第18話 二人の抱く想い


 水族館に行った翌日。

 連休を取っていた伊澄は、お土産を片手に圭のいる喫茶店に向かった。

 だが、入店してすぐ目に入った圭は、伊澄を見るなり浅い笑みを浮かべた。


「いらっしゃいませー。リア充一名様ご案内でーす」

「ちょっと待って」


 どんな案内の仕方だ。

 レジにいた店主の妻は、意味をよく分かっていないのか微笑ましそうにするだけだった。もしくは、二人の仲の良さに何も言うまいと思ったのか。

 注意する気にもならなかった伊澄は、「これ、良かったら」と彼女にお土産を渡して圭の後に続いた。

 案内されたのはいつもと同じの窓際の席だ。


「昨日、良い感じだったじゃん。あれからどうなったの? プレゼントまで渡しちゃって」

「一部始終見ているじゃないか……。はい、これ」

「駅まではついて行ってませーん。ありがとうございまーす」


 ばっちりと最後のところまで見ている圭に呆れつつ、彼に買っていたお土産を渡す。

 軽い調子で言った後、しっかりと礼を言って受け取った圭だったが、何を渡されたのかと確認するなり微妙な顔つきになった。


「げっ。何これ『海藻キャンディ』?」

「こういうの好きそうと思って」

「俺、まだハゲの心配してないんだけどな……」

(まだ……)


 圭のお土産は、水族館限定と謳っていた海藻を混ぜた飴だ。薄緑色の飴は海藻を細かくした物が入っており、美味しいかどうかは分からない。

 結衣へのプレゼントを買う口実にしたものの、伊澄としては圭の好みそうな物を買ったと自負している。これまでもそうだったが、先日のゲームセンターでは腹を押せば寄生を上げる鶏のおもちゃを率先して取っていたくらいだ。

 無意識に頭を触っている圭を見た後、厨房にいるであろう店主を思い出す。圭の祖父を。

 ロマンスグレーの髪は少ないとは思わないが、表に見せていないだけなのか。

 思わず考え込んでしまっていた伊澄に、圭は飴の袋を眺めつつ言う。


「で? 手まで繋いで送ったその心は?」

「心……?」

「なぞかけじゃないぞ。今まで、伊澄さんって人前でスキンシップ取るようなことしなかったじゃん」


 怪訝な顔をした伊澄が言うより先に釘を刺し、これまでの彼の交際模様を振り返る。

 伊澄本人も自覚はあるが、確かに、人前で手を繋ぐというのはほとんどなかった。相手からされることはあったが、自分からは初めてだ。


「もう一回聞くけど、結衣ちゃんのことどう思ってるの?」

「……い――」

「妹はもうなしな」

「…………」


 言おうとしたことを先に遮られ、他に返す例えがなくなってしまった。

 圭はじと目で伊澄を見下ろしており、居心地の悪さを感じた伊澄は窓の外へと目を向ける。

 手を繋いで歩く人が親子、恋人とやけに目につき、そっとテーブルへと視線を戻した。結衣と繋いだ左手が、じんわりと熱を持ったように感じる。


「もっかい言うけど、俺にヤキモチ妬く時点でそうなんだから、難しく考えないでさっさと認めちゃえばいいんだって」

「……でも」

「ちょっと待ってろ!」


 まだ食い下がる気配を見せた伊澄を再度遮り、圭は海藻キャンディの袋片手に厨房へと消えていった。さすがに、仕事中にお菓子の袋を持っておくのはおかしいと思ったのかもしれない。ついでに注文を聞いていってほしかったが。

 少ししてから戻ってきた圭の手には、白いカップを乗せたソーサーがあった。


「今日は俺の奢り! というか、勝手についてってごめんなさい料!」


 伊澄の前に置かれたカップからは、芳醇な香りが湯気と共に広がる。

 注文を言っていないが、伊澄がいつも頼んでいるコーヒーだ。ただ、夏場の今はホットよりアイスのほうが嬉しいが。


「なんでわざわざホットにしたかって?」

「え」

「それをゆっっっくり飲んで、じっっっっくり考えること! じゃ、俺は仕事戻る!」


 なぜ、ホットなのかと顔に出ていたようだ。

 圭は吐き捨てるように言うと、さっさと伊澄のテーブルを離れて仕事に向かった。

 いつもならまだ雑談をしていくところだが、どういう風の吹き回しか。珍しいこともあるものだ、と思いつつ、出されたコーヒーを一口飲む。


「……熱っ」


 確かに、これは少し冷めるまで時間が掛かりそうだ、と伊澄は後輩の気遣いに苦笑を零した。



   □■□■□■



「それ、伊澄さんから?」

「えっ!?」


 アクアリウム展に行ってから二日後。

 茉莉の部屋にて、再度、課題のスイーツを作っていた結衣は、唐突な質問に驚いて持っていたボウルを落とした。

 幸い、すぐ下がテーブルだったため、派手な音を立てただけに留まったが、ひっくり返していたら中で混ぜていたゼラチンが惨事を引き起こしていただろう。

 落ちた弾みで揺れていたボウルの縁を押さえつつ、結衣はまだ少し顔が赤いまま謝った。


「ご、ごめん……」

「大丈夫。でも、それだけ慌てるってことは、伊澄さんからで合ってる?」

「…………うん」

(まぁ、ホントは知ってるんだけど)


 思い出したのか、さらに顔を赤くした結衣は少しの間を空けて頷いた。

 最も、水族館の件については、茉莉はついて行っているので知っているのだが、どうやら伊澄はついて来ていたことを言っていないようだ。

 結衣は貰ったバレッタに触れた後、一昨日の帰りを思い出す。アクアリウム展では理由も聞かれず助けられ、帰りにはプレゼントまで貰ってしまった。さらに、アクアリウム展内だけでなく、駅までの道のりでも手を繋いでいた。

 帰り際、自ら伊澄に触れたのは、別れるのがどうしようもなく寂しくなったからだ。


「プレゼントまでされたってことは、そういう方向になったってこと?」

「ち、ちがっ……! そういうのじゃ、なくて……」

「うん?」


 尻すぼみになる言葉を必死に拾って意味を考えるが、色恋に繋がらないのであれば何なのか。茉莉から口には出せないが、手まで繋いでおいて。


「成長しているから、そのご褒美って」

(聞き方によってはすっごいやばいんだけどな……)

「だから、茉莉ちゃんが思ってるのとは、ちょっと違う、と思う」


 よくも「ご褒美」などと口に出せたものだと、伊澄に呆れを通り越して感心すら抱いてしまう。

 結衣も複雑な表情をしているが、それは恥ずかしいからなのか、それとも期待していた物とは違うかったことへの惜しさか。


「結衣は、伊澄さんのことどうなの?」

「どうって……」

「男の人として好きじゃない?」

「……分からない」


 水族館で見た、かつて密かに憧れていた先輩の顔が浮かんだ。

 穏やかな顔の裏に隠された激情は、気の弱い結衣にとっては何よりも恐ろしい物だった。

 伊澄にそんな一面があるとは思えないが、どうしても踏み出せない。

 力なくボウルを見つめる結衣を見て、茉莉は自分に何か協力できることはあるだろうかと考える。そして、少し日が経ってしまった約束を思い出す。


「この前のお菓子、圭さんにあげたじゃん。その後って、何か作って持って行った?」

「ううん。何も」

「よし。じゃあ、これ出来たら一緒に持って行こう」

「えっ?」


 前回、お菓子を作ったとき、茉莉は結衣一人を向かわせた。その結果、接客中の伊澄に気を遣って近づくことができず、お菓子は圭に渡して帰ってきている。

 今作っているのは、課題のスイーツの試作だ。前回からはがらりと変えて、青く色づけしたものと透明な層の二層仕立てのゼリーにする予定で、今回は中にさくらんぼを入れる。ただ、このさくらんぼを別の物……例えば、金魚を模した寒天にするか、フルーツを飾り切りして入れるかはまだ悩み中だ。

 唐突な予定に戸惑う結衣を見た茉莉は、ふと、結衣が持ってきたバッグに付いていた猫のキーホルダーを思い出した。そして、にっこりと笑みを浮かべて言う。


「結衣ってさ、伊澄さんに前もキーホルダー貰ってたでしょ?」

「う、うん」

「でも、お返しって、渡したことないでしょ?」

「うっ」


 密かに気にしていたことを指摘され、言葉に詰まった。

 猫のキーホルダーはかなり気に入っていることもあり、夏休みに入ってからは、学校に行くときに使っているカバンから普段使っているバッグに付け替えている。

 いつかお礼ができれば、と結衣もずっと気にしていたのだ。その機会が、まさか突然来ることになるとは思いもしなかったが。

 茉莉は笑みをさらに深くした。


「『これ』のお礼ってことで、さくっと渡しちゃおう」

「あ、明日とか……」


 せめて、心の準備が欲しい。

 そう思って懇願するように言った結衣だが、茉莉はそれを許さなかった。


「だめ。明日はあたしのバイトが本当にあるから」

「『本当に』?」

「あっ。ううん。言葉のあやよ」


 危うく、水族館の日はバイトしていないとバレてしまうところだった。

 茉莉は、未だに頭上に疑問を飛ばしている結衣を見て、これ以上追究される前に、と止まっていた手を急かした。


「ほら、そうと決まったら手早く作っちゃおう!」

「……分かった」




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