第六章 さようならは言わない別れを

(1)別れ

 

 

 騎士達が回廊に流れ込んで来た後、神殿は大変な騒ぎになった。


 胸に短剣を刺して死んでいるカトリーレ。そして、同じように胸に大きな傷を負って、抱えられているイザーク。神殿中が上から下にひっくり返るような騒ぎとなったが、特に驚いたのは花嫁の両親であるオルヒデーシュヴァン大公だろう。


 すぐさま娘の無残な遺体に駆け寄ると、かつての婚約者にうり二つの――ましてや、この回廊には本来いるべきではない――女に抱えられているイザークを睨み怒鳴りつけたが、それに激怒したのは、同じく参列していたブルーメルタール公爵夫妻だった。


 いくらかわいい娘が傷ついたとはいえイザークが幼い頃から大切にしていた婚約者を、正式な裁判もせずに処刑したこと。きちんとした申し開きの場も与えずに、一方的に犯罪者と決めつけて殺したのは、公正な王の裁きか。だから、精神的に追い詰められた息子が、このようなことをなさねばならなかったのだ。指をたてて詰め寄る公爵夫人の迫力はすさまじく、冷徹に大公の怒りをはねのける公爵との間で、宮中の勢力は真っ二つに割れて、上を下への騒ぎとなった。


 可愛がっていた孫の突然の死に怒る王。息子と息子の体を抱いていた婚約者にうり二つの女性を守り、はねつける公爵家。真っ向から対立する王家と公爵家の様子に、このままでは国内が二つに割れて内乱が起きるのではないかという話までが飛び交う事態となったが、間に入った王太子の仲裁で、どうにかぎりぎりの状態で食い止めることができた。


 結局最後は、カトリーレの制止を受けて側で見ていた衛兵達が、カトリーレは自害であったことを証言。そして、大公家の自室からリーゼを陥れたことから始まるカトリーレの計略が全て書かれた遺書が見つかったことで、貴族達の感情は、一気にブルーメルタール公爵家とシュトラオルスト子爵家への同情に傾いた。


 罰する理由を見つけられないまま怒っていた大公家も、仲裁する王太子の言葉に頷いて矛を収めざるを得なかったのだ。


 噂では、カトリーレの遺書には「今日こそ恋する人に愛される妻になるの」と嬉しそうに綴られていたというが、対立の間中、ずっと王太子夫妻の預かりとなっていたリーゼには、本当のところはわからない。


 もちろん、落着したとはいえ、愛する娘を失った大公家と、血まみれの息子を見た公爵家の心の底まではわからないが――――。


 そして、半月近くがたった今日、イザークが都を出て行くことになった。


 だから、報を聞いて、急いで王宮の廊下を駆け抜ける。緋色の絨毯が敷かれた廊下は長いが、誰もリーゼの無作法を咎める者はいない。


 衛兵がまばらに立っているだけで、誰もこれ以上騒動に巻き込まれたくはないのだろう。人が近づかない出口に急ぐと、リーゼはばたんと西の扉を開けた。


「リーゼ……」


 これから出発するところだったのだろう。簡素な外套に身を包んだイザークが、扉から飛び出してきたリーゼを驚いたように藍色の瞳で見つめている。


「行くのね……」 


 もちろん、体のよい流罪だ。最初、公爵家は嫡男への処遇に頑強に反対していたが、さすがに騒動の手前、王家もイザークに何の咎めもなしというわけにはいかない。加えて、まだ王の怒りが収まりきらない状態に、公爵家もこのまま息子を都に置いておくのよりはと、安全を保証する王太子が領地で預かることを渋々頷いたのだ。なにより、追放先の辺境が王太子の所領とは言え、実質的に管理しているのが、国務大臣のブルーメルタール公爵だったということで納得したらしい。


 だから、これまで王と大公家から保護するために、また事件の真相を知るために、王太子夫妻の預かりとなっていたリーゼも、やっと見送りを許されてイザークに出会うことができた。


 はあはあと切れる息を整えながら、階段を下りれば、外では、ひひんと馬が寒空に足をかいている。きっとこれから、遠くに旅立つことに気づいているのだろう。けれど、飛び出すように王宮から出てきたリーゼを、イザークは目を開いて見つめ、固まったままだ。


「もう行くの……?」


 見回せば、簡素な旅装で立つイザークの側にあるのは、公爵家の嫡男とは思えないほど少ない荷物の量だ。身の回りに必要なものだけを纏めたのだろう。二つ分ほどの荷物を上に載せられていく馬車も、公爵家の跡継ぎが使うにはふさわしくないほど、質素なしつらえのものを選んでいる。


「――傷は、もういいの?」


 何を言えばよいのかわからない。それだけ、事件から時間があいていた。でも、どうしても尋ねたかったことをリーゼが口に出せば、イザークは前よりも回復した顔色でふわりと微笑む。


「ああ。もうすっかり――とはいかないが、傷口はだいぶ塞がったよ。王太子殿下のご尽力で、軽い処分にしてもらったからね。俺も、殿下の顔を潰さないように行かないと――」


「そう。王太子様は、確かイザークの直属の上司――だったわね?」


 自分が死んでから任命されたので自信はないが、一年前にイザークが王太子殿下の補佐役に任命されたと聞いた覚えがある。公爵家の息子だとしても、まだ政治経験のない青年には、異例の抜擢だ。すると、僅かにイザークは苦笑した。


「殿下とは、小さい頃からよく気があったからね。殿下は、子供ができない王太子妃様お一人をとても大切に愛される方だったから……、同じように婚約者のことを話す俺なら、王太子妃様を守れると選んでくれたらしい」


「そう……」


「だから、気がついておられたようだ。俺の様子が、カトリーレと婚約した頃からおかしかったことを」


 それはきっと勘のようなものだったのだろう。


「それに、子供がない王太子妃様の前で、カトリーレを自慢する大公や陛下にも、苦々しい想いを抱えていらしたようだし」


 だから、今回も間に入って、率先して守ってくれたのだろうか。


「そうだったの……」


 苦笑するイザークの髪が、ゆっくりと冬の空に吹く風に揺らされていく。きっと彼は、これから間もなく、太陽が向かっていく西の方角に旅立ってしまうのだろう。


 だから、一度大きく息を吸い込むと、一年前よりも少しだけ高くなったイザークの藍色の瞳を見上げた。


「私を生き返らせてくれたのは、イザークだったのね」


 少しだけ、イザークの瞳が驚いたように開かれる。


 もう、なにがあったのかはわかっている。それでも。いや、だからこそ。


「ありがとう」


 言えば、少しだけ逸らされていたイザークの瞳が、慌ててリーゼを振り返った。


「そして、ごめんなさい。私、イザークを信じ切れなかったわ。ずっと、私のために頑張ってくれていたのに……」


「いや、元はと言えば、俺がきちんと話さなかったせいだから……」


「もう話してくれる?」


 言えば、少しだけイザークが驚いたようにリーゼを見つめている。だから、リーゼはことんと首を傾げた。おねだりをするように。


「イザークの口から聞きたいの。二度と、変な誤解をしないように――――」


 懇願するように目を伏せると、イザークの視線が俯く。そして、ゆっくりと黒い睫が持ち上がった。その下にある色は、ひどく辛そうな藍色だ。


「一年前のあの日――――君が、俺の目の前で処刑されたのを見てから、しばらくの間、はっきりとした記憶がないんだ。ただ、寝ても覚めても君のことを思い出して――、君のところへ行きたかったけれど、君を殺したカトリーレだけは許せないと思った。だから屋敷を飛び出したとき――突然現れたラッヘクローネが君の死体を連れて、生き返らせることができると告げられたんだ」


「私の死体を?」


 その時の自分は、首を切られて相当に凄惨な状態だったはずだ。しかも、当時を聞いた話を纏めると、死後遺体は焼かれたという。


(それは、かなりむごたらしい状態だったのでは……)


 内心焦るが、どうやらイザークは察したらしい。


「いや、首だけは元の姿に戻して、体に繋げられていた。だから、余計に君の全身を生き返らせることができるかもしれないと希望をもったんだが……」


(待って、待って! それもっと怖い状態じゃない!?)


 首は元通りで、体は焼かれた遺体など自分ならば見られずに目を背けてしまうだろう。ましてや、大切な人なら尚更。


(たとえ、埋葬する時に綺麗な服を着せられていたとしても!)


「だけど、そこまでいためつけられた遺体を生き返らせるのは、俺一人の命ではどうしても足りなかった。ならば、後で真実を君が知っても苦しまないように、カトリーレの命を狙おうと思ったんだが……」


「カトリーレを……。どうして?」


 あの時、自分の無罪を立証するものはなにもなかったはずだ。


 けれど。


「君が生き返った時のことを考えて、君の無罪を証明するものはないかと当時の記録を徹底的に調べ上げたんだ。結果、牢の中で、拷問を受けながらも君が必死にやっていないと訴え続ける記録だけが残されていた。それで確信したんだ。やっぱり、あれはカトリーレが仕組んだ罠だったんだと」


「――信じてくれたの……」


 誰にも届かないと思っていた牢の中の言葉。何度、苦しさに心が折れそうになったかわからない。それでも、イザークを信じて叫び続けた言葉が、時間を越えて、確かに彼の元へと届いていたのだ。


 けれど、イザークは目の前に立ったまま淡々と言葉を続ける。


「俺は――君が、カトリーレを襲ったと聞いた時に、嘘だと咄嗟に思った。君がどんな子かは、俺が一番よく知っている。君は、傷つけられても、いつも必死にギリギリまで我慢ばかりする子だ。だから、これは何かの間違いだと思ったが、反証するだけのものが見つけられなくて……。仕方がないから、カトリーレに直談判に行ったんだが、そこであの契約を持ちかけられた」


「婚約破棄と謝罪――。だから、あの時、必死で私に謝るように言っていたのね……」


「すまなかった。俺がもっとうまく説明できていれば、君を処刑させることもなかったのに……」


 心の底から、悔いているのだろう。生き返ったとはいえ、リーゼに死の恐怖を味合わせてしまったことを。


 だから、リーゼはイザークの辛さを振り払うように、わざと明るく首を振った。


「それは違うわ。カトリーレ様は、最初から私を殺すつもりだったのよ」


 そうだ。今ならばわかる。


 体の奥に入ったカトリーレから伝わってくる啜り泣くような記憶が。


 ――――どれだけ、リーゼになりたかったか。


 美しさも賢さも、人より優れた血筋と未来を持ちながらも、幼い頃から好きだった人には、ただの一度も振り向いてはもらえなかった。


 遠くで笑い合うイザークとリーゼを見つめる、悲しいまでの絶望。


(あなたが、どれほど私になりたいと願い続けていたのか)


 さらりと吹く風に、リーゼのクリーム色の髪が、日の光をあびて薄紅色に輝く。あれから時折、夕暮れや光を受けた時に、リーゼの髪はストロベリーピンクに輝くようになった。


 風に舞うどこかで見たような輝きに、戸惑いながらイザークが口を開く。


「君は……、あの後体の調子は――。体の中にカトリーレを」


 けれど、リーゼはとんとイザークの唇に指を置いた。


「呼ばないで」


 封じるように置かれた指に、イザークの瞳が開く。

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