第8話 白亜の砦

 荷馬車は四人を乗せてガタゴトとひた走りに走った。市街地を抜け、郊外を走り、森の中の道を行く。

 さらに長い坂道を登っていくと、白い砦のようなどっしりとした四角い建物が見えてきた。この街でしばらく生活をしていたクレメンテには、自分たちはモヘレブの北にある崖の上の屋敷へと連れてこられたことが分かった。後ろを振り返ると、すでにここは高台になっていて、市街地を一望できた。

 白シャツに黄土色のズボン、茶色のハンチングを被った御者は、後ろから観察している限り、田舎の馬番といった風体だ。追手に囲まれる中、颯爽と登場し、クレメンテに向かって荷馬車に「早く乗れ!!!」と声を上げた時の王子様を感じさせる要素は全くない。道中まっすぐ前を向いたままこちらを振り返るとこもなく、彼はただ黙々と馬を走らせていた。


 崖の上の白い砦に荷馬車が着くと、3メートルはあろうかという高さの鉄の門が音もなく開け放たれ、御者はスピードを落とすこともなく、敷地内へと入って行った。

 顔を出して素性を知られるのを隠すためか、馬車の前方を身を乗り出して眺めるナギルのローブのフードを、サレハが後ろから被せた。さらに自らも黒いマントを目深に被り、背後で門がギギギギギと閉まっていく様を凝視していた。門が閉まるに従ってその大きな影がその顔に落ちていく。その表情は扉の影に黒く隠れ、見えなくなった。


「ここ、どこなんだろう?」


 隣でジルが呟くのに、クレメンテは答えた。


「ここは――エドアルド・バジェの屋敷だ……」


 モヘレブの街を見下ろすように断崖絶壁の上に建てられた、エドアルド・バジェの白亜の砦――。クレメンテはエドアルド・バジェには実際会ったことがない。しかし、ジョゼッフォ・バイロウが、モヘレブの街を支配したかのように崖の上にどっしりと構える砦を眺めながら、忌々しそうに話していたのをはっきりと覚えていた。


「エドアルドの野郎、性懲りもなくオレの商船を何度も襲いやがって!アイツの左脚をもぎ取ってやったのが運の尽きだったのに!おかに上がることしかできなくなった死にぞこないの海賊風情が!!!オレを見下ろせるような所に居を構えるような身分になったなんて、裏で何をやっているのか分かったもんじゃねぇ。オレらの商売の邪魔されねぇように赤ひげの男には気をつけろよ」


 たるんだ顔に中心に、眉、目、鼻、口のそれぞれのパーツをぎゅっと寄せ、いかにも不愉快そうな表情を作って、クレメンテの耳元で囁くジョゼッフォ・バイロウの声が、その生臭い息とともに思い出された。




 荷馬車が屋敷の前に停まる。御者はクレメンテたちの方を振り返ると


「クレメンテさん、旦那様がお待ちです」


と言葉を発すると荷馬車から降り、荷台から四人が降りる手伝いをした。


「ありがとう」


 最後にジルを降ろすのを手伝ってくれた御者に、クレメンテが礼を述べるとその御者は、少しはにかんで


「とんでもないです。旦那様のお言いつけですから」


と言って、四角いどっしりとした屋敷の扉の横にいる執事らしき黒い燕尾服を着た老紳士のところへ向かった。


「お待ちしておりました。クレメンテ・ドゥーニ様。お怪我はありませんでしたか?」


 丁寧かつ簡潔な歓待の言葉の後、この老執事は、クレメンテたちをいそいそと主人が待っている居間へと案内した。この白い真四角の建物は外からの見た目と同様、内部も単純だった。玄関を入るとすぐに左手に曲がり、長い石造りの回廊を抜け、一番奥まったところにある部屋が居間になっている。

 居間は20畳ほどの広さで、床には大理石が敷き詰められていた。深紅に金糸で刺繍がされた鮮やかなじゅうたんがひかれている。

 その豪奢なじゅうたんよりも、目を引くのが扉を入るとすぐ正面にある大きな窓である。窓の向こうにはどこまでも広がる紺碧の海が見渡せ、まるで一枚のどこまでも青い絵画のような絶景を見せていた。

 今日はあいにくの曇り空なので、空はどんよりと重く雲が垂れ込めており、海は黒々と見えるが、快晴の日はさぞかし眺めがいいに違いない。どこまでも続く空と海。そしてその境目が窓のほぼ中央に見えていた。


「お前が、クレメンテ・ドゥーニか?」


 大きな窓の前には、金色の飾りのついた濃紺色をしたビロード張りの立派なソファが置かれており、もじゃもじゃと赤褐色の髭を蓄えた目つきの鋭い60歳ぐらいの男が座っていた。この赤ひげのがっしりした男がエドアルド・バジェだな、とクレメンテは思った。


「そうです」


とのクレメンテの返答を聞くや、エドアルド・バジェは


「愉快、愉快。お前、よくやったな!」


と、雷のとどろくような声でガハハと笑い声を立てながら、手を叩いて満足そうにソファの背凭れに深く背中を預けて続けた。


「ジョゼッフォ ・バイロウに一泡吹かせたい輩はたくさんいるというのに、飼い犬に手を噛まれるとは!実に愉快だ!!!大枚叩たいまいはたいて買った奴隷をみんな逃がされてしまったんだから、さぞかし困っているだろう!このちょっとは名の知れた海賊だったオレが、アイツにこの左脚を奪われたのに比べたら屁でもないが……」


 エドアルド・バジェは木でつくられた義足をゴトリと目の前のテーブルに乗せた。海賊だったころにバイロウの船を襲った際、返り討ちにあって斬り落とされたものだろう。この木製の義足がはめ込まれた左脚の他にも、エドアルド・バジェの額には大きく目立つ刀傷があった。眼光の鋭さと相まってそれがまた、悪党らしい強面に迫力を与えていた。


「あのクソ野郎が大損こいて途方に暮れていると思えばいい気味だ!しばらくはオレの心の慰めにもなるってもんだ」


 ひとりで話して満足そうに頷いているバジェを、四人が黙って見つめていると、話題が変わって、クレメンテの方に話が向いた。


「……ところで、お前らはこれから身を寄せる当てはあるのか?バイロウは今、血眼になってお前らを見つけ出そうと躍起になってやがるだろう?」


 これは、クレメンテたち四人にとっては、渡りに船の申し出だった。クレメンテは、目の前のこの強面の老人に、今の状況を正直に話してみることにした。話してみたところで彼の助力を得られなくても、状況は今より悪くなることはないだろう。頼りにできる人物がいない今、バイロウの追手に挟み撃ちにされるという苦境を一度助けてくれたエドアルド・バジェという男に、一縷の望みを託してみることにしたのだ。


「そのことなんですが、バジェさん。オレたちは海外にでも逃げたいと思ってるんですが、渡航するための船に乗れずに困ってるんです。どうしたらいいか、お心当たりはありませんでしょうか?」


「……ふん」


 バジェはもじゃもじゃともみあげから顎を覆うように生えた特徴的な赤ひげを撫でながら、ちょっと考えるような仕草をした。


「海外へ逃げても、バイロウは地の果てまで追ってくるだろうが……」


「はい。なので、バイロウが貿易に訪れない新大陸へでも逃げようかと思ってます」


 新大陸・・・という言葉を聞いて、「オレはそんなことは言っていないぞ」と言わんばかりに口を挟もうとしたサレハを、クレメンテは黙るように制止した。今は口から出まかせを付け加えてでもいいから、とにかく海外へ出航することが優先だとクレメンテは思っていた。出航すれば行先は着いた先ででも変えられるだろう。今はとにかく、船を手に入れることが先決だ。


「ハハハ!新大陸か!!!そいつはいい!!!見た目はチャラチャラした優男みたいなのに豪気なヤツだ。お前を気に入った!!!オレの船に乗せてやらんでもない。三月にはメラド共和国へ出航する船がある。メラドを中継して新大陸へ渡ればいいだろう。……ただ、それには一つ条件がある――」


「条件というと?」


 自分が咄嗟に機転を利かせた交渉がうまくいくかもしれない状況に、クレメンテは内心胸を躍らせながら前のめりになって、バジェの言葉を待った。


「オレの船に乗せてエラムから逃がしてやる代わりに、この屋敷にいる間、オレの護衛をしてくれないか?」


 この申し出にクレメンテはサッとサレハの方を振り返った。戦うとなったらサレハの協力が必要だ。ジルとナギルも、クレメンテと同じようにサレハの方に視線を向けていた。そして、「護衛を引き受けていいかな?」とクレメンテが口を開く前に、サレハはゆっくり目を閉じ、こくりと頷いた。

 オレが返事をしようとバジェの方に向き直ると、返事もしないうちに、赤ひげの老人は両手を合わせて開いて下げながら呟いて、にやりと笑った。


「話は決まりだな」


 クレメンテたち四人はこの言葉にゆっくりと深く頷いた。

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