第16話 きらめく気の迷い・二

「どっちとも付き合ってないよ。なんでそういう話になるわけ?」

「とぼけないでよ。貴女、いつも斎内さいうち君か倉本くらもと君と一緒にいるじゃない。一学期の事件のときだって、斎内君に助けてもらったんでしょう?」

「幼馴染みや友達と一緒にいるのは、普通だと思うけど。そもそも、貴女には関係ないでしょ」

「っ貴女……っ!」


 ぴしゃりと言ってやると、高飛車女子の眦が吊り上がった。ドレスや顔立ちに合わせたきつめの化粧にぴったりな表情だ。これぞ魔女って感じ。


「何が関係ない、よ。いい? 二人ともピアノ科の二年で指折りのピアニストなの。特に斎内君は、選ばれた者なのよ。貴女みたいな平凡な人が、一緒にいていいわけないの!」

「はあ? 選ばれた者? 意味わかんない。なんで私や桃矢とうやや倉本君が、貴女に交友関係管理されなきゃいけないわけ? ふざけないでよ」


 怒りがかっと沸いて、私の全身を焼いた。知らず返す声は怒鳴るほどではないけど、大きなものになる。高飛車女子のそばにいる子は、びくりと身体をすくませた。

 なんて最悪な人なんだろう。彼氏をとっかえひっかえしてるとか悪い噂があるけど、これじゃ事実無根でもそんなのを流されても当然でしょ。自業自得だ。

 気持ち悪い。怒りと同時に、その言葉が私の頭の中に浮かんだ。そう、気持ち悪い。あんな、神様か何かみたいに桃矢と倉本君を特別視してるなんて、まるでアイドルのファンか――――――――

 ―――――っ。


 意識と記憶が飛びそうになり、私は自分の腕を掴んだ。その痛みで現実に焦点を合わせる。――――身体の震えを抑えつける。

 そのときだった。


「いい加減にしてちょうだい」


 …………え?

 真彩まや


 隣から聞こえてきた声に、私は一瞬、思考を停止させた。

 だって今の声、いつもの真彩じゃなかったもの。氷でできた刃みたいに、冷たくて鋭くて、胸に突き刺さる。

 でもやっぱり、声の主は真彩だ。見下ろした真彩の顔は少しも可愛いくなんてない。声と全く同じ、冷たい氷だ。空気だってそう。細くて小さな体から放たれて、私の怒りを凍らせる。

 呆然とする私の前で、真彩は腰に手を当てた。


「どうせ、桃矢君や倉本君と仲が良いからって美伽ちゃんに嫉妬してのことでしょうけど……だったら二人と仲良くなろうとすればいいじゃない。貴女はピアノ専攻で、美伽みかちゃんより二人と顔を合わせることが多いんだから」

「っそんなの、私だって」

「やってみたけど駄目だった? だったら他の方法で仲良くなればいい。他の子たちだってそうしてるじゃない」


 かっとなった高飛車女子の反論を、真彩は一刀両断した。


「大体、こんなふうに裏で牽制して距離を置かせようなんて卑怯な手を使う人とあの二人が仲良くなりたがるって、貴女は本気で思ってるの? それは二人に対して失礼よ」


 高飛車女子の言葉を遮って、真彩は断言した。

 言葉も、目も全身も、真彩のあらゆるところから怒りがにじんでいた。普段の可愛らしさはどこにもない。そんなものはもとからなかったかのように、整った容姿を彩り、一層際立たせてる。


「美伽ちゃん、行きましょう」


 真彩は顔を真っ赤にする彼女を冷たい目で一瞥すると、もう興味を失くしたみたいにさっさと扉へ向かっていく。わ、待って真彩、速い速い。私を一人にしないで!


「ちょっと、待ちなさいよ!」


 きんきん声が後ろから聞こえてくるけど、誰があんたの言うことなんて聞いてやるもんか。私は無視して部屋を出た。出るときはもちろん、扉をわざと叩きつけるようにして閉める。

 控室から少し歩いて、私と真彩はどちらからともなく足を止めた。顔を見合わせ、やっと表情を緩める。


「……真彩、ありがとう。助かったよ」

「ううん、私も聞いててすごく腹が立ったもの。全日本で優勝してる美伽ちゃんに平凡なんて! むしろはっきりあの人に言えてよかったわ。このあと弾く曲も、ちょうど怒った感じの曲だし」

「はは……」


 まあ確かに、真彩がこのあと弾くのは、荒々しい海の様子を表現した曲らしいもんね。聞いたことのない曲だから、楽しみにしてたんだけど……このぶんだと、ホンットに荒れ狂う海になりそう…………。


「美伽ちゃんも、あんな人の言うことなんて気にしないで。美伽ちゃんがあの二人と仲が良いのを羨んでるだけだもの」

「うん、わかってる。気にしないよ」


 だってあんなの、中学のときから何度も聞かされたもの。高校に入ってからは初めてだけど……桃矢と一緒にいる上であの程度のこと、一々気にしてちゃきりがないよ。

 そう、あんなのは忘れてしまうに限る――――――――


「美伽」


 ――――ん?

 少し話をしてから真彩と別れたあと、真彩の演奏を聞くために観客席の出入り口へと向かってた私は、廊下の向こうからやってきた男子を見て目を瞬かせた。


「桃矢?」


 私が思わず立ち止まると、桃矢は私のそばに寄ってくる。私を見下ろしてすぐ、顔をしかめた。


「……お前、何怒ってるんだよ」

「女子は怖いってことにしといて」

「あー……」


 説明するのも嫌で、私は色々と省略して一言で済ます。でも私の苛立ちの理由にぴんときたみたいで、桃矢は息をつくと私の髪をわしゃわしゃとかき混ぜた。ちょっ何すんのよ!


「気にすんなよ。そんな奴らのことなんて、気にするだけ時間と頭の無駄だぞ」

「わかってるよ。これから真彩と倉本君の発表だし。私を妬む暇あったら、練習するなり打ち合わせするなりしろってのよ。あーもう、腹立つ腹立つ……!」


 口にしてみるとさっきのやりとりが頭の中に聞こえてきて、真彩に代わりに怒ってもらったり桃矢の顔を見て少しは収まってた感情がまたよみがえる。ああもう、なんでこんなの思い出していらっとするのよ私。駄目だよ、駄目。忘れちゃえ。

 だから私は首を振って、改めて桃矢を見上げた。


「桃矢は真彩と倉本君の演奏、聞いていくの?」

「いや、もう戻る。ちょっと寄っただけだ」


 と、桃矢は肩をすくめた。

 かの有名な国際コンクールのピアノ部門で優勝っていう実績をひっさげて帰国した桃矢は、午後から優勝記念のソロコンサートをすることになってる。理事長からだけでなく、ピアノ科の先生たちにも懇願されたんだって。理事長は校内だけじゃなくて校外にも大きく宣伝したみたいで、桃矢の伯父さんもあちこちで甥っ子の晴れ舞台のことを自慢して回っただろうから、音楽科の生徒はもちろん、普通科の生徒や一般の人、クラシックの評論家、雑誌を売ってる出版社の人たちも大勢来ると思う。桃矢の優勝のことは、ニュースでも小さくだけど取り上げられたし。桃矢にとって、今までで一番重要なコンサートになるのは間違いない。

 だから私は廊下の向こう――――正面玄関のほうを指差した。


「じゃあ、もう行きなよ桃矢。今日のお客さんは耳が肥えた人ばっかりに決まってるんだから。失敗したら恥ずかしいよ?」

「わかってるっての。先生たちと同じこと言うなよ」

「事実でしょ。ほら、行った行った」


 と、私は桃矢の背中を正面玄関のほうへぐいぐい押す。桃矢がわけわかんないって顔してるけど、無視無視。私に構ってないで、とっとと行っちゃってちょうだい。ネックレスになんて気づかなくていいから。

 よし、なんとか桃矢を追い出せた! 桃矢が玄関から出ていくのを見届けて、私はほっと息をついた。さあ、あとは真彩と倉本君の演奏を聞くだけだ。

 運がいいことに、私がホールへ入るとちょうど誰かの発表が終わったところで、拍手が会場に響いてた。私は足早に通路を歩き、端のほうの席に明希あきを見つけてその隣に座る。


「真彩と倉本君はまだだよね?」

「うん。次の次が真彩の番だよ。そのあとすぐ倉本君」


 そう、ならよかった。あの二人の演奏は素敵だもの。あんなひどいことで遅刻とか、冗談じゃない。

 そういや倉本君、何を弾くのだろう。ラヴェルが好きだって前に言ってたけど、今回は弾くのかな。桃矢も好きだから、結構聞かせてもらったりするんだよね。私は『クープランの墓』とか『ソナチネ』とかが好きだけど、『水の戯れ』も倉本君の演奏で聞いてみたいなあ。


「ねえ、そういや美伽」

「…………何?」


 普段見ることも聞くこともめったにない倉本君のピアノを想像してわくわくしてると、明希かが突然そう私に呼びかけてきた。どういうわけか、何かを期待したような目で私を見る。

 なんだろう、明希の顔が…………。


「そのネックレス、もしかして斎内君からもらったの?」


 っ!?


 倉本君並みの鋭さに、私は思わずぎょっと明希を見てしまった。

 ちょっと待って、確かに発表前に着替えたあと、明希に誕生日祝いにもらったものだって話したけど、くれたのが桃矢だなんて言わなかったよ私!?

 答えたも同然な反応を明希がわからないはずもなく、やっぱりそうなんだ、と嬉しそうに私を見る。

 私の顔は引きつるしかなかった。


「や、やっぱりって……」

「だって、斎内君が来た途端に美伽は控室へ行っちゃったじゃない。あれって、斎内君が来たからでしょ? それにさ」


 と、そこで明希は一度言葉を切る。にやにや顔に、意地悪な色がさらに混じる。


「私、美伽が珍しくネックレスつけてるから、幼馴染みに見られるのが恥ずかしかったんじゃないのって斎内君に言ったんだよ。そしたらさ」

「……」

「斎内君、なんか嬉しそうにしてたよ?」


 そして明希は、悪戯が成功した子供みたいに笑う。その顔が倉本君に似てると思っちゃった私はきっと悪くない。

 ……ああもう、まったく。なんで私、あのネックレスをつけてきちゃったんだろう。地下生活開始じゃん、これ。

 耳まで真っ赤になった顔を両手で覆いながら、私は自分の気の迷いを本気で後悔した。

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