第2話 朗報

 ベモジィ城下に入ると、繁華街の宿屋が立ち並ぶ一角に宿を取った。「木を隠すなら森の中だ」とジャファルは考え、ベモジィの外からの滞在者の多い界隈の目立たない宿に身を隠すことに決めたのである。


 ベモジィ到着の翌朝、クレメンテ・ドゥーニとジル・イルハムの二人は早速ベモジィ太守の館を訪れた。ベモジィ太守ナウォレ・ネブーゾはナギルの母方の祖父であるため、ナギルに力を貸してくれるだろうとは思ってはいたが、念のため、ジャファルは太守の館を直接訪れるのは避け、この土地で面が割れていないクレメンテとジルに、ナギルの力になってくれないかという伝言を託したのである。

 先端を黄金で細工された黒い鉄製の門の向こうに広大な庭が見える。手前には大きな噴水があり、黄金の石造りの獅子の口からは水がなみなみと溢れ出していた。噴水の周りには広大な芝生の庭園が広がり、デーツや林檎の木が青々と生い茂っている。


「止まれ。……何の用だ?」


 豪奢な門の向こうに繁るこんもりとした緑の木々の間にチラチラと見える青緑色の宮殿を目の前にどうしたものかと佇むクレメンテとジルに、門番が声を掛けた。一生懸命虚勢を張ったように横柄な言葉遣いをしようとはしているものの、自信がないのか微かに震える声に、まだあどけなさが残る若い門番だ。


「私はクレメンテ・ドゥーニと申します」


 クレメンテは恭しく名乗って続けた。


「ジャファル・クルスームから太守に伝言を預かってまいりました」


「ジャファル・クルスーム?聞いたことがないな。……ここで待っていろ」


 そういうと若い門番は二人を残して門番所に戻り、先輩の門番らしき男に話し始めた。しばらくするとその若い門番が門の中へと伝令に走って行くのが見えた。門番所からはひょろりと背の高い細身の浅黒い男が、クレメンテの方へと歩いてきて再度尋ねた。


「ジャファル・クルスーム様の使いの方ですか?」


「はい」


「失礼ですが、書状など証明できるものはお持ちでしょうか?」


「はい。こちらです」


 クレメンテは懐からジャファルの署名の入った代理人証書をいそいそと取り出して、門番に見せた。


「……確かに。確認しました。お通りください」


 クレメンテとジルの前を閉ざしていた黒い鉄製の門が、ぎぎぎ……と鈍い音をたて奥へと開く。二人はベモジィ太守の屋敷へと足を踏み入れ、50メートルほど先に見える館へと歩き始めた。




 遠くからは青緑色に見えていた屋敷に近づくにつれ、その壁面が幾何学模様に並べられた薄緑色と紺碧色の飾りタイルで美しく彩られていることが分かった。タイルで描かれた細やかな植物模様の美しさに溜め息をつきながら屋敷を見上げていると、四角い透かし彫りが細工された木製の扉が開き、白い服を着た召し使いが出てきた。


「どうぞこちらへ」


 玄関を入り正面にある大きな階段を上る。クレメンテは一階にある応接室などで簡単に応対されるだけだと思っていたので少し身構えた。立ち止まるクレメンテの方を召し使いが振り返って言う。


「太守が二階でお話ししたいと申しております。お話ししにくいこともおありでしょうから」


 クレメンテは一瞬目をぱちくりと瞬きさせ、愛想笑いを作ると


「分かりました」


と言って階段を上り始めた。

 階上には正面をまっすぐな廊下が伸びていた。クレメンテとジルの二人は突き当りにある奥まった部屋に通された。

だだっ広い部屋の奥に置かれたソファに老夫婦が手を握り合い、ひどく打ちひしがれた様子で小さくなって座っている。


「……ベモジィ太守……でしょうか……?」


 クレメンテが話しかける後ろを、案内してくれた召し使いが一礼して退室した。


「……いかにも」


 真っ白になった長い髭をきれいに整えた黒衣の老人が、ぼんやりと虚ろな灰色の目をクレメンテの方に向け、こくりと頷いた。太守の隣には藤色のヴェールを纏った小太りの丸い女性が座っている。衣の間から見える白い手に寄る皺とぽつぽつとしみがあることから、それは太守の奥方であろうと思われる。


「いかにも。私がベモジィ太守、ナウォレ・ネブーゾだ。あなた方はジャファル・クルスームからの使者だと聞いたが、ジャファルは無事だったかね?」


「はい。ジャファル自身は無事です」


「……おお。……おお。それは、よかった!ジャファルの御父上――シハーネの処刑がされたという件は、本当に無念だったが……。お力落としのないようにお伝えください」


 静かだが腹に響く厳かなネブーゾの声が、明るく弾んだ。太守の明るくなった表情と声にジャファルの生存を心の底から喜んでいるのだと思い、クレメンテはほっと胸をなでおろした。ジャファル。クルスームの名を聞いて、相手が敵になるのか味方になるのか分からない状態での伝令という大役に、クレメンテとジルは少なからず緊張していたのである。


「あなた方は、はるばるタサから来られたのか?」


「いえ、私たちはモヘレブから参りました。モヘレブでジャファルと出会い、一緒にベモジィまで来ているのですが……潜伏しているため、この土地で面の割れていない私共がまず、太守に状況を伝えに参ったのです」


「このベモジィに!ジャファルがいるのか!!!ぜひ来てくれたまえ!!!歓迎しよう」


 ベモジィ太守は大きく目を見開いて、隣に掛けている夫人の手を離した。


「はい。……実は、ベモジィにやって来ているのはジャファルだけではありません」


「……というと?」


 途端に太守の顔が怪訝そうに曇る。厄介事が持ち込まれるのではないかとこちらを覗うような顔だ。


「ナギル・ルルーシュとサレハ・イスマーンも一緒です」


「――――――っ!!!」

「ああ!ナギルが!!!!!……あなた!!!」


 驚きのあまり目を見開いたままその場にすっくと立ちあがった太守の横で夫人からも声が上がる。


「ナギルが……ナギルが……無事だったのか!?!?!?」


 太守がよろよろとよろめき再びソファにへたり込んだ。


「はい。今、ジャファルとサレハと合流し、このベモジィにおります」


「ナギルが……よかった……」


 安堵と喜びの溜め息をつき瞳を潤ませる太守の横で、夫人はヴェールで顔を隠し、涙をそっと拭いていた。


「君たちは、ナギルたち三人がベモジィにいることを伝言に来てくれたわけだね?」


「はい」


 クレメンテとジルははっきりと頷いた。


「なるほど。……それでは三人に伝えてくれ。ぜひこの屋敷に来てくれたまえ。私は彼らを全力で保護しよう」

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