 過去夢の中で見せた岳人の下卑た笑みも気になるし、DNA研究と神崎に似た女。そしてブリードだ。

 点と点は線で結ばれてはいるが、まだ生糸のように細い。焦って手繰れば切れてしまうかも知れない。焦燥は感じるが、まだ慎重であるべきだ。


「――零司、この事件はあんたがなんとかしなさい」


 え? と、突然聞こえた声に顔を上げると、麗華の真剣な眼差しと目が合った。


「渚砂さんが関わっているんでしょう?」


 麗華の言に、ドキリと心臓が跳ねる。一連の事件に神崎が関わっていそうなことは、まだ事務所の誰にも言っていないことだ。俺以外の口から漏れることのない情報のはず。なのに……


「どうして、それを――」

「何年あんたの姉をやってると思ってんの。そのくらいの挙動は見抜けるくらいには、あたしは零司のことを見てきたのよ」


 呆れたように肩を竦め、麗華はタバコを取り出し火を点けた。一服し、天井へ向けて紫煙を吐き出すと――「彼女の力になってあげなさい」言って、灰皿へ灰を落とす。


「でも姉さんは、神崎のことをあんまりよく思ってないんじゃ」

「あの時はあれよ。ちょっと気が動転してキツイこと言っちゃっただけで」


 申し訳なさそうに眉を曇らせ、それに――と続ける。


「前に言ったでしょ。あの子の瞳が闇いって。きっと、辛いことを抱え込んでるんだと思うわ」


 負の感情を表に出せずに生きてきた、命令を遵守する機械のように。だっけか。


「助けてあげなさい、零司。きっとあんたにしか出来ないことだと思うから」


 俺にしか出来ない。その言葉の裏にはきっと、辛い経験をした俺だから――そういった意味も含んでいるのだと自ずと理解した。神崎の抱える苦悩を氷解させられるのは、俺だけだと。

 それが直接的な解決には結びつかないかもしれない。けれど、話を聞いてやることくらいなら出来る。

 俺は麗華に頷き返し、「分かった」と返事した。

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