第三話 蝶々 2

 彼女らは踊り子なのだという。


 道理で、ひらひら綺麗だと思った。まるで蝶のように美しく、艶やかだ。


 ククルの別に面白くもない話に、いちいちさざめくように笑う彼女達。それは別に不快ではなく、むしろ心地良かった。


(何でだろう。ぼやーってして来る)


「そういえばユルは?」


 先ほどまで隣に居たと思ったのに、ユルは居なくなっていた。


「まあまあ、姫様。それよりこの飲み物をお飲みなさい」


「こちらの珍しい果実も」


 少女達にもてなされて美味しい食べ物や飲み物に夢中になる内に、ククルはユルのことをすぐに忘れてしまった。


(へへ、姫様だって。照れちゃう。ふああ、それにしても眠い)


 こくりと船を漕ぎ出したククルの周りで、少女達がまたも笑いさざめいた。




「どういうつもりだ」


 一方、ユルは庭でウイと名乗った少女と対峙していた。


「若様。そんな怖い顔しては嫌よ」


 ウイは手を伸ばして来たが、ユルはその手をためらいなく振り払った。


「答えろ。あいつの指示か?」


「いいえ。私共は若様が心配だっただけです」


「嘘つくんじゃねえ」


 ユルの怒りの表情にも怯むことなく、ウイは艶やかに笑む。


「姫君があなたを心配していることは、事実です。何故、あんな娘の兄になどなったのですか」


「てめえにゃ関係ないだろ」


 ユルは吐き捨て、庭に咲き誇る鮮やかな花々から目を逸らした。


「早く、姫君のために帰りなさい」


「うるせえぞ!」


 ユルはウイを平手打ちしようとしたが、ウイはひらりと避けた。


「仕置きが必要ですか?」


 ウイが目を細めた途端、ユルは皮膚が粟立つ心地がした。


「……もちろん、あなたには何もしますまい。姫君を哀しませたくはない」


「まさか、あいつに……!」


 ユルは舌打ちして、慌ててククルが留まった部屋まで駆けた。




 一方ククルは、自分が花の咲き誇る場所に居ることに気付いた。


(ここ、どこ……?)


 一面の花畑。赤い花が目に眩しい。


「ククル」


 呼ばれて振り返ると、ティンが居た。


「兄様?」


「こちらにおいで、ククル」


 ティン自身は花畑の中ではなく、海に足を浸しながら手招きしていた。


「兄様……。行くってどこへ?」


「ククルの行きたいところへ。どこでも連れて行ってあげよう」


 ティンはククルが大好きな、あの優しい笑みを浮かべた。もう心配ないよと言ってくれている笑顔。


 漁から帰って来て、真っ先にククルに見せてくれた笑顔だった。


 そこで、ククルはハッとする。


「兄様は死んだのに、どうしてここに居るの?」


 その一言で、ティンの笑顔が冷たい表情にすり替わった。


「馬鹿な子ね。せっかく、お前の大切な者の姿で現れてやったのに」


「――兄、様?」


 違う。ティンではない。目の前のものから流れ出る声は、女のものだった。




 ユルは女達を押しのけ、床に横たわるククルに駆け寄った。


「おい、馬鹿! 起きろ!」


 揺さぶっても、まぶたが開かない。ユルは舌打ちして、ククルの頬を平手打ちした。


「起きないと、連れて行かれるぞ!」


 ユルは必死に言い募ったが、ククルは起きてくれなかった。




 ククルが異常に気付いて逃げようとした時、どこからか声が聞こえる気がした。


 ――返事しろ!


「……ユル?」


 ――本当に鈍いなお前は! 今すぐ、オレに神の力を送れ。じゃないと、お前は死ぬぞ!


「ええ!?」


 ククルは仰天したが、ユルが冗談でそんなことを言わないと知っていたし、この状態は確かに異常だった。だから、ククルはわからないながらも、祈りを捧げた。


 海の方には、敢えて振り向かなかった。




 力が満ちるのがわかり、ユルは鉈を構えて女共に向き直った。


 ウイが、ユルの前に進み出る。


「その力は……」


「へっ、驚いたか? さっさとうっとうしい呪いを止めないと、てめえら全員命はないぞ」


 ユルは一応警告した後で、彼女達を一閃した。ウイだけがその攻撃を避け、他の者達は悲鳴をあげて赤い花びらへと変わった。


「何だ、正体は単なる花びらだったのか。道理でそっくりなはずだな」


 ユルは肩をすくめた後、ウイを睨み付けた。


「覚悟は良いか、毒蛾。今のオレはお前を難無く殺せるんだ」


「若様。私を殺めれば、姫君が哀しみます」


 ウイは焦った様子も見せず、艶然と微笑んだ。


「あいつが哀しんだって、オレの知ったことじゃねえよ」


 怯まないユルの様子を見て、ウイは深々と息を吐いた。


「――わかりました。少女への術を解きましょう」


 


 ククルが目を覚ますと、しわくちゃのお婆さんがククルを見下ろしていた。


「……梅干し」


「何じゃと?」


「いえ、何でもありませんです」


 ククルは変な敬語を使いつつ、ゆっくり起き上がった。近くにユルがあぐらをかいて座っていることに気付き、少しホッとする。


「ユル。あれ、ウイさんや女の子達は?」


「あれは夢だ。オレ達は夢に捕まったんだ」


 何を言い出すのだろう、とククルは眉をひそめた。


「本物のウイは、このババ……いや婆さんだ」


「ふぉふぉふぉふぉ」


 お婆さんは、にこにこ笑っている。


「またまたあ。冗談きついよ、ユル」


 ククルは一笑に付したが、ユルもお婆さんも動じなかった。


(……ってことはまさか)


「ほ、本当にお婆さんがウイさん!?」


 先ほどのウイとは大違いだ。


「そうじゃぞ。よく来なすったなあ。有難や有難や。ティンが死んだのは残念じゃがなあ……なかなかお前も男前じゃて」


「暑苦しいぞ。婆さん、離れろ」


 ユルは迷惑そうに、しなだれかかるウイを押しやった。


(そういえば、兄様と来た時にボケ気味のお婆さんが居たような……)


 しかしいかんせん昔のことなので、記憶は確かではなかった。


「さっきまで、綺麗な蝶が居たんじゃけどなあ。どこぞに飛んで行ってしまったようじゃ」


 蝶という単語を聞くなり、ユルは面白くなさそうな表情になった。


「あれは蝶じゃなくて、毒蛾だ」


 奇妙なことを言う、と思いながらもククルは首を傾げる。


「本当に夢だったのかな……。あんなに舞も、綺麗だったのに」


 彼女達が披露した舞は、鮮やかに目に焼き付いている。


「何、わしの舞が見たいとな?」


 お婆さんは勝手に合点して、ふらふら舞い始めた。


「若い頃は、琉球一と言われ~」


 聞いたこともないような歌を自分で歌いながら、よたよた踊り続けている。


「お前さあ、ここ来たことあるのか?」


 ユルが、そっと聞いて来た。


「うん、多分。思い出して来た」


 捕まったら強制的に舞の特訓をさせられるという噂があったので、ティンは挨拶をした途端早々に出発したのだ。


 そのことをユルに小さな声で言うと、ユルは渋い顔になった。


「……もう夕方だぞ」


「ありゃ。今日はここに泊めてもらうしかないか」


 舞の特訓をさせられないように、祈るばかりであった――が、甘かった。




 ウイの集中特訓でくたくたになってしまったククルは、倒れ込むようにして布団に入った。


「何てあのお婆さん元気なんだ……」


「呼んだかい?」


 当のウイの声がして、ククルは慌てて起き上がった。


「すまんのう、驚かせて。ちょいと、聞きたいことがあってな」


「はあ。何ですか?」


 ククルは少し、首を傾げた。


「あの男の子は、どこから来たんだい?」


「……わかりません。ばば様が急に連れて来て」


 ククルの説明に、ウイは唸った。


「妙な話だねえ。いきなり連れて来て、兄にするなど」


「私も変だと思ったんですけど……ユルも、何も言ってくれないし」


 戸惑うククルの肩に、ウイの手が置かれた。


「気を付けるんだよ」


 しっかりとした視線が、ククルの目を真っ向から貫く。


「どうもあの子は、危険なものを持っているように思える。気を付けなさい」


「……はい」


 掠れた声で、ククルは返事を口にした。


(ユルが、危険?)


 脳裏に浮かぶは、ユルとティンの姿だった。



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