Blue Wings〜守るもののために青い翼は〜

はな

Blue wings


「で、安藤さんはなんの仕事してるの?」


友達みんなが友絵の公休に合わせて企画してくれた飲み会という名の合コン。その飲み会の席で、当の友絵は今日一番の危機に陥っていた。


「公務員よ、公務員」


わざと素っ気なく答えたが、質問をして来た岩崎と名乗った男はそれで納得はしなかった。


「へぇ。市役所とか?」

「いや、ちょっと違うけど…」


ちょっとどころかかなり違うが、それはこの際棚上げだ。


「役所は役所? もしかしてエリートコースだったりする?」


興味津々の様子で無邪気に身を乗り出して来た岩崎に、心底嫌そうな顔をしてしまう。それを見て、友人たちはにやにや笑っているだけだ。これは、助け舟など期待できそうにもない。


「まぁ、エリートっちゃ、スーパーエリートでしょうけどね〜」


ぼそっとつぶやいた友人の声に心臓が縮み上がる。


「やっぱそうなの? たしかに、なんかシュッとしててかっこいい感じするよね、安藤さんって」


そして、岩崎はそういうことは聞き逃さないと来てる。

ああ、もう、嫌だ。


「そっちこそ、なんの仕事してるの?」


なんとか話題をそらせないかと岩崎に聞き返す。ここで話を広げることができればなんとかなる、かもしれない。


「俺? 俺はMR」


岩崎はにこにこ笑いで胸を張った。自分の仕事が好きなのだろう。


「MR?」


聞き慣れない職業だ。


「 Medical representative…つまり、医薬品関係の営業だよ。うちの会社はジェネリック医薬品が専門でね」

「へぇ〜」


営業と言われればまさに岩崎はそんな感じだ。くったくがなく人懐こい雰囲気があるし、話す事も好きそうだ。

納得して大きく相づちを打つ。


「笹川薬品、って知ってるかな?」


聞いたことがある。ここ最近、テレビCMでよく見る会社名だ。

小さく頷くと、それうちの会社、と岩崎がすかざず答えた。


「やっぱさ、医療関係者って、先発品の薬が最強みたいな神話が蔓延してるわけ。うちだったら、先発品と同じ成分で同じ効果で、しかも安価なのに」


その口調は、自社製品に確固たる自信があると確信している口調だ。


「だから、その良さをみんなにわかって欲しいんだよね。もう、営業先での説明とかすっごいワクワクする」


岩崎の目はキラキラしている。その熱意に、友絵を含めた女子全員が感嘆のため息をついた。

それが岩崎の天職なのだろう。


「いい仕事してるのね」


素で漏れたつぶやきを、岩崎は聞き逃さなかった。


「でもほら、安藤さんエリートなんでしょ?」


自分は答えたんだから答えてくれ。そんな心の声が聞こえそうなくらいだ。


「エリートとか言い過ぎ」


そんなんじゃない。あえて言えば、落ちこぼれなかったというその程度だ。

不機嫌そうな顔になった友絵に、友人たちがさざ波のように笑う。


「友絵、もう観念しなよ。どうせ隠し通せないでしょ」

「あんたたち、ほんと性格悪い…」


彼女らは気のいい奴らだし、好きだ。ただ、彼女たちには容赦がない。友絵が合コンの席で一人不利になろうが、いじれるところは突いてくるという性格の悪さ。

いや、自分もそんな友人らの性格はよくわかっているから、やはりこの場に参加した時点で敗北は決定していたようなものか。


「で? で、安藤さんはなんの仕事してるの?」


岩崎はもう聞くのが楽しみといった満面の笑顔だ。

その笑顔は、すぐに凍り付くことが友絵にはわかっている。何度も経験済みだ。


「…パイロット」


答えた声は明らかにボリュームが落ちた。岩崎の反応を見たくなくて、小さくうつむく。


「え?」


一瞬固まった岩崎が、すげぇ!と感嘆の声を上げた。


「女性パイロットって、一人か二人だったでしょ、確か! それが安藤さんのことなの!? うわ、マジすげぇじゃん!」


無邪気に驚いている岩崎に、友絵はますます仏頂面になる。


「なになに、鶴丸航空? 全日本エアライン?」

「どっちも違う」


もう不機嫌を隠すこともなく、むっつりと低い声で答える。


「じゃあ、あれ? 格安航空?」


パイロットと言ったら民間機しか思いつけないのか、この男は。


「わたしは、公務員だと言ったはずだ」


自然と職業口調になる。仕事中は気が張るし、男性しか周りにいない状況でプライベートのような普通の態度は出せないし出したくもない。


「公務員でパイロット…? そんな仕事あったっけ?」


首を傾げた岩崎の隣で、岩崎の同僚だと言っていた男があっと小さく声を上げる。なんのパイロットかはともかく、友絵の仕事がなにか思い至ったのだろう。

じろりとその男をにらむと、それだけで彼はうつむいた。無理もない。


「友絵〜、怖いからにらむのやめたげてよ〜」


そんなことを可愛い声で言う友人へも容赦なくにらみをきかす。

誰のせいだこれは。


「公務員でパイロット…ごめん、わかんないや。降参」


岩崎はそう言って手を挙げる。

このまま答えないでおこうか。そう思ったが、同僚は友絵の仕事に気がついたから、どうせバレる。しかも、へんな憶測まで付く事は容易に想像がつく。

それなら、今回は完敗と割り切って言ってしまうか。その変わり、ここから先は女子度ゼロの対応をさせてもらおう。

そんな投げやりな気持ちで口を開く。


「わたしは自衛官だ。航空自衛官」


一瞬にして岩崎の目が大きく見開かれる。


「細い身体してるようで、ほとんど筋肉よ、この子。喧嘩しても勝てないからね」


援護射撃なのか嫌がらせなのかそう付け加えた友人に、ますます開き直る。

職業柄もそうだが、性格としても出会いを求めたのが間違いだったのだ。

どうせなら自衛官じゃない人と、なんて。


「えーと、なにのパイロット? ヘリとか? 輸送機とか? まだ若いし、まさか政府専用機とかじゃないんでしょ?」


正に、恐る恐るという感じで訊いて来た岩崎にイライラする。

こいつ、嫌いかもしれない。


「どれも違う」


どれだけの努力をして今の自分があるのか。こいつらはちっともわからないだろう。


「じゃ、じゃあ…なんの…」

「F−2」


そう言って、青ざめた男子が半数、首を傾げた男子も半数。

岩崎は後者だ。


「バイパーゼロ…」


小さく漏れた声が誰のものかはわからなかった。しかし、男子で知っている者がいるのはおかしい事でもなんでもない。プラモデルなどが好きであれば知っている者もいるだろう。


「戦闘機だ」


言い切った友絵の声に、今度こそ男子全員の顔が凍り付いた。






友絵は中学生の頃までは非常に大人しい女の子だった。

一日中誰とも喋らずに本ばかり読んでいた。友達もいなかった。

運動は得意だったから素質はあったのだろうが、大人しすぎて目立つことはなかった。


それがなぜ、今航空自衛隊で戦闘機パイロットなんかをしているのか。

動機は単純だった。同級生に馬鹿にされた。安藤は人間とは思えない、安藤が人間になるのは自分が空を飛ぶよりも難しい、と。


言い返せなかった。

悔しくて悲しくて、それを思い出して何度泣いただろう。

そして涙も尽きた頃、決心したのだ。わたしは空を飛ぶ、と。

あの馬鹿にした同級生を必ず見返すと。


笑いたければ笑え。本当の話だ。


もちろん、そんな子どもじみた動機だけでやっていけるような世界ではない。だから、今は違う。確固たるやりがいと使命感がある。

岩崎などに負けない誇りを持って仕事をしている。それを奇異なものを見る目で見るのなら、そんな知り合いは、要らない。






それからの飲みはいまいち盛り上がらずに終わった。友絵が終止仏頂面だったからかもしれない。

タクシーを呼んでくれたが、乗らなかった。

岩崎が夜道は危ないからと乗るように進めてくれたが、視線だけで威圧して黙らせた。


わたしがその辺の男に負けるとでも思っているのか。

低くうなるように吐き捨てると、もう誰も友絵を止めなかった。


そんなに不細工な顔ずっとしてなくてもいいのにと笑う友人たちは放っておく。彼女たちは別にこたえていないし、悪気もないし、反省もしないのだから。

彼女たちは悪くない。どうせ、自分の職業は遅かれ早かれ言わねばならないのだ。それならば、あんなつまらない男たちに引っかかって後で傷つかなくて良かったと割り切る。

一人になって歩く夜道。街頭も少ないが別に怖くもない。女子としてそれはどうなんだと思うが、もう可愛い女の子になれるキャラでもない。


それにしても、と友絵の口は少し緩む。

ファイターパイロットだと言った時の男子の顔と来たら。全員がそんな顔をするなんて、ある意味いいものを見たような気にすらなる。

明日、誰に話そうか。そんなことを考えながら歩いていると。


「あ、ん、ど、う、さん!!」


遠くから自分を呼ぶ声がして思わず歩みを止める。振り返ると、こちらに駆けてくる人影が一人。

岩崎だ。


「間に合ってよかったぁー!」


そう言って友絵の前で止まった岩崎は、ぜいぜいと息をしながらも笑顔でそう言った。


「タクシーに乗ったんじゃ…」


友絵も、あまりに虚を突かれすぎて途中で声が立ち消える。


「だって、俺、安藤さんに連絡先訊くの忘れてたからっ」

「は?」


連絡先の交換が必要だと思えるような心当たりは全くない。


「歩きながら教えてよ。基地に帰るんでしょ? 送るよ」


そう言った岩崎は、さっさと歩き出してしまい、なぜかその後を友絵が追う形になった。


「貴様、わたしが男に負けると思っているのか」


岩崎の背中にかけた剣呑な声はしかし、思ってないよという岩崎の返事で台無しとなった。


「だって安藤さん、絶対俺よか強いじゃん」


小さく振り返り、友絵が後ろを付いて来ている事を確認すると、岩崎はまた前を向く。


「それなら、なんで…」

「だって、安藤さん、女の子だもん」


不意打ちのようにさらっと言われたその台詞に、ぐっと言葉が詰まる。


「仕事や強さなんて関係ないじゃん。女の子だからじゃん。それとも、女の子を送るって自分より弱い相手が言ったら馬鹿みたい? それとも、女性差別だって思う?」


振り返った岩崎の真っ直ぐな瞳に、さすがに足が止まった。なにも言えなくなる。

男ばかりの中で、血を吐くような努力をした。男なんかに負けるかと意地で頑張った。

そして、それは今も継続中だ。

女として扱われるのが一番の屈辱。女だからと言われたくない。だから気を張って、頑張って。

だけど。それならどうして自分は合コンの誘いに乗ったりした?


「安藤さん、自分の仕事を白状する前まで、すっごい可愛かったんだけど」


その、当たり前のようにさらりと言われた台詞にうつむく。今が夜で良かった。赤くなったかもしれない顔を見られずに済む。


「安藤さんはきっと、男ばっかの中で想像を絶するプレッシャーと戦ってるのかもしれない。けど、今は戦わなくてもいいんだよ」


そう言う岩崎の口調は、世間話でもしているかのように普通だ。


「それとも戦闘機パイロットって、プライベートも甘えちゃ駄目なの?」


その言葉だけ聞きながら、唇を強く噛み締める。

岩崎の言葉が胸に刺さった。

それは、自分が気づいていながら見ないようにしていた事を否応なく目の前に晒す。

女だからと思われたくないのに、合コンの誘いに乗る自分。

普通に談笑していたはずが、パイロットとバレた瞬間に職業口調で他を威圧した自分。

普通の女の子として遊びたいと思って来たのに、自分でそれを辞める。

矛盾している。これでは、子どもだ。


「安藤さんが戦闘機パイロットだって聞いて、本当に驚いたよ。だって、男世界でしょ。しかも、並大抵の男じゃないと来てる。そこで安藤さんがどんな過酷な状況にいるのか、俺にはもう想像すら出来ない」


やめて。そういう事を言わないで。

喉がひりつく。

わたしが男に負けるものかと歯を食いしばっている、それを認めないで。

わたしが女の子だということを、女の子でいたいということを肯定しないで。

そんなことをされたら、今までの緊張が全部、全部切れてしまう。


「だから、せめて、安藤さんを女の子扱いするくらい許してよ」


それが限界点だった。

ひりつく喉に熱いものがこみ上げ、涙が一気に瞼を乗り越える。


「な、なんで初対面のあんたに…」


そんなことを言われなきゃいけないの。その言葉は喉につかえて出てこなかった。それでも、なにを言おうとしたのかはわかったらしい。

すこし、岩崎が笑ったような気配がした。

そして、近づいてくる足音。


「そんなふうに可愛いからじゃん」


すこしぶっきらぼうに感じるくらいの勢いで、岩崎の手が頭をなでる。ぐらぐらと揺れる振動に、また涙が下へと落ちた。


「仕事の話になると強がっちゃって、いじらしすぎるでしょ」

「なんで、そういう…」


今まで、そんなことを言って来た奴はいなかった。皆、凍り付いてそれでおしまい。

それなのに、なぜこの男はそんなことを言うのか。どこをどう見たら可愛く見えたのか。


「いやね、もう、泣いちゃってる時点で相当可愛いからね?」

「う…るさいっ!」


涙は一気に引っ込んだ。勢い良く岩崎の手を払いのけ、大股で歩き出す。


「ちょ、もう、照れちゃって!」

「照れてなんかないっ!」

「も〜そんなにムキになったら照れてますって言ってるようなもんじゃん」

「もう付いて来るな、このチャラ男!」


可愛いを連発したってその手には乗るか!


「それはできないよ、女の子一人で夜道を歩かせられないからね」


またしてもさらりと言われたその台詞に、友絵はもう返す言葉を持っていなかった。






「じゃ、これ、俺の連絡先登録しといたからね」


律儀に基地の前まで送ってくれた岩崎はそう言って、手に持っていた友絵のスマートフォンを返却してきた。

それを黙って受け取る。

安藤さん、今度はいつ飛ぶの? 飛ぶ日にちと時間をメールで教えてよ。そしたら、俺、基地の近くで離陸を見送るからさ。

営業って、こういう都合はつけやすいから。

そのメールで、連絡先交換完了としようよ。嫌だったら、メールして来なかったらいいよ。まぁ、メールなかったら俺、相当傷つくけど。

そんな岩崎の一方的な申し出により、友絵のスマートフォンには岩崎の連絡先が登録された。


次のフライトは、明後日だ。


それじゃあと背を向けかけた岩崎に、ためらいがちにありがとうと声をかける。

岩崎はにこにこしながらそれを受け、友絵に背を向ける。


「気をつけて」


その声に彼は振り返らず、軽く手を挙げて答えただけで、そのまま夜へとまぎれて行った。






無骨な装備は、もういい加減身体の一部のようになってしまっている。

今日の訓練は敵の背後を取り合うドッグファイトと呼ばれる空中戦。

友絵が乗るのは単座のF−2Aだ。

友絵が2機編隊の指揮官エレメントリーダーを務め、教官がウィングマンと呼ばれる部下を演じる。

ウィングマンを生かすも殺すもエレメントリーダー次第。訓練とはいえさすがに緊張しないではいられない。しかし、その緊張すらも姿勢を正す材料だ。

一つ一つの確認作業を素早く丁寧にこなし、コクピッドへと入る。


『6/11、〇九〇〇。F−2A。安藤友絵』


そんな女子力の欠片もないメールに、それでもしっかりと返事は来た。


『基地の近くで見送ります。岩崎翔太』


きっと今頃、基地近辺でこの機体を見ているだろう。


4機上がるF−2Aのどれが友絵かは教えなかった。飛び立つF−2Aのどれかが友絵だとわかっていればいい。

ゆっくりと滑走路を離陸地点までタキシングしていく。


これから、空を飛ぶ。

この蒼い翼で。

守るべきものの為に。


エンジンがうなりを上げる。管制塔との通信を終わり、離陸体制完了。

急激な加速で身体がシートへと押し付けられ、F−2Aは一気に上空へと飛び出した。

みるみるうちに遠ざかる地上。

ちらりとそれを見てから、小さく敬礼をした。


それは、友絵が岩崎に対して今出来る、精一杯のことだった。






『格好良かったです。可愛くなりたくなったら、いつでも言って下さい』

『なりたくならなかったら?』

『あ、じゃあ、とりあえず今度ご飯行くってことで一つ!』

『馬鹿じゃないの』

『嫌?』

『誰も嫌とは言ってない! ばか!』






The END



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