2-7

 ――後日。

 美夜に探りを入れてもらい、再び帯刀という男が喫茶店に訪問する日に合わせて俺も赴いた。


「おかえりなさいませにゃ、ご主人様」


 黒髪ロングツインテに猫耳カチューシャを身に着けた美夜が、招き猫みたいに手をくいくいさせながらそんな挨拶をした。

 俺は思わず店の入口で呆然と立ち尽くしてしまう。

 時間指定がされていないため、いつ帯刀が来るか分からないからって早めに来たはいいけれど。周りの視線が気になる。なんだか凄く恥ずかしい状況だ。

 美夜には悪いけど……か、帰りたい。


「――どこ行くにゃ」


 回れ右したところで、声を低めた美夜に唐突に襟首をむんずと掴まれた。

 親猫に余計な心配をされ首根っこを噛まれる子猫っていうのは、こんな気分なのかもしれない。行きたいけど連れ戻される空しさ。


「……俺は猫じゃないぞ」

「猫はわたしだよ?」

「いや、どっからどうみてもお前は人間だよ」


 しぶしぶ振り返る。ムッとしてジトッとした眼差しを注がれる。


「いつ来るか分かんないんだから、早く入って入って――」


 そうして俺は逃げ出さないようにと、襟を掴まれたまま席へと案内された。

 店内は広く、意外にも白黒でモダンな雰囲気の店だった。テーブル席は壁付け含め十五席ほどが等間隔に配置され、奥にはカウンターテーブルも見える。もっとこう如何わしいピンクかと思いきや、女子のメイド服もミニではなく、裾の長いオールドタイプの制服になっていた。

 客の中にはちらほらと女性の姿も確認でき、猫耳メイドと写真を撮ったりなんかして楽しんでいる。

 一先ず着席すると、美夜は一旦キッチンへ戻っていき、トレイに布巾とグラスを乗せてやってくる。


「はいレイちゃん、これメニューね」


 そう言って、美夜は手際よく水と布巾、そしてメニュー表をテーブルの上に置く。


「いや、別に飯食いに来たわけじゃねえんだけど」

「わたしのオススメはね~、美夜特製オムライスかな!」


 聞いてもいないのに、うきうきした様子でメニューを指差す美夜。


「特製って、別にお前が作るわけじゃないんだろ?」

「なに言ってんの。レイちゃんには特別に作ってあげるに決まってるにゃん。おっきなハート、ケチャップで描いてあげるからね!」


 ――刹那。ゾクリと背筋を空寒い何かが這った。なにやら方々から視線を感じる。恐る恐るチラ見すると、あきらかに女性店員目当てだと思しき連中が、俺に対して睨みを利かせていた。

 こいつら、なんて目してやがる。下手したら殺されそうなほどの殺意に満ちた視線だぞ。

 美夜がじゃれてくる度に、そこかしこで微かな舌打ちが聞こえてくる。浮かれている美夜には聞こえないような音量だ。居づれえ……。


「美夜分かった、コーヒー貰うから早くどっか行ってくれ」

「レイちゃん酷いにゃ、せっかく遊びに来てくれたのにッ、もっとサービスさせるにゃあ!」

「うわっ馬鹿、こんなところで抱きつくな! お前は俺を殺す気かッ」

「殺すわけないじゃん。どして?」

「見ろ」


 キョトン顔の美夜に、わずかに顎で促す。美夜が振り返ると、今まで俺を何度視線で射殺していたか知れない連中が、一瞬で破顔した。

 この変わり身の速さ、服部半蔵もびっくりだな。


「ん~……コーヒーでいいの?」

「ああ、頼む」

「分かったよ、レイちゃん。ちょっと待っててね」


 察してくれたのだろう。残念そうに呟きひらひらと手を振って、美夜はカウンター奥へと消えていった。

 億劫の塊を肺から吐き出す。指名ナンバーワンは伊達じゃないってことだな。

 それから数分後。小さなカップがテーブルに置かれる。どうやらカフェラテのようで、表面にはラテアートで『レイちゃん、LOVE』と描かれていた。これがなかなかに上手だったり。


「あ、ごめんねレイちゃん。指名入っちゃったから向こう行かなきゃ」

「ああ、適当にくつろいでるから行ってこいよ」


 一緒に居過ぎるとまた睨まれるからな。俺はカップに口を付け……る前に写メを撮って、一口飲んでから一息つく。そして応対に向かう美夜の背を、なんとはなしに眺めた。

 こうして黒鴉以外の仕事をしてる美夜を見るのは初めてだ。見慣れた黒髪ウィッグではあるけど、メイド服姿で見るのはなんだか新鮮だな。

 改めて見ると、やっぱりスタイルがいいと感じる。露出は限りなくゼロに近いが、前に屈むたびにスカートが尻のラインに沿って落ちる流線は、なかなかエロかったりする。


「………………はっ!?  俺は何を考えてんだッ」


 美夜がエロいとか、エロいとか…………中学生か!

 しかし聞いてた通りだな。みんな美夜のことを見てる。エロい視線で。

 他人のことは言えないけど……なんか、嫌だな。なんだろう、胸の辺りがもやもやする。なんだこの気持ち。まさか嫉妬か? いや、それこそまさかだな。嫉妬とか……。

 って、なんで美夜のことをこんな意識しなきゃならねえんだ。今は任務中だぞ。



 ――それから、約二時間。カフェラテを二杯おかわりしつつ、美夜の仕事ぶりを見物した。そうして、ようやく動きがあった。

 カウンターからひょっこり顔を覗かせた美夜が、周りに気づかれないように手招きしてくる。

 キッチン横の関係者用通路へ移動すると、美夜は耳元へ口を寄せてきた。思わず身を引きそうになったが、そうでないことに安心して耳を寄せる。


「さっき店長に電話があって、帯刀さん、もうすぐ来るってさ」


 どうやら、廊下奥の勝手口から入ってくるらしい。俺はそれまで、とりあえず廊下脇に設置されている掃除用具ロッカーに身を隠すことにした。

 若干臭うが、ここは耐え忍んで我慢だ。

 数分後。携帯のバイブが二度ほど振動する。美夜からの合図だ。

 裏口の方から足音がし、ややあって店長室の扉がノックされる音。「どうぞ」という女性の言葉の後、その人物の気配が消えた。

 静かにロッカーから出て扉に聞き耳を立てる。が、大した情報も得られず。

 唯一それらしきモノといえば、「お嬢様は猫好きだからな」という一言だけ。

 お嬢様というのは、城崎――神崎のことだろう。猫好きだったのか。しかし俺が知りたいのはそんな情報じゃない。

 まあここへは必要経費や工事日等に関しての話をしに来ただけ。最初から分かっていたことだ。


 だから本当の目的はここから。

 俺は話を終えた帯刀の後をつけ、さらに情報を得るために尾行する。

 なるべく怪しまれないよう一般人を装い、少し離れた場所をついて歩く。

 すると、帯刀は広い大通りから狭い路地へと入っていった。見失わぬよう、角まで急ぎ足で歩く。そっと覗くと、帯刀はどういう訳かまた一本角を折れた。


(あの先は確か……裏路地?)


 二メートルほどの幅しかない細い路地。古めかしい大型の室外機が点在し、ジグザグな道となっている。ウワンウワンと呻るそれらを陰にして、俺は物音を立てぬように少しずつ近づいていく。

 人目を気にしてなのか、中ほどでふと立ち止まる帯刀までおよそ十五メートル。幸いなことに帯刀までの間にある室外機は機能していない。ある程度の距離で俺も止まり、室外機の陰から耳をそばだてる。すると微かに会話が聞こえてきた。


「――試作体01はまだ見つからないのか?」


 試作体? なんの話をしてるんだ。探してるってことは、神崎のことか?

 それにしても試作体って……。


「お嬢様なら心配はいらないだろう。だがあれが暴れ出すと拙い。人数を増やしてでも見つけるんだ。早急に、秘密裏にな」


 それだけ告げると会話を終え、帯刀は電話を切った。


「――それで、なんの用だ?」


 そう言ってこちらを振り返る。まるで俺が尾けていることに、気づいているかのように。

 バレてないはずだ。昔の俺ならいざ知れず、そんな下手くそな尾行はしてない、はず……。


「出てこないのか? そこにいることは分かっている」


 いや、まだ当てずっぽうや気のせいって可能性も――。


「あの店からずっと尾けているな」


 チーンという効果音が今にも聞こえてきそうだ。……完全にバレてる。なんで

だ? 見つかってないし気づかれてないものだと思ってたのに。

 こいつ、相当キレるな。

 俺は観念して室外機の陰から出る。


「私に何か用か、鴉?」

「鴉? なんの話だよ」


 問うと、帯刀はすっと俺の首元、正確にはサマージャケットの襟を指差した。目を落とすと、そこには陽光を反射する、黒い鴉のバッジが燦然と輝いている。

 …………あちゃー。

 尾行だってあれだけ出る前に確認したのに、いつものクセで着けてきちまった。


「なんでも屋が何の用だ」


 詰問する男の黒髪から覗く瞳が、鋭く細められる。

 いまさら取り繕っても遅い。小さくため息をつき、俺は正直に話すことにした。


「別に大したことじゃない。ただ、疑問に思っただけだ」

「疑問? 質問なら手短にしてくれ。私には用があるのでな」

「あんたらお嬢様を探してるんだよな? 失踪ならどうして警察に届け出ない」

「それに答える義理はない」


 まるで取り付く島がねえ。恭介相手にしてるみたいで、なんかこいつもムカつくな。

 背を向けて、今にも立ち去ろうとしている帯刀を呼び止める。


「待てよ。情報が少ないと俺たちにも探しようがないだろ。もう少しくらい話聞かせろ。それに試作体ってなんの話だ?」

「聞こえていたのか――」

「ッ!? 」


 振り返りざまに、帯刀が内ポケットから取り出したのは小型の自動式拳銃だ。しかもなんと用意がいいことに、サプレッサーまで付いている。


「ちょ、なんでんなもん出してんだ!」

「貴様たちは知らなくていいことだ。聞いていたのなら生かしておくわけにはいかない」


 そう吐き捨て、帯刀がセーフティを解除しスライドを引いたので、俺は降参を示すために慌てて両手をあげる。

 稼働している室外機の音もあるため、撃ったとしても大通りまでは響かないだろう。


「いや、聞いてない、聞こえてないあれは空耳だ、きっとそうだそうに違いない!」

「黙れ」

「わあぁあ! 銃口こっち向けんな危ねえだろ!」


 死ぬ! これは死んだ! まだいろいろやり残したことあんのに! クソッ、最後に撮った写メが美夜のラテアートだなんて……。絶対勘違いされるだろ!


「何か言い残すことはあるか?」

「あるけど、全部聞いてくれんのかよ?」


 今まで生きてきた中で経験した不平不満、残された家族、仲間への想い。あと、彼女欲しかったとかいろいろあるのだが……。

 チラと上目で見ると、帯刀は銃を構えたままで肩をすくめた。そこまで懐は深くないようだ。


「ではもう逝け――」


 引金に人差し指がかけられ、弾丸の発射を待つばかりとなった刹那――

 プルルルル。と突然、帯刀の携帯が着信した。銃口はこちらへ向けたまま、男は油断なく電話に応じる。


「私だ。――なに、見つけた? ……分かったすぐに行く」


 電話を切り、そして何故か銃を下ろした。

 安心したのも束の間――バスッという、大きな空気漏れみたいな音と同時に発射された銃弾が、室外機を刹那でぶち抜いた。

 鋭い金属音がファンの音に紛れ消える。


「貴様に構っている暇がなくなった。私はこれで失礼する」そこで一旦区切り、俺に背を向けて、「だが――渚砂お嬢様は必ず見つけろ。そのために生かしておいてやる」


 それだけ告げると、帯刀は走ってこの場を立ち去った。

 死なずに済んだことに安堵の息を吐く。路地の壁にどっと背もたれると、真夏だというのに凍えるくらいの寒気を感じた。

 うるさいくらいに響く鼓動を耳に感じながら、細長い長方形に切り取られた空を仰いだ。


「なんだってんだよ、一体――」


 帯刀が立ち去ってからしばらくし、俺も裏路地を抜けて大通りへ戻った。

 普段ならイラつく喧騒に溢れた通りは、しかし今はどこかホッとする。銃を向けられるってことが、これほど恐怖だとは思わなかった。

 まだ手が微かに震えている。冷や汗でシャツが背中に張り付いている。心拍はいまだ正常に戻らない。

 そんな緊張を解きほぐすため、俺は憩いを求めて国営の公園へと向かった。

 土曜日の昼過ぎ。休日ということもあり、噴水の周囲には子連れの家族なんかが集まり、楽しげに涼んでいる。

 俺はベンチに座り、その幸せな光景を遠くからぼーっと眺めていた。


 平和だな。きっとあそこにいる連中は、世の中に銃を向けてくるヤツがいるなんてことを疑いもしないんだろうな。

 それにしても暑い。大きな木を背にしているため木陰にはなっているけれど、気温だけはどうにもならない。こんなことなら、大通りで配っていた団扇でも貰っとくんだったな。

 少しでも涼むため、胸元をパタパタさせていると――『にゃあ』と背後の植込みから鳴き声が聞こえてきた。一瞬美夜かと思ったが、どうやら本物らしい。


「よしよし、いい子だ」


 そして女の声。こんなクソ暑い中、野良猫と戯れているようだ。

 しかし暑さのせいなのか、その声には元気がない。どころか、息切れみたいな息遣いまで聞こえてくる。猫と我慢比べでもしているのだろうか。

 どんな猫がいるのか気になって立ち上がる。

 振り返り、まず目に飛び込んできた雪原のような髪に、俺は驚愕した。


(長い銀、髪――?)


 いや、今どき銀髪なんて珍しくもない。赤やピンクに染める奴もいるくらいだ。むしろ銀髪なんてのは大人しい方だろう。美夜だって確かウイッグを持ってる。銀色の髪だからといって、夢に出てきた女だと決め付けるのは浅はかだ。

 しかし。真夏だというのにその女が着ていた真っ黒いコートに、デジャブを覚えずにはいられなかった。いや、既視感なんかじゃない。俺はそれを見ている、最初に見た、あの夢の中で。

 思わず息を飲むと、その音に気づいたのか女はこちらを振り返った。

 暑さをものともしないような涼しい表情を張り付けたその顔立ちに、さらに驚愕させられる。


「――城崎?」


 呟きに、女は驚いた様子で立ち上がって、逃げるようにその場から走り去った。

 呆然と立ち尽くす俺は、しばらくその場から動くことが出来なかった――。

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