第11話 皇太子暗殺

 サイード・アルマリクが軍事会議に現れると、タサに駐在していたモフセン王国の使者たちは色めきだった。東の蛮族掃討軍の主体はあくまでモフセン王国軍であり、エラム帝国の地方部隊であるタサ軍は援護してくれるだけのものだと思っていたのだ。そこへ都から皇太子がやってきたのである。モフセン側としてはエラムも東方征伐に本腰を入れようとしているかもしれないという期待が、否がおうにも高まる。

 上座に深く腰掛けた長身痩躯の若者は、そんなモフセンの使者たちには気づくことなく、鎧を締める革紐をしきりに気にしている様子で、脇腹あたりを触って落ち着かない様子でいた。


 タサ軍はウェセロフ帝国と直接国境を接する山岳地帯を南下し、モフセンとの国境へと蛮族たちを追い詰めて、待ち受けるモフセン軍との挟み撃ちにする作戦が、タサ軍の将、クゾロ・イスマーンから提案された。

 これに加えて、皇太子のためにガパからついてきた老将軍セリガ・ケフェテが付け加える。


「今回の作戦において、総大将を務める皇太子サイード・アルマリク様におかれましては、ここタサに留まっていただき、戦況のご報告をお待ちください。エラム帝国軍本体が動く必要はないでしょう」


「それは私が出陣する必要はないということか?」


「左様でございます。北の山岳地帯は険しゅうございます。慣れている地元タサ軍に任せるのが最善でしょう。北から国境周辺に出没する蛮族を南へ追いやり、モフセン軍との挟み撃ちにするのです。挟み撃ちにする際、援軍が必要になるかもしれませんが、サイード様のお手を煩わせることもないでしょう」


「ふむ……」


――モフセンへの援軍は必要ないか?


とただしかけて、サイードは言葉を飲み込んだ。

 落胆の表情を浮かべるモフセン王国使者と目が合ったが、サイードは視線を外して俯いた。

 人情としてはウェセロフとより広く国境を接しているモフセン王国を助けたい気持ちもあるが、自国の兵士をそのために危険に晒すべきか、サイードには判断がつかなかったのである。自分の一言が取り返しのつかない事態を引き起こすのを、サイードは一番に避けたかった。

 サイードはイスマーン将軍の提案の通り、作戦を承認した。タサ軍は太守ネトプ・ルルーシュの息子アブー・ルルーシュと、将軍クゾロ・イスマーンによって率いられることとなった。




 北方の山岳地帯へと、兵士たちが後にしたタサの夜は、静まり返っていた。決起を誓うささやかな宴が催された出陣前夜から打って変わって、ひと際寂しい夜だった。

 首都ガパからの東端の都市への長旅には疲れていた。

 慣れない武具を身に着けるのも、初対面の人々と挨拶を交わすのも疲れた。

 しかし、心身の疲労とは裏腹に、サイードはその夜も眠ることができなかった。

 疲労以上の極度の緊張感が眠りを浅くしているのかもしれない。

 直接戦いには出ないとはいえ、首都から出たことのない皇太子にとって、初めて触れる戦地の張りつめた空気は刺激的だった。敵と戦って必ず勝ってこようと決意する高揚感と、明日命を落とすかもしれない恐怖と不安が綯交ないまぜになった、異様な緊張感にサイードは無意識に捕らわれていた。

 そして、サイードはこうも思う。


――あの月の下では、エラム帝国祖国のために戦う名も知らぬ兵士たちが眠っているのだろうか。


 サイードはそっと寝床を抜け出すと、窓辺に歩み寄り、外を見上げた。


――エラム帝国祖国のために?


 サイードは自問自答した。


――エラム帝国祖国の皇太子である自分は、エラム帝国祖国のために戦う気でいるのか?


 父から使命を受けたから自分は遥々タサまでやって来ただけのことではないのか。そこにはエラム帝国祖国のためだとかいう壮大な大義はない。

 そんな自分が、エラム帝国祖国のために戦うという、名も知らぬ兵士たちを、後の代で統べる皇帝になるというのか。

 サイードは急に自分が恥ずかしくなった。

 無力感にさいなまれる。

 たまたまアルマリクという家に生まれ、たまたま皇太子という身分となった「自分」とは一体――

 心臓が脈打ち、身体が火照ほてる一方で、心が急速に冷えていくのを、サイードは感じていた。


「……少し歩いて来よう」


 サイードは部屋を出て、廊下を左へ曲がると、長い石造りの回廊に出た。

 カツーンカツーンと冷たく高い足音だけが響く。

 裏手にのびる回廊には月の光は届かない。夜風が通り過ぎると少し肌寒い。

 回廊の中央の大窓まで来ると、サイードは足を止め、月光の下青白く光る庭を眺めた。


――――――?


 視界の右の端でキラリと何か・・が光った。

 なんだろうと首を傾げて覗き込むと、ヒュッと頬の横を風が掠めた。

 反射的に背筋がゾッと凍る。


 前にも同じ経験をしたような気がする。

 ウマルと出会ったときに射かけられた、矢が通った感覚――。


 じわりと全身から汗が噴き出す。


――誰か……いる……のか?


 自身が歩いてきた背後の暗闇の奥を凝視する。

 再び、キラリと何か・・が光る。


――矢じりだ!


と思って右に避けた瞬間、頭から全身布で覆われた黒装束の人物が腰を落とした姿勢でサイードめがけて駆けてきた。まるで地の底から這い出た冥府の影のように。


――早いっ!!!


 黒い影は走りながら懐からナイフを4本取り出し、サイードにめがけて投げてくる。

 サイードが腰を抜かして床に倒れこんだ上をナイフが飛んで行った。


「だ……」


 サイードは掠れた声にならない声を上げようとした。


 ――誰か!!!


 しかし、いざとなると声は出せない。


 ――誰か!……誰か!!助けて!!!


 黒装束の人物は無言のまま、禍々しく婉曲した短剣を抜き、躊躇なくサイードの太腿めがけて振り下ろした。足から狙って動きをとめるつもりだ。

 サイードは寸でのところで左に転がり攻撃をかわした。


「た……たす……助けて!!!」


 小さな悲鳴をあげながら、賊に背中を向け四つ這いになり立ち上がろうと藻掻くサイードの上から、心臓めがけて短剣を振り下ろそうとした瞬間――


「サイード様!!!」


 ウマル・ルルーシュが薙ぎ払うように横に一閃。半月刀を横に振ったのを、賊がひらりと後ろに飛び退いてかわした。


「ひっ!あ……はぁ……」


 サイードは這う這うの体で、床にしゃがんだウマルの背後に回り込んだ。

 ようやく安堵の息を吐く。

 ウマルは、逆光と装束で表情の見えない黒い影を凝視していた。黒ずくめの人物の手に握られた、その特徴的な短剣を見て、


暗殺者アサシンか」


と呟いた。

 暗殺者は無論、無言のままである。

 通常、暗殺者は、薬漬けにされることで思考力が奪われ、死を恐れず、的を狙ってくるはずだった。

 しかし、この人物は、普通の暗殺者・・・・・・とは異なっていた。

 小首を傾げ、少し考えたような素振りを見せ、後ろに一歩飛び退くと、大窓から外へと飛び出して逃げたのだった。

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