第36話 忘れえぬもの・三

 私と倉本くらもと君が促すからか、三人が早く行っちまえと吠えてるからか。真彩まや桃矢とうやと顔を見合わせた。桃矢が肩をすくめると、真彩は小さく頷いて私を見る。


「じゃあ、私たちは行くけど……美伽みかちゃんは無理しちゃ駄目だよ?」

「うん、ありがと真彩。……桃矢もありがと」

「……無理すんなよ」


 私と目を合わさず無愛想に桃矢は言うと、真彩の手をとった。真彩は私に手を振って、桃矢と二人で船の形をしたアトラクションがあるほうへと歩いていく。

 仲が良い二人。雑踏に消えていく幼馴染みと友達の背中。――――どこにでもいる、ありきたりな美男美女カップルの背中。


 ……嫌だ。そんな当たり前の姿にさえ嫉妬する自分が嫌になる。飲む仕草でごまかそうにも、もう飲み干しちゃった。こんなの、紙コップ一杯じゃ足りないよ。

 空っぽの紙コップを見つめてると、声が頭の上から降ってきた。


「……水野みずのさん、医務室へ行ったほうがいいんじゃないのかい? まだ顔色が良くないよ」

「だよな。芳田よしだたち、この後も結構動きが激しいのに乗りたがってたし、一緒にいるときついかも」

「でも医務室ってどこだよ。えーと、案内図案内図……」


 倉本君とあずま君が言いあう横で、星野ほしの君は鞄から入り口でもらった案内図を取り出して広げた。周りを見回しながら、現在地と医務室を探してるみたい。ぶつぶつ言ってる。

 ここから移動したくないけど、でもこれはホントに医務室へ行ったほうがいいかも。なんかもうアトラクションに乗る気分じゃないし。横になってもましになる予感がしないよ。というか、帰りたい。

 私は石田いしだ君とあずま君を見上げた。


「そういえば三人共、なんでここに? 和子かずこたちは?」

「女子たちは、トイレに行ったよ。行列ができててまだかかりそうだから、先に来たんだ。トイレの周りにも結構人がいたりして、三人で待ってるスペースがなかったし」

「で、そこのところであの二人に出くわして、奇遇だなーとか言ってたら、こっちのほうを見てた斎内さいうちが、急に走りだしてよ。なんだと思って追いかけてみたら、あのとおりってわけ」

「……そう、なんだ……」


 ………………。

 桃矢が、私がいたほうを見てた。その事実に操られるように、私の目は桃矢がさっきまでいたあたりへと向いた。馬鹿な私の脳みそは勝手に、見てもいない、駆けだす桃矢の姿を瞼に描きだす。

 私は、紙コップを強く握りすぎてしまわないよう注意した。


 桃矢と出くわしたとき、三人は合コンのことをどう説明してたのかな。私がいることとか、私が調子に乗りすぎてへばって休んでいることとか、話したのかな。

 桃矢は、どうしてこっちへ来たんだろう…………。


 私がそんな思惟に沈みかけてたとき、和子たちがおしゃべりしながらやってきた。紙コップとかアイスとかを両手に持ってるところからすると、フードコートへ寄ったのかな。

 やっと来た、と石田君は両腕を組んだ。


「遅いぞ女子」

「ごめんごめん、トイレ行ったついでにジュースとかアイスとか買ったりしててさ」


 和子はそう、片手で石田君たちに謝る。そしてすぐ、私の顔を覗きこんだ。


「それより美伽、大丈夫? なんか、さっきより顔色ひどくない?」

「当たり前だよ。水野は、倉本が飲み物買いに行ってるあいだに、知らない奴らに絡まれかけてたんだから」

「えっ? ちょっと美伽、大丈夫?」


 石田君の説明に、和子と友里ゆりはぎょっと目を見開いた。すぐ心配そうな顔で私を見下ろす。

 私は小さく笑ってみせた。


「うん、怪我はしてないよ。ちょっと怖かったけど」

「その顔色で言われても説得力ないよ。ねえ倉本、美伽を医務室へ連れて行ってくれない? そのあとは、こっちへ来てくれたらいいから」

「だな。この状態で水野をほっとくのはまずいし」


 と、案内図から顔を上げて星野君は言う。他の男子二人も同意顔なのは、推して知るべし。やっぱり三人とも、倉本君はお邪魔虫なんだね……。

 けれど、合コンの顔触れに敏感なのはメインの男子三人だけじゃないのは当然のこと。和子が連れてきた女子の一人がええ、と不満そうな声を上げた。


「でも倉本君、私たちがジェットコースター乗ってるあいだ、水野さんに付き添ってたんでしょ? それに、男の子がついていくのもまずいんじゃない? 同じクラスの稲川いながわさんが一緒に行ってあげたら?」


 と、言いながら女子は私と友里のほうをちらりと見てくる。わかってるわよね、とでも言いたそうな視線だ。一応は正論を入れてるあたり、かなり本気で私と倉本君の引き離しをしたいらしい。

 一方、夢見る男子三人はげ、といった表情。おいなんとかしろ、って目で私に訴えてくる。

 いやあの、素敵な彼氏ゲットに燃える女子五人の共謀を、私一人でどうやって止めろっていうのよ。友里や和子が一緒でも無理だ。そんな無茶、言わないでちょうだい。


 倉本君も、私につきっきりで女子五人が帰ってしまうとまずいと考えたのか、すぐには持ち前の話術で女子五人を丸め込むことはできないみたい。彼に女子五人の野望を止められないのだから、私や友里でどうにかできるはずもない。結局、私は友里に付き添われて医務室へ行くことになった。

 男子三人、不可抗力なんだから恨まないでちょうだい。恨めしそうな顔で私を見るのもなし。あとは倉本君に助けてもらってよ。


 入口の近くにある医務室へ向けて二人で歩きだしてすぐ、友里はにやにやして私の名前を呼んだ。


「結構いい雰囲気なんじゃない?」

「へ?」


 私が目を丸くすると、倉本君だよ、と友里は興奮気味に言った。


「彼、美伽のこと絶対気になってるんだよ。倉本君が和子の誘いに乗ったのも、美伽が来るからなんじゃない?」

「そうかな……まあ去年から前より話すようになったとは思うけど、ほとんどからかわれてるだけだし、単に暇だったからだと思うけど」

「さっきの見て信じられるわけないよー。あれ、どう見ても倉本君、美伽のことが気になってるんだって」


 友里は口の端を上げて、楽しそうに笑いながらさっきと同じことを繰り返す。あれ、そんなに面白かったかなあ。

 友里の笑いにつられて、私は数分前の出来事を思い出した。


 女子五人に押しきられて、私の付き添いが友里に決まったあと。人通りがあるところまで皆で少し歩いてから、倉本君は私と友里のほうを振り返った。


「じゃあ稲川さん、水野さんをよろしく。水野さんも、無茶をしちゃ駄目だよ」

「了解! 美伽は私がばっちり監視しとくね」

「二人とも、心配しすぎだよ」


 結託する二人に、私は眉を下げる。私は騒ぐつもりなんて全然ないのに。二人とも、一学期以来すっかり心配性になったお父さんとお母さんみたいだよ。

 そんな私の抗議は当然のはず。でも倉本君は、心配なんだよ、と苦笑した。


「君は、倒れるまで何も言わないから」


 そして倉本君は、私の頭にぽん、と手を置いた。


「頑張るのはいいけど、ほどほどにね?」


 その、私を見下ろす、心配を含んだ柔らかな目――――まとう空気。

 そんな一幕を思い出したのか、友里はうっとり顔になった。


「いいなあ、私もあんなふうに心配されてみたい」

「友里……あの三人もいい人だと思うけど。見た目は普通だけど、性格暗いわけじゃないし」

「いい人でも、ときめかなきゃ付き合っても意味ないでしょ」


 うわあ、ばっさり言いきったよ……。そりゃそうだけどさ。三人共、ご愁傷様……。


「でも、美伽だって悪い気はしないでしょ? 倉本君はお金持ちだしピアノ上手いし紳士だし、この先二度とお目にかかれないかもしれないくらい超優良物件だよ? あ、美伽は斎内君で見慣れてるか」

「見慣れてなんかないよ。桃矢はがさつだし、倉本君みたいな気配りなんて全然できないし、ただのガキ大将だよ。……まあ、倉本君はいい人だとは思うけど……」


 どこか楽しそうな友里に、私は曖昧な表情と答えを返すしかなかった。

 友里の言うとおりなんだとは思う。倉本君は私をからかう意地悪な人だけど、私の弱さも言葉の足りなさも理解してくれる。弱っていれば助け、優しくしてくれる。桃矢よりもずっと完璧な人。倉本君に恋すれば、私はきっと楽になれる。

 ――――――――私に告白してきたときの大木君と同じ目をする人なのだから。


 でも、無理。少なくても今は。


 だって私は、まだ覚えてる。

 我を忘れるほどの激しい怒りや、人目も憚らず私を抱きしめる腕の力強さも。

 静かな公園の前での、全身の熱さや胸に広がった気恥ずかしさ、目も合わせられないくらいの喜びも。

 恥ずかしいものを消してくれない意地悪も、たまに見せるおねだりも。

 それに、夕暮れの練習室で向けてきた、あの――――――――――――


「……っ」

「美伽? どうしたの? 気分悪い?」


 私が息を飲み身体を震わせると、友里はすぐに気づいて足を止めてくれた。心配そうな目が私の顔を覗き込む。


「うん……でも大丈夫だよ。歩くくらいはできるから、早く医務室へ行こう」

「そうだね」


 私がどうにか笑みを作ると、友里は頷いてまた前を向く。こんな中であったかい飲み物もなしで、休めるわけがないよね。

 けれど私は、救護室に着いても本当の意味では休めないだろうとわかってた。

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