第24話 痛みと約束と・二

「昨日、お前に嫌がらせしてた奴の共犯がわかったんだよ。倉本くらもとが突き止めた」

「……!」

「倉本君がその共犯どもから聞いた話によると、そいつらは主犯のやり口がいい加減嫌になって降りたらしくて、もう嫌がらせに関わる気はねえんだと。それがどこまで本当かはわからねえが、倉本が大丈夫っていうんだから、少なくてもそいつらが嫌がらせに加わることはもうないと思う」

「うん、倉本君だものね…………じゃあ、さっきのは主犯の人が……?」


 この、とんでもなく痛いのは。さっきまでの恥ずかしい思いも。

 ああ、と私を心配した顔で桃矢は頷いた。


「……主犯の奴は、手下に逃げられて苛々してるはずだ。一人でも嫌がらせはできるが限界はあるし、俺や他の奴らがお前を守ってるのも知ってるだろうしな。自分の思いどおりに上手くいかないのが癪に障ったんだろうよ」

「癪に障ってって……」


 何それ。

 まず、その一言が頭の中に浮かんだ。

 何よそれ、身勝手すぎる。

 そんな自分勝手でつまんない人のせいで――――…………!


「……桃矢とうや。私に嫌がらせした人たちって誰?」

「……お前、直接殴り込みに行く気か?」

「当然。犯人は当然だけど、共犯の人たちだって私にさんざん嫌がらせしただけじゃなくて、明希にまで怖い思いをさせたんだよ? 主犯も共犯も関係ない。文句言ってやらないと、気が済まない」


 ぎょっとした顔の桃矢に、私は無意識のうちにそう荒っぽく言った。

 私にとって下駄箱や廊下は嫌なことがあった場所で、三ヶ月かかってようやく気にしないでいられるようになってきてたんだよ。なのに、忘れられると思ってたあの記憶を、コンクールを控えたこの大事なときに無理やり引きずり出して…………っ。私がどれだけ不愉快な思いをしたのか、思い知らせてやりたい。

 それに、明希は私と一緒に練習してたってだけで怖い思いをしたんだよ? それを謝りもしないだなんて……そのことも許せない。

 桃矢は両腕を組んだ。


「お前が怒るのは当然だ。俺だってもしその共犯どもがぺらべらしゃべってるところにいたら、その場で殴ってただろうさ。……でも、お前まで出てきたらまずい。お前がキレてひっぱたくのは目に見えてるし……そしたらまた嫌がらせされかねないぞ」

「けど、だからって」

「倉本が突き止めたって、さっき言っただろ。あいつらは反省してねえかもしれねえが、あの腹黒が、大人しく話を聞いて注意するだけで終わると思うか? 思わねえだろ」

「……」


 ……確かに、あの倉本君が嫌がらせの共犯を軽く注意するだけなんてのは考えにくい。スマホで自供を録音して笑顔の脅しとか、余裕でやってそうだ。

 まあ、もし録音がなくても別にいいんだけどね。倉本君に言われて私、嫌がらせをされてる証拠を集めたりスマホで撮っておいたから。文明の利器にあふれたこのご時世でご丁寧に紙に手書きなんてしてくれちゃってるから、犯人の目星がつけば中傷の紙と容疑者のノートと比較すれば証拠になるって、倉本君が勧めてくれたんだよね。そのときの倉本君といったら、それこそ某国民的アニメの少年探偵みたいなかっこよさだったよ……。


 もちろん、中傷の紙を集めるのは精神的に楽な作業じゃなかった。特に下駄箱に入れられてたやつは、扉を開けようとするたびに怖かったし、気分が悪くなりかけたし。倉本君も、それは友里ゆり真彩まやに頼むから私はしなくていいって言ってくれた。

 でも私は、自分で集めた。トラウマにも犯人にも、負けたくなかったから。犯人が私にぶつけてきた悪意の塊で犯人に仕返ししてやるんだっていう、意地と復讐心で集めたみたいなものだよ。そのときの私の顔は、それこそ死んでも桃矢に見せられない、ひどいものだったと思う。……専攻も下駄箱の位置も教室の階も桃矢と違ってよかったよ、ホントに。


「共犯どものほうは倉本がシメてあるし、犯人のほうも、二度とお前に手ぇ出すなってあとで俺が脅しに行くつもりだ。だからそれで我慢しろ」

「……」


 私の頭を撫で、桃矢は私を宥める。ちょっと桃矢、触らないでよ。これじゃ私、小さい子供みたいじゃない。

 いらっとして、私は桃矢の手を払いのけた。


「どうせ、犯人一味が誰なのか言うつもりないんでしょ」

「当たり前だろ」

「主犯が吉野よしのさんかどうかも」

「……」


 …………桃矢、それ、全然否定になってないから。むしろ肯定だから。昔から嘘つくのは下手だよね。まあ、違うって言われても信じないけど。


 私だって馬鹿じゃないから、最初から吉野さんを疑ってた。最近私に絡んできてて、しかも何かしてきそうなのは、あの人しか思い当たらないもの。明希たちも絶対そうだって言ってたし。でも証拠がないし、万一違ってたらとんでもない名誉棄損になるから、一応はあくまでも可能性の九割として、断定はしないでいた。

 けど、共犯になるような根性が腐った人と知り合いだってこととか気分で人を傷つけるような身勝手さ、何より桃矢の反応を見れば、彼女としか考えられない。他に誰がいるっていうのよ。教えてほしい。


 私が推理しているのを、表情で理解したのか。桃矢は横を向いてため息をついた。しくじった、とでも言いたそうに自分の髪をわしゃわしゃかき回す。


「……キレて大木おおきを殴り殺しかけた俺を止めたのは、お前だろ。そのお前が人を殴りに行ってどうすんだよ」

「そりゃ、そうだけど」

「わかってる。……でも、やるな。俺がやめさせるから」


 言い返そうとする私の声を遮り、桃矢は繰り返す。私に乞うように、願うように。

 さっきと同じ真顔が一瞬、大型犬のおねだりの顔に見えた。


 ………………まったくもう。なんでこんなときにそんな顔と声するのよ。あんた、私がその顔と声に弱いってこと、知ってるでしょ。仕返しできないじゃない。

 でも、桃矢が言ってることは正論だ。私は、桃矢が抵抗もできなくなった大木君をまた殴ろうとしてるのを止めた。桃矢が友達を殴るなんて、絶対に駄目だと思ったから。……その私が、誰かを殴ったりなんてしちゃいけない。


「…………わかった」


 納得には程遠いけど、そう頷くしかない。犯人一味にも桃矢にも、自分にも腹が立つ。

 桃矢は、そういやお前、って無理やり話題を変えてきた。


「……今度、映画見に行く話なんだけど」

「へ、映画?」


 何よいきなり。私が目を瞬かせると、だから、と視線を左右にさまよわせてから、桃矢は気合いを入れなおしたみたいな感じで口を開いた。


「なんか、伯父さんがピアノのスタントをやった映画があるらしくてさ。その縁で、先行上映会の招待券を二人分もらえそうなんだよ」

「え、そうなの? どんな映画?」

「タイトルは忘れたけど、近代日本っぽい異世界の恋愛ものだって言ってた」

「あ! それ多分知ってるやつだ」


 確か、時田ときた先生と友里ゆりイチオシの少女漫画だ。読んだことはないんだけど、熱く語ってるのをそばで聞いたからあらすじは少しだけ知ってる。

 でも、その作品って…………。


「どうする? それ見に行くなら、招待券をもらってくるけど。来月みたいだし」

「うーん……」


 聞かれ、私は口元に指を当てた。

 でも、考える仕草はふりだ。答えなんて決まってる。好きな人が映画の招待券、それも気になってたあらすじの作品のを用意してくれるっていうのに、予定が合わない以外で断る女の子なんていないでしょ。

 私は緩んでしまいそうな顔をどうにか引き締めて、いかにも仕方なさそうな顔を作った。ちょっと変かもしれないけど、まだ傷が痛いし、桃矢は鈍いからばれないよね、うん。


「…………仕方ないなあ、一緒に行ってあげるよ。気分転換になるだろうし」

「なんだよその上から目線。お前が一緒に行こうって言いだしたんだろうが。つか、怪我治すのが先だろ」

「治すよもちろん。これじゃ練習もろくにできないし。桃矢が一人ぼっちで映画見に行くのが可哀想だから、一緒に行ってあげるの」

「お前なあ……」


 桃矢はじろりと私を睨む。でも全然怒ってないからちっとも怖くない。桃矢も、私が軽口を叩いてるだけなのはわかってると思う。


 それから私は桃矢に促されて、傷口の洗浄を再開した。ああもう痛い痛い痛い。あの勘違い女、ホントひっぱたきたい……!

 皮膚を通り越して骨に届いてるんじゃないかってくらい深い痛みを堪えてどのくらいか。大体綺麗になったところで、私は手を止めた。こんなに痛いのに、これ以上やってられるもんか……!

 ガーゼを傷口に当ててテープで止め、処置は完了。靴下を引っ張り上げて隠し、私はゆっくりと、慎重に長椅子から下りた。う、やっぱり痛い……。


 ああやっぱり、早く傷を治さないと。こんな足じゃ、二人きりの映画館なんて楽しめないもの。映画を見たあとだって、まだ桃矢と一緒にいたいし。

 だから、ねえ神様。嫌がらせの犯人に罰をなんて言わないから、私の傷を早く治してください。

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