3-3

 後日。帯刀をまた尾行するということを伝えたら、結局、麗華に危険性を諭され言い包められる形で、しぶしぶ女装を了承させられた。直後に見せたニヤニヤ顔から、半ばといわず八割方愉しんでいることが窺えた。

 美夜は最初から、こうなることを予想してたんじゃないだろうか。一見放任主義のように見えて、その実心配性な麗華。何かに付けて楽しみを見出したい性格も考慮し計算して、女装を提案した。……その計画は見事に嵌ったわけだ。


 午前十一時。

 そうして美夜、麗華によるビフォーアフターの後、すっかり女みたいな見た目になった俺は、姿見の前で肩を落としていた。落胆とは違う。唖然としてしまったのだ。

 これは誰だ、と。


「ほら、意外とイケるんじゃない? どこからどう見ても女にしか見えないわよ?」

「レイちゃんはもともと素材がいいからねぇ。きっと似合うとは思ってたけど。まさかここまでとは……」


 感心する麗華に続き、美夜が熱い溜息混じりに呟く。

 鏡越しに見つめてくる誰か(俺なんだけど)は、ウィッグにより鎖骨辺りまである黒髪を前髪はポンパドールにして上げている。

 普段鏡をまじまじと見ないせいか、意外と形のいい額に驚いた。

 この髪型は美夜が担当し、メイクは麗華が担当した。目元のアイシャドウがクールさを演出し、薄いピンクのルージュが引かれた唇は、自分が思った以上に艶めいている。

 ……正直、気持ちが悪い。いや、正確には違うな。違和感が喉元までセリあがっていて、なかなか溜飲が下がらない。でも不快かというとそうでもない、みたいな。つまり、何が言いたいかというと、目の前の光景が非現実過ぎてなかなか思考が追いついてこない、ということ。


「あたしのお下がりだけど、その服も似合うわね」


 着せられた衣服を見る。サラッとした黒いシルクのマキシ丈ワンピースだ。身動きするたびに豪華なドレープが揺れる。腰には茶色の編みベルト。

 ちなみに、不意の風に慌てないようにと、脛毛は剃られた。剃った、じゃない。剃られたんだ。どんな羞恥プレイだよ。この歳にもなって姉に剃毛されるとは思わなかった。


「恭介も感想言ってあげたら?」


 するとあろうことか、麗華は恭介なんかへ感想を求めた。新聞からわずかに目線を外し、俺を見てふんと機嫌悪そうに鼻を鳴らすと、「馬子にも衣装だな」と冷めた口調で恭介は言った。

 別に自分に自信があるわけじゃないけれど、つまらないものだと卑下したこともない。なんだか悔しくて、俺も鼻を鳴らしながら腰に手を当て、モデルみたいにポーズを決めて見せた。

 が、ポーズをとる直前に恭介は新聞へと視線を戻す。

「ちっ」空振りに終わり、思わず舌打ちが出てしまった。


「ダメだよレイちゃん。いまは女の子なんだからね! 舌打ちなんてしちゃダメっ」


 叱るように言いながら、美夜は腕を組んでくる。

 俺は、本日の同伴者である少女を見た。美夜ももちろん変装している。

 こちらもウィッグによる緩いウェーブのかかった長い茶髪を後ろで結って、なんだかおしゃれなポニーテイルになっていた。服装も普段の年相応の可愛らしいものではなく、黒いブラウスに同じく黒のパンツドレスと、大人っぽい印象を受ける。

 髪型と服だけでこんなにも雰囲気って変わるものなんだな。


「ん? どしたのレイちゃん?」

「ぇ、あー……なんでもない」見惚れていたなんて口が裂けても言えないな。俺は一つ咳払い。「つうか、別に黒に拘らなくても良かったんじゃないのか?」

「まあ、一様は黒鴉の任務だしね。そこは推して知るべし、だよ」


 変なところで真面目だな。

 ダブル黒で暑苦しい以前に、これで身バレなんてしたら相当恥ずかしい。だが、今回は前回のような失態は晒さない。鴉のバッヂは、身に着けない! これは美夜にも徹底させた。

 が、「尾行するのにバッヂ着けてくなんて、レイちゃん抜けてるね」――とは美夜の談。

 以前帯刀が店に現れた時間を考えると、あまりここでちんたらしてもいられない。そろそろ出ることを告げると、相変わらずニヤニヤした顔の麗華に「女の子楽しんでね~」と冷やかされながらも、俺たちは揃って事務所を後にした。



 美夜のバイト先である猫耳メイド喫茶『les chatons』に到着すると、女性店員が挨拶をしてきて席へと案内された。おしぼりと水、そしてメニューを持ってきた女性は、ちらりと美夜へ目を遣りハッとする。


「あれ、もしかして美夜ちゃん……?」

「正解! やっと気づいてくれたね、由梨ちゃん」


 誰? 無闇に声を出すことも出来ないため、そう小首を傾げると。美夜は気を利かせてくれたのか、折り目正しく紹介してくれた。


「あ、この子は由梨ちゃんって言って、バイト仲間なんだ」


 へぇ~。そう声に出そうにも、少しでも声を上げれば女装だとバレてしまう。少考した後、俺はスンと微かに鼻から息を吐き出し、それを返事とした。


「ぜんぜん気づかなかったよ。今日はまた随分と大人っぽいね。ところで美夜ちゃん、すっごい綺麗なこっちの子は?」


 綺麗とか言うな、俺は男だぞッ。


「レイちゃんはわたしのなんだから、狙ってもダメだからね!」

「わたしのって……、もしかして、美夜ちゃんってバイセクシャルなの?」


 ずいぶんと突っ込んだことを聞く子だな。本人目の前にして、しかも衆目に晒されてるこんな場所でそんなことを言うなんて。


「バイ、セクシャル……?」


 美夜は疑問符を浮かべ由梨に気づかれないように、こちらへと目配せしてきた。俺はこっそり、右手の親指と小指を順に伸ばして他を握り、左手でOKサインを作って美夜に見せる。


「あ、ああま、まあね! わたし両刀使いだから!」

「えーすごいすごい! 美夜ちゃんかっこいい!」


 何がかっこいいのか、いまいち理解出来ないが。

 美夜がバイセクシャルの意味を知らなかったことは上手く誤魔化せたようでよかった。にしても、両刀使いで覚えてるのか。変わった奴だな。

 ……まあある意味、美夜は両刀使いで間違いはないのだけど。キレた時限定で……。いつぞやを思い出して身震いした。


「時に由梨ちゃん、帯刀さんってもう来た?」

「まだだよ。来たら教えるから、それまではゆっくりしていってね。そっちの彼女さんも」


 客からオーダーが入ったようで、由梨は控えめに手を振りながら接客業務へと戻った。軽い会釈をしそれを見送り、聞き捨てならんことを小声で美夜に問う。一つ目。


「おい、帯刀が来たら教えるって、あの子に頼んでるのか?」


 質問に、なにか納得したように手を叩くと、


「心配しなくていいよ。わたし、ちょっと変わった子だって設定だからさ」


 わけの分からないことを答える。怪訝な俺の表情を察したのか、美夜は続けた。


「よく由梨ちゃんと尾行ごっこするんだけどね、今度は他人で試してみようかなって話を前にしたんだ」


 ……なるほど。それでその対象を帯刀ってことにしたわけか。

 初対面だが、確かにさっきのやり取りを見る限りでは、由梨は随分と抜けた子に映った。まさか本当に尾行任務だとは思わないだろう。得心し頷き、そして問い二。


「それは分かったけど。彼女さんってなんだよ、俺は男だぞ」

「まあまあレイちゃん。それだけ可愛いってことなんだから、いまは楽しめばいいじゃん、女の子をさ」


 褒められること自体は満更でもないんだけど。事が事なだけに、複雑だなー。



 俺はカフェラテ、そして美夜はパンケーキを頼み時間が来るまで喫茶を満喫した。

 男からの熱視線がなぜか俺に向いてくることもあり、酷く気分を害したが。由梨からもうそろそろ来ると紙ナプキンのメッセージを受け取ったことで緊張感を取り戻した。

 帯刀が店を出るタイミングに合わせ、俺たちも外へ出る。

 むわっとした湿気交じりの熱風が肌に絡み、照り付ける日差しが皮膚を焼く。早々、エアコンが効いていた店内が恋しくなってきた。が、任務だから我慢だ。

 今日の最高気温は三十三度。であるからか、さすがの美夜も腕は組んでこなかった。

 繁華街にて、少し前を行く目標である帯刀を見る。このクソ暑い中、相変わらず黒のスーツを平然としてきっちり着こなしていた。


「次はどこに行くのかな?」

「見当もつかないな……」


 正直な話。あの男がボロを出すとは思えないんだよな。なにせ俺の尾行を見破ったんだから。

 そういえばあの時は、店から尾けていたことがバレてたな。その事実をいまさら思い出し、まさかと懐疑の眼差しを帯刀の背に向けた――その時、


「マズッ!」


 思いがけないことが起き、俺は咄嗟に隣を歩く美夜の肩を引き寄せ、帯刀に背を向ける形で抱きしめた。


「――れ、レイ……ちゃん?」


 困惑する声が耳元で聞こえる。だが今は非常時だ、止むを得ない。

 まさか帯刀が振り返るとは思わなかった。別に女装をしているため、そのまま歩いていてもよかったかもしれないが。以前バレているため、体が反射的に回避行動をとってしまったのだ。


「れ、レイちゃん、どどどうして、んなななんで……」


 ようやく思考が現実に追いついてきたのか。美夜は慌てふためき戦慄きながら声を上げた。


「バカ、少し黙ってろ。帯刀がこっち見てんだよ。あんまきょどると怪しまれるだろッ」

「ふぁっ、み、耳元で囁かないで……んっ」


 ん? まさかこいつ、俺にはちょっかい出してきたくせに、自分がやられるのは弱いのか? 

 別に意地悪するつもりじゃないけれど、さらに言葉を紡がなければならないのもまた事実。


「いま帯刀はどうしてる? 怪しまれない程度に見て教えろ」


 なるべく簡潔に動向の報告を求める、と、


「も、もうこの状況がすでに怪しいよぉ」


 なぜか今にも崩れ落ちそうに膝をガクガク笑わせながら、美夜は蕩けた貌をして言った。見れば顔どころか、耳、果ては首筋まで真っ赤にしている。

 言われ、改めて気づいた。俺たちの周りだけ、人波が避けてぽっかりと円状にスペースが空いている。目線だけで周囲を窺うと……


『え、なになに、もしかして百合カップル?』

『かわいいわねー』

『うわー……マジかよ引くわー』


 見物人からさまざまな声が漏れ聞こえてくる。って、まず俺は女じゃねえし、どっちにしても引くことはないなッ!

 しかし拙い。思いのほか衆目を集めている。


「おい美夜、帯刀は――」


 その時。ふと見上げた先にあったカーブミラーに、こちらを一瞥し踵を返して人混みに消えていく男が映っていた。その眼差しはどこか冷めているような、呆れているようなものだった。


「…………まさか、」


 バレてた、のか?

 ツツーっと、冷たい汗が背中を伝っていく。風を孕みやすいワンピースだからか、いつもよりも冷え切って感じた。

 肩から脱力し、視界を滑っていく美夜を気に留める余裕すらなく、ただただ乾いた笑いだけが零れた。

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