第14話【加茂三矢の交渉】

 三度桃山宅前。俺は今ここに立つ。この間来たときは体よく追い返された。だが今日はそういうわけにはいかない。そこで小道具である角形ゼロ号の封筒の出番だ。


 俺は玄関ドア横のインターフォンを押す。ピン・ポン、ピン・ポンと二回音が鳴る。誰も出ない。食事の支度でもしているのだろうか。俺はもう一度押す。もう二回呼び鈴が鳴る。


『どちらさまでしょう?』ようやく出た。声の質からたぶん母親の声。

「御萩園高校で同級生の加茂といいます。桃山さんが学校を休んでいる間に出されたプリントとか課題を持ってきたのですが」俺は言う。手にした角形ゼロ号の封筒の中身は実は宿題でもなんでもないプリント群の詰め合わせ。適当に紙の束。つまり嘘だ。


『では郵便ポストの中に入れておいてください』とインターフォンの中の声。言われたとおりに行動してしまったらガキの使い以下だ。

「先生から直接渡すようにと言われているのですが」俺は言う。さらにダメを押す。

「どうも私立高校というのはいろいろうるさいみたいで」こうなると完全な脅迫だな。これが効いたのか、

『分かりました。少々お待ちください』と声がする。しばらくすると鍵のかんぬきがターンする音。玄関の扉が開く。中から女の人、年格好からいって桃山さんの母親で間違いないのだろう。桃山さんの母親と思しき人物は玄関の扉の開口部に立ちふさがる。そこで物を渡せということらしい。俺が手にしている封筒を渡すようにとジェスチャーを示された。渡してしまったらアウトだ。


「先生から直接渡すようにと言われているのですが」俺はさっき言ったことを繰り返す。だが母親も首を縦に振らない。

「桃子は体調がすぐれないんです。わたしの方から届けますから」と言って押し返される。


 俺よ、どうする?


「実は学校に疑われています。僕にその学校の疑いを晴らさせてください」俺の言ったことはまたしても脅迫だ。桃山さんが実は自宅で監禁されているんじゃないかと俺らが疑っているのに、学校が疑っているように話しを見せかけた。

「なんですって?」母親は驚き一瞬力を緩めてしまった。俺は扉の取っ手に手を掛け力を込めゆっくりと引っ張ると玄関の扉は簡単に大きく開いてしまった。その開口部から俺は易々と桃山宅に侵入することができた。そうなのだ、これは侵入だ。〝入っていいよ〟と言われたわけでもないのに勝手に入っているのだから。


 しかしここから後は難儀だ。この家はそう広くないとはいえ『どこが桃山さんの部屋か』と勝手に家捜しするわけにもいかない。俺は言うしかなかった。


「先生から直接渡すようにと言われています。桃山さんの部屋まで案内をよろしくお願いします」もはやこれで押しまくるしかない。と、桃山さんの母親が意外なことを言い出す。

「ここで見たことはどうか学校の方には内緒にしておいてください」などと。


 ??? どういうことだよ。


 俺は桃山さんの母親に二階へと案内された。子どもの部屋はどこも二階なのだろうか? 階段を昇りきり右側二つめのドアがノックされる。部屋の内側からガラの悪い声が響く。

「なんだよ。飯の時間にゃまだ早いぞ」それは男の声だった。どうなってんだぁ、これは。

「学校のクラスメートの方が宿題を届けに来てくれたのよ」と桃山さんの母親が言う。

「なにが宿題だぁ?」という乱暴な声、しかも別の男の声がしたのと同時にドアが内側から開かれる。中にいたのは——


「桃山さん!」思わず声が出た。だが桃山さんは少し驚いたような顔をしただけ。他に中にいたのは男が三人女が一人。歳は俺と見た目大差ない。全て俺の通う高校の制服着用。王子のパチモン制服とはわけが違う寸分の違いも無い御萩園の制服。男子用も女子用も。

「ババァは用事がねーんだからとっとと行けや」もう一人の男が桃山さんの母親に向かって怒鳴りつける。桃山さんの母親はそそくさと一階へと降りる。ババァ発言をした男が返す刀で俺に怒声を投げ付ける。

「宿題ってのを置いてったらとっとと帰れよ!」


 俺の正念場が始まった。俺は一歩だけ桃山さんの部屋に足を踏み入れる。


「その制服どこで手に入れた?」完全な俺のハッタリだった。

「ハァ? てめェ面白いこというなぁ?」相変わらずババァ発言の男が絡んでくる。俺はそいつを無視してブレザーのポケットからあちらの世界の通信機を出し、その男に向かって投げてやった。

 男は意表をつかれつつもそいつを上手くキャッチした。すかさず女が近づきその通信機を男から奪うように手に取り、ひっくり返し、なにごとか確認している。じき女は通信機を自前の金属ケースに格納しつつ横目でこちらを見ながら言った。


「何者なの?」

 俺はひと言だけ言った。「プロント」

 そのことばを聞いた途端、初めて女が顔を俺の方真っ正面に向け俺を直視した。初めて俺も女の顔を直視できた。目鼻立ちのはっきりした、切れ長の目をした女子。ぜんぜん好みの顔じゃないがどちらかと言えば美人に分類されるであろう顔。

「君かぁ『プロントさん』は。ようやく直接会えたねぇ」そのことばっ! そいつは確かにそう言った。

「オイてめェ!」誰が言ったか分からないがそう声もした。あの警官の読みが当たってた!

「もういいんだみんな。そんな芝居はさ。どうやら事情を知っているであろう人で間違いないみたいだ」

 この口ぶりからしてどうやらこの女が犯人グループのリーダーなんだろう。異世界だからって全員が全員顔も隠さず大胆なことだな!


 だが表面上、俺は黙っていた。黙ったままだった。なぜならここからこそが正念場であることが確定し、そして俺は交渉ごとなどやったことがないからだ。


「で、大事な通信機を犯人に渡しちゃっていいのかな?」女が訊いてきた。

「俺は日本人だからな、人質さえ解放されれば問題ない」

「そうは言ってもねぇ。わたし達の要求なんてまるで無視されちゃっているんですけど」

「当たり前だ。あんた達の国とは関係ない第三国の人間を誘拐して要求が通ると思っているのか?」

「しかし彼女は王女の親友なんでしょう?」

「親友ったって知り合ってから数十時間、それくらいしか経っていないが。それに要求が容れられそうも無い時点で人質としての価値が無いと判断しろ!」

「だけどここで解放しちゃったら大団円で終わりでしょう?」

「ハ?」

「つまり王女の親友が無傷で戻ってきたら後は何事もなかったかのように予定通りに事が進むだけでしょう?」

「オイ、〝無傷〟ってなんだ? まさか傷をつけるつもりじゃないだろうな? まさかもう傷をつけた後じゃないだろうな? いいか! 桃山さんを無事に戻さなかったら王女がどれほど怒るか知れたもんじゃないぞ。あの手のタイプは一度怒らせたら最期、治まることのない怖ろしいタイプだ。お前たちが最終的に逃げ込める場所は王女のところしかないのにその王女を怒らせるヤツがあるか!」


 言い終わって〝怒りに任せてぶちまけ過ぎたか?〟と思った。もう手遅れだが。女は黙ってしまった。目線が外れている。なにごとかを考えている。しかし桃山さん解放の気配は無い。次のことばが必要か。本当に王子の言うとおりだ。俺にできることは喋ることだけだ。次に何を言えばいい? 怒りに任せるままにするのはもうよしたほうがいいという自覚だけはある。


 そうだ! 深い考えもなくなにげにしてしまった俺の行為に後付でもっともらしい理屈をつければいい。こうなればハッタリだ!


 俺は言った。「なんのために最初に通信機を渡したと思っている?」

「へぇ面白いこと言うね。プロントさん。交渉人のつもりなのかな?」再び目線がこちらに来た。

「繰り返しになるが俺の立場は人質さえ解放されれば問題ない」

「見返りも無しに?」

「見返りは内部情報の提供だ」

「異世界の人に過ぎない君がわたし達の国に関わる情報をどこまで知っているってんだ?」

「ひょんなことから王女と王子のふたりに直接接する機会を得た。婚約者ということになっているが仲はあまり良くない」それを言い終わった途端に男どもが大声で笑い始めた。

「そんなん誰でも知ってるんだよ!」

「知っていると言ってもそれはあくまで噂レベルだろう? 『どうせ政略結婚だから』ってところ辺りから来る先入観だろう? でも俺は実際に見ているんだ。王子の方は王女にぞっこんになっているが王女の方は嫌がっている。ここまで知って言ってるのかお前らは」

「王子は王女にぞっこん……というのは『すごく好き』ということか?」女が尋ねる。

「そうだ」

「他には?」

「お前たちが王女の親友を誘拐したことで、親友を助けたい王女と、結婚を実現させるつもりの王子の意見が対立した、ということは無い」

「無いのか?」

「それについては話し合いもしないし議論にもなっていない。より正確に言うなら元々結婚するしないで考え方が違っていたから何も変わっていないと言える。ただ——」

「ただ、なんだ?」

「人質の身を案じ婚約を取りやめようという話しが王女側・王子側どちらからも出てこない」

「王女……側、と言ったか? 王女そのものもか?」

「お前たちのしたことで王女が疑われている。『結婚しなくても済む恰好の理由を協力者を操りでっち上げた』という疑惑が持たれている。だから人質の身を案じ婚約を破棄しましょうとは言えない状況だ」

「王国の奴らか」

 俺はこのひと言で確信した。この犯人グループがどこの国から来たのかは知らないが確実に『王子の国ではない』ことは言えるのではないか。俺を填めるための一芝居だとしたらたいしたものではあるが——。

「そういうことになるかな——」と俺は一旦区切り、なお続ける。

「——婚約は破棄できないが結婚もできない。これが現実だ。なぜなら王女と王子の結婚は国と国の結婚だ。つまり書類上結婚していますじゃダメで、大がかりなセレモニーが必要なはずだ。王女の性格から考えて嫌がった状態のまま無理やり結婚式に臨ませれば当日どんなトラブルをしでかすか分からない。婚約など破棄させなくてもこれ以上進むことは無い。要は結婚式さえあげさせなければいいんだろう? 政略結婚ということばはあっても、政略婚約なんて無いからな。そういう意味であんた達の目的はあんた達が何もしなくても達成されていたってわけだ」

「それは情報というよりはプロントさんの分析じゃないか。でも……」


 俺には確信があった。そう外れてはいないだろうと。最初の最初あの男女の言い争い。女の声も相当に大きかった。あそこまで言い返せるというのは見掛けによらず王女の気は強いってみていいだろう。

「どうして分かる? 王女の性格について語れるほど親しいとでも言うのか?」


 俺と王女はさほどに長い会話はしていない。こんな美少女が来てくれて、ちょーらっきー‼、って思った途端に『相談するのに女の子がいいから女の子を紹介してくれ』だからな。だがここで親しいフリすらしなかったら、俺の信用度が下がるかもしれん。要は〝俺は敵じゃない〟とコイツらに信じ込ませればいい。これが逆になったら桃山さん解放の可能性がゼロになる。


 あれなんだよなぁ、あれ。最初なんて言ってたっけ————?

 俺はあの時のあのことばを思い出そうとしていた。


「天から石が驚くほどの速さで落ちてくる……のです、ってな」俺がそれを言った途端に女リーダーの表情が凍ったように見えた。

「異教徒の分際で何を言ってやがるっ‼」手下の男がわけの分からないことを叫び始める。

 俺はそれほど怖ろしいことでも言っただろうか? 女リーダーはなおも厳しい顔のまま。なにかを必死に考え続けているように見える。

「すぐにここを出る。プロントさん、ありがとう」女リーダーはそう言った。

「冗談じゃない。中途半端のまま結局諦めるのかよ!」男の一人が怒鳴る。

「冗談じゃないのはこっちだ。桃山さんはどうなる!」俺も言う。

「桃山さんか——向こうへ着くまで人質をやってもらう。いいよね〝とーこ〟」

「いいわけないだろっ!」俺は怒鳴る。


「いいよ」

 耳を疑った。なんとっなんてことを桃山さん! 確かに桃山さんがそう言った! これはいよいよ本格的にストックホルム症候群なのか⁉

「申し訳ないけどプロントさん。もう帰っていいよ。この後いろいろ取り込む予定だし」

「勝手なことを言うな!」と俺が言うやほぼ同時に俺は男の一人に蹴り飛ばされ廊下へと猛烈な勢いで転がされる。廊下の壁にしたたかに頭を打ちつけられる俺。「いてっっ」と言うと同時に男の声が上から聞こえる。

「二度とこの部屋に入るなよ。黒こげ死体になっちゃうからな」男の顔には不敵な笑み。

 奴ら本性を現したか! 何か未知の技術で桃山さんの部屋にトラップかなにかを仕掛けやがったなっ。だがやっておかなきゃならないことがこっちにはあるんだ‼

「おい女っ!」

「わたしは『おんな』なんていう名前じゃない!」

「知らないもんでな」

「ナキ」

「『なき』? ずいぶん短い名前だな。バカみたいな長い名前は名乗らないのか?」

「あいにく高貴な身分ではないからね、無駄に長ったらしい正式名で権威を見せつける必要はないんだ」

「ではナキさん」

「さん?」

「桃山さんに訊きたいことがある。桃山さんが正直に答えても決して危害を加えるなよ!」

「偉そうに言うな!」

「危害を加えるつもりかっ⁉」


「——分かった」


「桃山さんっ。脅迫されているから『いいよ』なんて言ったんだよな? 仕方なく言っているんだよな?」

「仕方なくじゃない」桃山さんははっきりこちらを見て言っていた。凶器を突きつけられてしかたなくとか、声の調子からなにから〝言わされてる感〟をまるで感じない。だが俺は言った。

「そんなはずはない!」

「だってわたしは『みらのちゃん』本人から結婚したくないって聞いているんだよ。そうしたらこの人たちが来て『その結婚を必ず阻止するから』って言ってるの。わたしがこの人たちに協力したって当たり前だから」

「『みらのちゃん』って誰?」

「王女さま」桃山さんが言った。

 なんだそりゃ? それぞれが勝手に別々のあだ名つけてんな。俺は最初から最後の手段を用いた。思いっきり俗っぽい説得法を試みるしかない。

「あまり何日も学校を休んでいると退学になってしまうかもしれないぞ」と。

「そこまで日はかからないだろう」、『ナキ』と名乗る女リーダーは言った。その発言に明らかに不満を持っている顔を男たちがしていた。

 桃山さんが口を開いた。「加茂くん。絶対に退学にならないように戻ってくるから」


 どこからその信頼感が涌いて出てくるんだ? そいつは桃山さんを監禁している犯人だぞ。王女に対する思い入れが強すぎるし犯人に感情移入しすぎる。相手を思いやる気持ちも度が過ぎれば自分の身を滅ぼす。そいつは美徳じゃない。


 俺がそんなことを思っているうちに、まるで桃山さんのことばを合図にするようにバタンっという大音とともにドアが閉じられた。こいつらのことだ。黒こげ死体の件については本当だろう。もしそんなトラップが無くても男三人を相手に桃山さんを救出する腕力は俺に無し。



 世の中には本人はたいしたワルでないのにろくでもない奴らに付きまとわれ、ろくでなしの仲間として組み込まれてしまう人間がいる。まさか桃山さんがそうなのか。


 俺は廊下に投げ出された角形ゼロ号封筒を拾いゆっくりと階段を降りる。階下には桃山さんの母親がいた。あの会話を聞かれたか? さぞかし〝電波〟だったろうな。


「あんな奴らが何日も居座って、なんで警察に届けないんですか?」俺は詰問調に尋ねた。

「仕方ないんです。桃子が友だちだと言うので……学校ではあの子たちはどういう子たちなんでしょうか」

 どんなコかと言われても、あいつら御萩園の生徒じゃないですよ、とは言いにくい。


「さあ、クラスが同じではないもので」と言い、ごまかしている最中に思いついた。

「男の方は絶対に友だちじゃありません。ただ、女の方にはやけに親近感を持っていたみたいですが」

「やっぱりですか」と桃山さんの母親が言う。警察に届けないようにさせていたのは桃山さん自身か。

 そうだ。俺には未だに引っ掛かり続けていることがあった。それに気づいた。


「ちょっと玄関の方いいですか?」と言い場所を変える。

「ひとつ気になることがあるんですが」と俺は前置きし続ける。

「上にいる女子がこの家に来る前に別の女子がこの家に来ませんでしたか? なんて言うのかな上にいるヤツと違って優しそうな美人とでもいうのかそういう女子です」

「もしかして髪の長い?」

「そうです! それでですね、その女子といま上にいる女子と桃山さんの三人が集まって話し込んでいたとかそういうことはあったでしょうか?」

「三人が同時に家にいたか、ということですか?」

「まあ男を入れれば六人にもなってしまいますがどうでしょうか?」

「よく分からないんです。入れ替わるようにあの子たちが来ただけということしか……」


 やはりダメか。つながっているようでつながっていないのか………


「いや、どうもありがとうございました。そうだ。桃山さんには退学するつもりはないそうです。本人がそう言ってました」言いながら俺は角形ゼロ号封筒を桃山さんの母親に手渡した。母親は『退学』ということばに面食らっていた様子だった。

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