第22話 見ていたもの・二

「…………私も、全然わかんないよ」


 私も青空に目を向け、そう呟くように言った。


「そりゃ、桃矢とうやとは小さい頃から一緒だから、予想つくことはいっぱいあるよ? お互い好きな食べ物とか曲の傾向は知ってるから、これ好きそうだなーって思ったから大抵は当たるし。歌いたい曲や弾きたい曲も当てられる。……でも、それでもやっぱりわかんないことはあるよ。多分、私がわかんないって思ってることよりもずっと」


 たとえば、桃矢が大木おおき君のことを今はどう思ってるか、とか。

 桃矢がどんな気持ちで私を守ろうとしたのか、とか。

 ――――――――私のことをどう思ってるか、とか。


「でも、わかんないのは仕方ないよ。私と桃矢は違うもん。目の前にいる人のことなんて、本当は誰にもわかるわけがない。……それにきっと、わかったってどうしようもないこともあるよ」


 たとえばもし、大木君がおかしくなってることを早くに気づいたとして、私や倉本くらもと君に何ができたのだろう。大人を頼ってあんなことにならずに済んだとしても、大木君が退学になるのは避けられない。結局私たちは、今と同じ後悔をしてたと思う。――――大木君がおかしくなった時点で、私たちの後悔はきっと決まってた。


 どれだけ時間をかけたって、人間は他人のすべてをわかることなんてできやしない。悲しくて苦しい気持ちになるけど、それが現実。

 だから。


「だから、倉本君が落ち込まなくていいんだよ」


 苦しみに気づいてやれなかったと、自分を責めないでほしい。大木君がおかしくなってしまったのは、倉本君のせいじゃないのだから。気づけなかったのは、私や他の人たちも同じなのだから。

 どうか、わかってくれますように。祈るような気持ちで、私は倉本君を見上げた。


 …………あのー、倉本君。そうも見つめられると、ものすごく居心地が悪いんですけど。しかもなんか驚いてるし。まあそりゃ普通、高校生が説教ぶつなんてやんないけどさ。ああなんか自分でも恥ずかしい。

 唐突に、ふ、と倉本君は小さく笑った。


「…………水野みずのさん、かっこいいね」

「そりゃ私ですから?」

「何それ」


 わざと茶化してみると、倉本君はさらに笑う。――――少し眉を寄せて、切なそうに。


「……ありがとう水野さん」


 倉本君はささやくように言った。


涼輔りょうすけのことは、許さなくていいよ。むしろ、早く忘れてほしい。涼輔のことを忘れてしまわないと、君はきっと今のまま、前に進めないだろうから。被害者の君が、涼輔の馬鹿にいつまでも付き合う必要はないよ」

「…………倉本君、結構きついね」

「当然だろう? 涼輔は君にそれだけのことをして、今も君を苦しめてるんだから。それに、叱るのも友情のうちだろう?」

「…………確かに」


 それもそうだ。からっとした倉本君の物言いに、私はつい小さく笑った。

 倉本君が突然放り込んできた重い空気は、私たちの笑いでどこかへ飛んでしまってた。丸く爽やかな、そう、いまちょうど吹いてきた木陰の風みたい。

 私の言葉は、倉本君の心を少しでも軽くすることができたのかな……?


 自分がしたことの結果の一端がすぐ目の前に表れて、私は安心した。まだ空元気なんじゃないかなとも不安は残ってたけど、でもこうしてふっ切れた様子を見るとほっとする。うん、元気なほうがいいよ。

 それで、と倉本君は言う。もうすっかり普通の倉本君だ。


 ……あ。それってつまり……――――


「これから水野さんはどうするの? 涼輔のことは解決したけど、斎内さいうちとはどうなったんだい?」

「う……」


 なんて痛いところをいきなりストレートにつついてくるかな。私は言い返せず、言葉に詰まった。

 そう、私の一番の悩みは言うまでもなく嫌がらせだけど、桃矢のこともなのだ。


 このあいだの文化祭でどうにか映画に誘うことはできたけど、だからって私たちの距離が急に深まったりなんてしてない。一緒に学校へ行って家に帰って、たまに食堂でご飯を食べる。今までと変わらないままだ。

 焦ってないわけじゃない。今は女の子に囲まれても鬱陶しそうにしてるけど、真彩まやみたいに可愛い子がいたらもしかしたらって考えないほど、私は能天気じゃない。倉本君が文化祭で言ってたのは正しい。幼馴染みの立場に甘えてちゃ駄目だ。

 でも――――――――


「……桃矢は私のこと、幼馴染みとしか思ってないよ。下手したら、小うるさい双子の妹とか思ってそうだし。そんなふうに見てなかったって言うよきっと。それに今、私は自分のことだけでも結構きついし」

「……」

「……逃げてるだけってわかってるんだけどさ……」


 重い息が漏れ、それでも軽くなんかなれない頭は勝手に前へと沈んでいく。視界は褪せた色の桟敷と冷たい床だけ。

 ああ、重い。なんて重い。言ってるうちに頭も声も落ちていくのを、私は止められなかった。

 ふられるのはわかってる。私が大木君にそうしたように、桃矢も今までどおりの距離でいようとするだろうことも。告白してふられても私はきっと、桃矢と幼馴染みでいられる。当たって砕けたら、すっきりするかもしれないって思ってはいるんだよ。


 でも…………私と大木君の何が違うというの? 事件の直後は彼を理解するなんて無理だったけど、少しだけ時間が経った今なら、彼はふられたあとの私がなってしまうかもしれない未来の一つなんだってわかる。

 瞼が重くて目を閉じれば、見たくないものが容易く瞼の裏に浮かぶ。私の自信を奪う、忘れてしまいたい光景。

 梅雨になる直前の、桃矢が真彩と廊下を歩いてる姿。

 つい最近見たばかりの、真彩が桃矢のピアノに聞き入ってる姿。

 ――――梅雨の倉庫で聞いた、想いを暴走させてしまった人の、声。

 思い出すだけでも胸が痛くて、私は唇を噛んだ。


 大木君と同い年の高校生で、同じように近くにいる人を好きになって想いを募らせてきた私が、桃矢にふられたあと、何があっても大木君と同じことをしないなんて、誰が言いきれるの? 現にこうして、誰よりも可愛い友達が桃矢の隣を歩いてるだけ、桃矢の演奏に聞き入ってるだけで胸が痛むのに。

 大木君のことがなくても、私は桃矢に告白できないままだったと思う。でも間違いなく、私の臆病さは悪化してる。好きだと伝えられない理由を探して、勝手に縛られる。こんな自分が嫌でたまらない。

 そんな私の心中を知ってか知らずか、倉本君は息をついた。


「……水野さん。今は、何も考えないほうがいいと思うよ。今の君は自覚してるとおり、まだ精神的に不安定なところがあるみたいだし。斎内の様子や噂からすると、今すぐ彼が誰かと付き合うようにも思えないしね。君だって、彼が特定の誰かを気にする様子を見たことはないだろう?」

「う、うん……」

「ならいいじゃないか。文化祭のときにも言っただろう? 君は斎内に大事にされてる。今はそれに甘えときなよ。こういうときなんだし、女の子らしく甘えて他の子に目が向かないようにするくらいはできるんじゃないかな」

「結局、そこに行き着くんだね……」


 それってもろに小悪魔系女子がすることじゃないでしょうか。やっぱり倉本君は悪魔だよ……。

 とりあえず、と倉本君は玄関の外を指した。


「今日のところは、近くの洋食屋でお昼食べていこうよ。このあいだ、二人分の割引クーポンをもらったんだ。あ、女の子はドーナツ屋かケーキ屋のほうがいいかな? そっちも割引クーポンもらってるんだ」

「……倉本君、私を食べ物で釣れる、ちょろい子供だと思ってない?」

「いやだなあ。君が女の子だってことは、ちゃんとわかってるよ?」


 うわ、胡散臭い笑顔。今までだったら素直にかっこいいとかときめいたりとかしたかもしれないけど、もう無理だ。胡散臭いとしか思えない。

 そもそもこの話の展開、どこからどう聞いても子供を宥めるやり方じゃん。私、倉本君と同い年なんですけど。しかも二人分のクーポンって……もしかしなくても、それを使うことが目的なんじゃ…………もったいない精神…………。


 けど結局、私は倉本君と近くの洋食屋さんでお昼を食べることにした。割引クーポンがあるということで、私が注文したのはチキンステーキの野菜ソース添えとオレンジジュース。もう少し頼むつもりだったけど、ビーフステーキと小海老のフライ以外にも色々頼む倉本君を見てるうちに、もういいやってなったんだよね。なんなの倉本君、見た目細いのに、なんでお腹空かせたときの桃矢並みに食べるのよ。


 二人分にしては多すぎる量の料理が並ぶテーブルを挟んでの会話も、ただの雑談から何故か私と桃矢のことへと移っちゃったし。もちろん速攻で切り上げたけどね。どうして私、倉本君と恋バナしてるんだろう。しかも、自分の片思いのことで。普通、こういうのは女子同士でするものじゃないの?

 なんかもう、疲れた。食べ終わった頃、私は精神的にぐったりしてた。

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