第二話 巫女 2

 家から出た瞬間、ユルは吐き捨てるように言った。


「いけ好かない女だな」


「ユル!」


 ククルが思わず叱っても、ユルは鼻を鳴らすだけだった。


「何だよ。お前もそう思ったんだろ?」


 言い返せなかった。確かに、ククルとユルがノロの家から来たと知った後のフイニが取った態度は、好ましいものではなかったからだ。


「やっぱり、ノロとユタって仲悪いのかなあ」


「そうなのか?」


「うーん。うちの島には、ノロしか居なかったからわかんないんだけど。この集落には、元々ユタが二人居たんだって。でも、おばさんの血筋はうちの血を引くから、聞得大君からノロと認められたらしくて」


 ククルは祖母から昔聞いた話を、歩きながら語った。


「でも、もう片方……つまりフイニさんの家はユタのまんまだったわけ。それでやっぱり王国が認めたってことで、ノロに頼る人が多くなっちゃったんだって」


 この話は、昨夜おじに聞いた話だ。


「ノロだと認められるまでは、どうだったんだ?」


「上手くやってたみたい。そもそも、二つの家ってかなり離れてるじゃない?」


「そういえばそうだな。それぞれ、担当の地域が分かれてたんだな?」


 ユルはピンと来たらしい。


「そういうこと」


 ククルの島には集落が一つしかなかったが、ここにはいくつか集落があるらしい。ここは島で一番大きい集落のようなので、ユタも二人要ったのだろう。


「つまり、ノロが仕事を取ったってか。でも、それにしちゃあ客が多そうだったな」


「だよね」


(おじさんやおばさんの、単なる勘違いなのかな)


 市場に辿り着いたところで、ユルが歩みを止めた。


「今のうちに、買い物しとくか」


「うん」


 出発は明後日の予定だったが、今日買っておいて悪いこともないだろう。


 頷き合った二人は、雑踏に呑まれて行った。




 フイニのことを語ると、おじもおばも随分と驚いていた。


「代替わりしてたとはなあ」


「付き合いが、あんまりないからかしら。知らなかったわ」


「ばあさんが死んでるとはなあ……一足遅かったか。二人共、すまなかったね」


 謝られ、ククルは首を振った。




 ククルは布団に横たわり、目をつむる。遠くに聞こえる潮騒を聞きながら、胸が騒ぐのを覚えた。


(あ、今夜はニライカナイが近いんだ……)


 ククルは布団から抜け出し、庭に出る。遠くに、月に照らされた海が見えた。


 兄との思い出が、脳裏に蘇って来る。


『ククル、こんなところでどうしたんだい?』


 ある夜、ふらふらと浜辺に来てしまったククルを心配して、ティンが追い掛けて来てくれたのだ。


『兄様。どうしてだろう。胸が変な感じなの』


 夜の海を見ながら首を傾げるククルはその時、とおぐらいだっただろうか。


『変な感じ?』


『海の方を見ると、どきどきするの』


 水面の揺らめきや潮騒に、どうしようもなく胸が騒ぐのだ。これが初めてではなく、時折こうした感覚に襲われることがある。


『ああ――なるほどね』


 ティンは優しく微笑んだ。


『それはね、ククル。ニライカナイが近いからだよ』


『ニライカナイが?』


 ニライカナイは、神が住むと言われる異郷だ。


『ニライカナイはとても遠いところだけれど、たまに近くなるんだ。波が打ち寄せるように、私達の世界に近付くんだよ』


 ティンの説明に、ククルは目をぱちくりさせた。


『ククルは、神の血を引いているからね。神の故郷であるというニライカナイが近付けば、お前の血が騒ぐのだろう』


『そっかあ。じゃあ、兄様の血も騒ぐの?』


『――そうだね』


 ティンは、神秘的な笑みを浮かべた。ティンのこうした不思議な笑顔を見る度、ククルは自分の家が神の血筋であることを確信するのだ。


『さあククル、家に入ろう。寝不足になってしまうよ』


『はいっ』


 兄に手を引かれ、ククルは歩き出す。途中で海を振り返ると、また切なくて懐かしくて――そんな感情で涙が溢れた。




「兄様……」


 懐かしい思い出に浸りながら、ククルは涙を堪える。


 ニライカナイは神の国でもあり、死者の国でもある。ニライカナイが近いなら、兄の霊魂も近くに在るのだろうか。


 兄様に、会いたい。


 ククルはその一心で、海を見つめ続けた。




「――ククル」


(誰かが呼んでいる。兄様……?)


「おい、馬鹿。起きろ愚図」


(違う。兄様じゃない。兄様は、こんなに口が悪くない)


 ようやっとククルは重い目を開けた。


「ユル……?」


 ユルが、ククルを見下ろしていた。


「お前一体、いつまで寝てるんだよ」


「ええ? ……まさか、お昼?」


「昼、一歩手前だ」


「ええええ!」


 ククルは跳ね起き、青ざめた。


「起こしてくれたら良いのに」


「何回も起こしたぜ?」


 ユルは呆れているようだ。


「昨日夜更かししたからだ……」


 結局部屋に戻ったのは、真夜中になってしまったのだ。


「おじさんとおばさんは?」


「オッサンの方は、漁に出た。おばさんの方は……大変みたいだぜ」


「え?」


 ククルは目を見開いた。


「とにかく着替えろ。待っててやる」


 ユルはそう言い残し、部屋から出て行ってしまった。


 ククルは慌てて着替え、廊下で待っててくれたユルに合流する。


「大変って、どういうこと?」


 廊下を早足で歩きながらククルは問うが、ユルはただ首を振った。


「見ればわかる」


 共におばの部屋を覗くと、何人もの人が苦しそうにのた打ち回っていた。


「あらククルちゃん、ユルくん。ちょうど良かったわ!」


 彼女は疲れたように、こちらに駆け寄って来た。


「協力してもらえないかしら。私の手に負えないの。悪霊が取り憑いてることはわかるんだけど……祓おうとしても、出て行かないのよ」


「え……?」


 ククルは改めて人々をじっくり見て、息を呑んだ。


 おばの言う通り、悪いものが彼らに憑いているようだ。


「ん?」


 ユルが首を傾げた。


「どうかした?」


「見てみろよ。何人か、見覚えあるだろ」


 促され、ククルは人々を見る。そういえば、どこかで見たような気がする。


「昨日、フイニさんのところに居た人達……?」


「どういうことだろな」


 ユルは眉をひそめたが、すぐにククルに向き直った。


「祓い方、知ってるのか?」


「うん。悪霊を体から出して、刀で斬るの」


「へえ……」


 ユルは不思議そうに首を傾げた。


「もちろん、ただの刀じゃ斬れないよ。妹が祈って、神の力を帯びた兄の刀で斬るんだよ」


 早速、とククルは一歩進み出たが、お腹が大きな音で鳴ってしまい、ユルもおばさんも呆れたようにククルを見た。


「そ、その前に腹ごしらえさせて……」


「こっち来い。お前の分の朝食、置いてあるから」


 ユルに促され、ククルは顔を真っ赤にしてユルの背中を追った。




 大急ぎで朝食を済ませた後、ククルは苦しむ一人に近寄った。


「何か、変」


「変って何がだ?」


「確かに悪霊に取り憑かれたみたいだけど、何か違う気がする」


 ククルはまだノロの仕事をしていなかったとはいえ、ティンと共に兄妹の力を使って悪霊を祓ったことはある。だから、苦しむ人の様はよく覚えている。


 憑くということは、乗り移るということだ。しかし、今回はそんな感じがしないのだ。


「ユル、フイニさんのところに行ってみようよ」


「それで、何かわかるのか?」


「自信ないけど……」


 昨日フイニのところに居た人達ということが、どうも引っ掛かっていた。


「でも確かに、あの女は変だ。行ってみるか」


「うん。おばさんに言って来る」


 ククルは必死に人々を癒そうとしているおばに、出掛ける旨を告げに行った。




 二人は昨日と同じ道を辿り、目的地にて愕然とした。


「何だ、ここは……」


 ユルは呆然と呟き、荒れ果てた屋敷と庭を見やる。


 ククルは理由もわからぬ恐怖に蝕まれ、がくがくと震えた。


(怖い……)


 ククルは迷った後、立ちつくすユルの手を握った。驚いたように振り返られ、ククルは泣きそうな顔で囁く。


「ごめん……。少しだけ、こうさせて」


 ククルは神の力を具現化出来るためか、感受性も鋭く恐怖も人一倍強く受けてしまう。そういう時は、兄が手を握ってこう言ってくれたのだ。


『こうすれば、ククルが一人じゃないってわかるからね』


 恐怖を感じているのは自分だけではない。そう思うだけで、恐怖は半減した。


『私とククルは、二人居て初めて力を発する。だから恐怖も二人で分かち合おうか』


 ユルは、怒るだろうか。今もティンを思い出していると知ったら。身代わりにされたと思うだろうか。


 だが、ユルは手を握り返しただけで何も言わなかった。


「――何か感じるのか」


「うん。何て言うんだろう。悪い気みたいなの、感じる」


「どこからだ?」


 ククルは目をつむって、己が感じる恐怖の源を探った。


「……家の中から」


「行ってみるか」


「うん」


 二人は手をつないだまま、家の中に足を踏み入れた。



 家の中は荒れ果てていた。まるで誰かに、打ち壊されたように。


(それに、酷い臭いがする……)


「おい、見てみろ」


 ユルが指した先には、死体があった。朽ちて久しいようで、服はぼろぼろで腐臭が凄まじい。胸や腹に残る惨い傷が正視出来ず、ククルは目を逸らしてしまった。


「これは、ばあさんだな……」


「う、うん」


 そこで二人は顔を見合わせる。


「フイニは、どうして死体を放っておいたんだ?」


「待って。フイニさんって、本当におばあさんの娘だったのかな?」


 ククルの言葉に、ユルは顔をしかめる。


「違うって言うのか?」


「違うと思う。だってユル、おかしいと思わない? 昨日の今日で、この家がこんなに荒れ果てるはずないよ。大体、私達は昨日ここに通されて待たされたんだよ?」


 すっかり様子が違ってしまっているので気付くのが遅れたが、今二人と死体が居る場所は昨日通された部屋だったのだ。


「オレ達は、実際の家じゃなくて幻の中に足を踏み入れてたってのか――」


 ユルは改めて室内を見回し、表情を引き締めた。


「あれが幻ならば、あのフイニも?」


「というか、フイニさんは幽霊だと思う……」


 その時、ククルはあまりの悪臭で気が遠くなってふらついてしまった。ユルが手を引いてくれたので倒れずに済んだが、気分が悪くて吐きそうだ。


「とりあえず、外に出るか」


 ククルは片手で口を押さえ、ユルの言葉にただ頷いた。


 外に出るとようやく落ち着き、ククルは深呼吸を繰り返した。


(一体、何がどうなってるんだろう……)


 すると、そこで思い出したことがあった。


(そういえば昼寝していた時、誰かに見下ろされているような気がしてたんだっけ……)


 ぞわりと、皮膚が粟立つ。


(もしかして、あれはフイニさんだったんじゃ――)


 しかし、何故?


「おい」


 ユルに呼び掛けられ、ククルは我に返った。


「お前の力は、周りに影響を与えたりはしないのか?」


「私の力が?」


 ククルは、それで昔ティンが言っていたことを思い出した。


『ククル、気を付けないといけないよ。お前はニライカナイの血を引くから、悪いものに力を与えることもあるんだよ』


『悪いもの?』


『ニライカナイに行かなくてはならないのに、この世に未練があって留まっている死霊だ。神と霊はある意味近しき存在。お前の力は、死霊にとっても心地良いらしい』


(――私は兄様の言った通り、幽霊だったフイニさんに力を与えたのかもしれない)


 見下ろされる感覚を思い出す。あの時に、目を付けられたのだ。


(彼女は、私の力が欲しかったんだ。だから私の気を引き……自分の領域――自ら生み出した幻の中に引き入れた)


 そうして、ククルは実際に呪う力を与えてしまったのだ。


「私……」


「待て。あれを見ろ」


 ユルの指差した先には、黒い血がこびりついた鍬や鉈などが打ち捨ててあった。


 老婆の体に残っていた傷跡を思い出し、ククルは首を振る。


「フイニさんは、殺された……?」


「それなら、悪霊になる理由もわかるだろ。一体、誰に?」


「でも、おじさんとおばさんはフイニさんが死んだことすら知らなかったんだよ?」


「――今思ったら、それは変だ」


 ユルの発言に、ククルは目を見開いた。


「死んでからどのくらい経ってるか知らないが、誰も気付かないというのはおかしいだろ。この腐臭で、この有様だぞ。隣の家から、そう離れてるわけじゃないんだし」


「確かに。でも、それなら何でおじさんとおばさんは私達に様子を見に行くように言ったの?」


「おそらく、退治させるためだ」


 ユルは唇を噛んだ。


「お前は、兄とここに来たことがあるんだろう?」


「うん。そっか、おじさんとおばさんは私と兄が発揮出来る力を知ってたんだ。幽霊も退治出来ると思ってた……」


「何故、退治させようとした? 取り憑かれる覚えがあるからだ」


「つまり、殺したのはおじさんかおばさんってこと?」


 ククルは衝撃的な事実に、片手で口を覆った。


「おそらく、夫の方だ。妻はノロなんだから、お前に頼むよりは自分で何とかしようとするだろ。夫は、妻にさえ言ってなかったんだ」


 もしかすると、フイニの霊は時折おじの前に現れたのかもしれない。だとすると、家の中で感じた視線も頷ける。 


「これだけ家が荒らされてるし、武器は複数だ。犯人は一人じゃないはずだ」


「そんな……」


 怖くて怖くて、ククルはユルの手をぎゅっと握り締める。そこで、閃くものがあった。


「――もしかして」


「あ?」


「あの患者さん達が犯人かも。多分、私のせいでフイニさんの力が増したんだ」


 それで、霊は復讐を始めた。


「あれは悪霊が取り憑いてるというよりは……呪われてるんだ」


 おそらく、彼らは呪われたせいでフイニの家を訪ねて幻に付き合うこととなったのだろう。


 ククルは恐怖を押し込めるように、唇を噛み締めた。


「事情を聞く必要がありそうだな。行くぞ!」


「うん!」


 二人は走り出した。

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