第27話 告白の返事


 八月も終わりに近づいてきた。

 伊澄と結衣は、時折メッセージで会話をしていたが、会うことはできていない様子だった。

 喫茶店に伊澄が来るたび、現在の様子を聞いていた圭は、これはまたお節介を焼かねばなるまい、と密かに燃えていた矢先のことだ。

 カラン、と乾いたベルの音が鳴り、新しい客の入店を告げる。

 出入り口に向かった圭は、入ってきたのが知人だと分かると軽い口調で出迎えた。


「おっ。いらっしゃーい」

「こんにちはー」

「こ、この前は、すみませんでした」

「いいのいいの。俺から言い出したんだし」


 やって来たのは茉莉と結衣だ。普段と変わりない調子の茉莉に対し、結衣は先日の伊澄と元彼女との一件で店の一部を借りたことを謝った。

 丁寧に頭を下げた結衣だが、元々、店を使うよう言い出したのは店員である圭だ。謝られることではないと苦笑して返せば、茉莉も「だから、気にしないでいいって言ったのに」と呆れた様子だった。

 奥のボックス席に案内しながら、圭はつい、少し前に休憩ついでに来ていた人のことを口に出す。


「ちょっと前、伊澄さんも来てたんだぜ」

「えっ」

「あ、店員さん。お話いいですか? あっちで」


 伊澄の名前を聞いた瞬間、席に座ったばかりだった結衣がぴしりと固まった。

 茉莉は綺麗に笑みを浮かべると、席を立って圭の体を反転させてレジの方へと押しやる。その間も、結衣は固まったままだ。


「今、ちょっとナイーブな時期なの」

「どういうこと? うまくいってるんじゃなくって?」


 伊澄から聞いた話では、会えてはいないが、それなりにメッセージも続くようになって、良い方向に進んでいそうだった。

 だが、実はそうではないのか。だとしたら、進展してると思っている伊澄が少し可哀想だが。


「メッセージのやり取りはかなり慣れたらしいんだけど、だからこそと言うか……こんな自分でいいのかって、ちょっと不安になってるみたいなの」

「ええ……。そっち?」


 まさかの心配事に、これはまた手の掛かる状態になっているなと、漸く我に返った様子の結衣を見た。

 根が真面目な彼女らしいといえば彼女らしい悩みだが、伊澄に好かれているのだから問題ないのではと軽々しく思ってしまった。


「異性にもまだ完全に慣れてないしって、どんどん変な方向に陥っててねー。あんまり名前は出さないようにしているの」

「でも、伊澄さんとは普通にメッセージしてるんだろ?」

「そりゃあね。メッセージは嬉しそうに読んでは返してるとこは見た」

「うん。二人がよく一緒にいるってのは実感した」

「課題があったからね。……はい、これ。この前のお礼代も兼ねて」


 さすがに、四六時中一緒にいるわけではない。ただ、夏休みの課題の関係上、お互いに意見を出し合うためにも、完成までは時間の許す限り一緒にいた気はした。

 おかげで課題は数日前に終わり、今日はその完成品を圭と伊澄に渡すつもりで出てきたようだ。

 差し出された紙袋を「ありがとー!」と礼を言って受け取り、一旦、店の奥に置いてから戻る。


「伊澄さんには?」

「これから。先に持って行こうと思ったんだけど、結衣が緊張しちゃって」

「なるほど。じゃあ、ここはお兄さんがひとつアドバイスをしてあげよう」

「えっ。不安しかない」

「俺への評価の低さよ。……まぁ、見てなって」


 怪訝に顔を顰めた茉莉はあまりにも正直だ。

 圭は少し傷つきながら、結衣の待つテーブルへと戻った。

 ただ、アドバイスをすると言っても、何と切り出すべきか。彼女は店に来たばかりで、まだ何もアドバイスに繋がるような話をしていない。


「んー……よし。まどろっこしいことはやめよう」

「はい?」


 話の切り口を考えていたが、面倒になってしまった。

 突然の大きな独り言に、結衣はきょとんと目を瞬かせた。


「結衣ちゃん。伊澄さんとはメッセージのやり取り続けてるんだって?」

「あ……は、はい」

「伊澄さんもさ、ここに来るたびに嬉しそうに話すんだよ。今まで、彼女の話なんてしたことないくせに」


 改めて言われたせいか、結衣は少し気恥ずかしそうにしながらも頷いた。ここ数日の伊澄の様子について圭が明かせば、耐えきれなくなったのか耳まで赤くして俯いてしまったが。


「あれ、無意識なんだろうけど、俺への牽制なんだと思う」

「牽制って?」

「俺、伊澄さんに気持ちを自覚してもらおうと思って、俺が結衣ちゃんを狙ってもいいの? って言ったことがあって」

「へぇ」

「やだ怖いこの子」


 初めて知った事実にすっと目を細めた茉莉を見て、圭はわざとらしく怯えてみせた。

 だが、茉莉の視線に苛立ちがはらんだところで、咳払いをひとつして話を戻す。


「ああ見えて、独占欲は強いみたいなんだ。だから、結衣ちゃんと会話ができる俺にも釘刺しときたいんだろ。結衣ちゃんの心変わりを心配すると言うより、ちょっかいかけられたくないって意味で」

「そんな……」


 結衣は、そこまで強く想われているとは知らず、肩を縮こまらせた。

 そんな彼女を見て、なかなか上手くいかないなと思いつつ、できるだけ軽い調子で訊ねる。


「結衣ちゃんはさ、伊澄さんのことは好き?」

「えっ!? ……た、多分、好き、だと、思います」

「それじゃあ、好きな人にこんなにも好かれてる自分に、もっと自信持っていいぜ。男嫌いは一朝一夕では直らないだろうけど、伊澄さんが好きって言ってるんなら、今のままでもいいんだって」

「…………」


 誰かに言えるくらい、恋情としての好きという自覚はある。ただ、そんな感情を自分が抱いてもいいのかと、伊澄の横に立ってもいいのかという不安のほうが大きいのだ。

 圭は難しい顔をして考え込む結衣を見て、思わず失笑した。 


「ははっ。ちょっと考えすぎ。『恋』は自分の欲に素直にやるもんだろ」

「自分の欲、ですか」

「そうそう。結衣ちゃんは、もうちょっと我が儘になっていいんだぜ。何せ、両想いなんだしさ」


 根が真面目だからこそ、色々考えてしまうのだろう。ただ、お互いに好きなのだから、もっと気持ちに素直になるべきだ。勿論、これが片想いなら、出方は考えなければならないが。

 そして、圭は結衣の傍らに置いている紙袋を見る。


「『それ』、先に渡してきたほうがいいんじゃない?」

「えっ」

「伊澄さん、首を長ーくして待ってるから。今は店にいると思うし」

「で、でも……」


 仕事中なら邪魔になるのではないのか。ただ、それを言うなら、圭に渡したのも仕事中になるのだが。

 結衣の正面に座っていた茉莉は、小さく溜め息を吐いてから結衣を呼んだ。


「結衣」

「なに?」

「先に渡してきたら、ここでまた色々話し聞けるから。行ってらっしゃい」


 にっこりと、有無を言わせない笑みを浮かべて言う。

 「早く行ってこい」と顔に書いている茉莉を見た圭は、「ナイーブだから気遣えって言ったやつのやることかよ……」とぼやいたが、茉莉は聞こえない振りをした。

 ただでさえ、伊澄のもとへ行くのを後回しにしているのだ。ここで下手に食い下がっても意味がない。

 結衣は渋々、紙袋とバッグを持って席を立った。


「が、頑張ってくるね」

「はーい」


 止めて欲しかったのだろう。席を離れる直前まで茉莉を見ていた結衣だが、勿論、言い出した茉莉が止めるはずもない。

 結衣が店を出た後、圭は強制的に送り出される形になった結衣に少し同情した。

 そんな圭の耳に、信じがたい言葉が飛び込んだ。


「圭さんって、意外とアドバイスできるのね」

「いやぁ、それほどでも。俺も伊達に二十数年生きてな……待って。今のって褒めてる?」

「褒めてる。最大級の褒め言葉」

「素直に喜べねー……」


 圭を見ずに返す茉莉は、本当に褒めているのかと疑いたくなる言い方だ。

 だが、頬杖をついた手の内で、茉莉はこっそりと微笑んでいるのだった。




「うーん……。秋らしく、けど、地味な色合いにならない感じで……」


 花屋の奥にあるカウンターで、伊澄は花のカタログとウエディングドレスの写真を広げてブーケのデザインを考えていた。

 秋に結婚式を挙げるという夫妻からの依頼で、大まかな形は決まっている。あとは、どんな花を選ぶか。

 ドレスのデザインも見ながら、あれでもない、これでもないと悩んでいると、店先から慣れ親しんだ……けれど、久しぶりに聞く声が聞こえた気がした。


「――ああ、伊澄なら奥にいるよ」

「は、はい。ありがとうございます」


 最初は、自身の欲求が招いた幻聴かと思った。

 店先には浩介と陽子が出ており、店頭の花の様子を見ている。その浩介と話をしていたのは、もしや。

 ある人物の顔が浮かんだところで、「伊澄さん?」と望んでいた声で呼ばれ、弾かれたように顔を上げる。

 そこにいたのは、紛れもなく会いたかった少女――結衣だった。


「えっ! 結衣ちゃん!? どうしたの?」


 ドレスの写真が飛んでしまわないよう、カタログに挟んでカウンターから出る。

 結衣は、一気に近づかれたことで反射的に数歩下がってしまったが、途中でハッとして踏み留まった。

 逃げている場合じゃない、と自身を奮い立たせ、まずは突然来たことを謝る。


「お仕事中なのに、すみません。連絡もせずに押し掛けてしまって……」

「ううん、大丈夫。直接、お客さんの対応をしていたわけでもないし、結衣ちゃんならいつでも歓迎するよ」

(わんちゃんだ……)


 上機嫌に迎えてくれた伊澄が、飼い主を待ちわびていた犬のように見えてしまった。

 店先から窺っている店主夫妻も、伊澄が快く迎えた様子に驚いている。

 伊澄の頭を撫でたくなった衝動を抑えつつ、本来の目的を思い出して紙袋を差し出す。


「えっと、その……。か、課題のスイーツが、完成したので……伊澄さんに、と思いまして……」

「完成したんだね。おめでとう! 開けるのが楽しみだなぁ。ありがとう」


 無邪気に笑う伊澄は心から嬉しそうで、それを真正面で見た結衣は心が温かくなるのを感じた。

 ――私、やっぱり好きなんだ……。

 本来なら、このまま喫茶店に戻るところだった。だが、気がつけば口は勝手に動いていた。


「あと、この前の件の……お返事、なんですけど」

「…………」


 まさか、ここで告白の返事を聞くとは思っていなかった伊澄は、紙袋を覗き込んだ姿勢で石の如く固まった。「あ、ハンカチもある」と、袋の中に白い箱と一緒に入っていた見覚えのあるハンカチで現実逃避を試みるも無駄だったが。

 店主夫妻は、小声ながら「返事だって」「伊澄ちゃん、告白してたの?」と声を弾ませている。客がいないのが幸いだ。

 そんな店主夫妻が見える伊澄は、ここで言われるのかと冷や汗を流しはじめた。良い返事ならまだしも、悪い返事だったなら。

 当の結衣本人は、店主夫妻を背にしているせいか、気にすることなく言葉を続ける。


「圭さんから、伊澄さんが好きって言ってくれているなら、自分に自信を持って良いと……もっと、我が儘を言ってもいいと言われまして……」


 つい先ほど、喫茶店で圭に言われたことが結衣を後押しした。

 公共の場で話すようなことではないと分かっているが、話し始めた口はもう止まらない。


「それで、我が儘ってなんだろうって考えてたら、私……また、前みたいに伊澄さんとお出掛けしたり、したいなって思いまして……」

「…………」


 告白以降、メッセージのやり取りはしても、お互いに忙しくて会えなかった。だからこそ、何処かに出掛けるという行為は我が儘になるのではと思ったのだ。

 しかし、それを阻むのは、「迷惑を掛けたくない」「嫌な思いをさせたくない」という結衣の気持ちだった。


「けど、今の私は、まだ男の人が苦手で、まだ子供なので……いっぱい、苦労をおかけすると思うんです」


 ぎゅっと手を握りしめた結衣は、不安を滲ませた顔で伊澄を見上げた。

 一生懸命に想いを伝えてくれているのが分かり、伊澄は胸が熱くなるのを感じる。


「こんな私ですけど、いい、ですか……?」

「…………っ!」


 紅潮した頬、潤んだ目で言われ、本能と理性がぶつかった。

 好きな人から告白の返事を……それも本当に自分でいいのかと言う意味で返されて、果たして「ノー」と言えようか。そもそも、伊澄は結衣が異性を苦手としているのを知った上で告白しているのだ。その点については、今さら気にするところではない。

 伊澄は一度、気持ちを落ち着かせるために結衣に背中を向け、カウンターに両手をついた。紙袋をそっと置けたのは、なけなしの理性が勝った証だ。


「場所が、場所だから、自重するけど……でも、今すぐぎゅってしたい気分……!」

「伊澄ちゃん、私達見てないからいいわよ」

「こっち見て言う台詞じゃない……!」


 葛藤する伊澄の背中に、陽子の嬉々とした声が投げかけられたが、完全に見ているからこそ言っているのである。

 だが、それによって平静を取り戻すことは出来たため、内心でこっそりと感謝した。


「はぁ……。じゃあ、ぎゅっとするのはまた今度に取っておくとして」

「また今度……?」


 なくなったわけではないのか、と遠回しに突っ込みを入れた結衣だったが、伊澄としては許容して欲しいところだ。勿論、怖いと言われれば抑えるつもりだが。

 そして、伊澄は結衣に向き直ると、気持ちを切り替えて言う。


「俺は、今でも変わらず結衣ちゃんのことが好きだから、苦労だなんて感じないよ。逆に、俺で慣れてくれると嬉しいかな」

「伊澄さんで、慣れる……」


 何となく、伊澄の最後の言葉を繰り返してしまった。

 確かに、付き合うとなれば自然と接触も増えるだろう。それを考えた瞬間、結衣は顔に熱が集まるのを感じて俯いた。

 そんな結衣を見てはにかんだ伊澄は、片手を結衣に差し出す。


「これからよろしくね? 結衣ちゃん」

「こ、こちらこそ……よろしくお願いします」


 手を握り返す勇気はなく、伊澄の指先を軽く握る程度になってしまった。

 今はそれだけでも心が満たされた気がして、結衣はそっと息を吐く。

 すると、伊澄は何かを思い出したかのように声を上げた。


「あ、そうだ。……結衣ちゃん、これあげる」

「……これは?」


 伊澄はカウンターの片隅にあった水色の箱を取ると、結衣に手渡した。

 青いリボンで綺麗に留められた箱は、当然ながら中身の見当はつかない。

 素直に中身を訊くと、伊澄は少し迷った後、結衣のこの後の行き先を確認する。


「これから、圭のとこに行ったりする?」

「はい。茉莉ちゃんが待ってるので」

「なら、圭もいるだろうし、そこで開けてみて」

「ここじゃ駄目なんですか?」


 何故、圭がいる所なのだろうか。

 小首を傾げつつ問えば、伊澄はちらりと結衣の後ろを見てから視線を彼女に戻し、苦笑を浮かべる。


「あー……うん。ギャラリーがちょっと多いかな」


 ギャラリー? と振り返った結衣は、こちらを見ていた店主夫妻と目が合ってぎょっとした。

 見ていたのがバレたと分かるなり、二人はいっそ開き直ったが。


「つれないわねぇ」

「あとで圭君に写真送ってもらおう」

「そうね! それがいいわ!」

「待って」


 意気揚々とした店主夫妻を止めたのは伊澄だ。

 甥の進展に心を弾ませる二人が微笑ましく、驚いて固まっていた結衣はくすりと笑みを零して言う。


「それじゃあ、急いで喫茶店に行きますね」

「結衣ちゃん!?」

「お菓子、また感想聞かせてください。それじゃあ、失礼します」


 伊澄が制止する前に、と結衣は花屋を後にした。

 渡された箱は軽く、中に物が入っているのかと疑問に思うほどだ。ただ、圭に見てもらえば何か分かるのだろう。

 期待に胸を躍らせながら、結衣は喫茶店に戻った。




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