第12話 特別な日・二

 その隣で、真彩まやがねえ、と私の浴衣の袖を引っ張った。


「ねえ美伽みかちゃん、教会で歌うって斎内さいうち君が言ってたけど……」

「あ、うん。今度の日曜にするの。神父さんに頼まれちゃったんだ」

「ふうん、それは面白そうだね。行ってみようかな」


 顎に指を当て、倉本くらもと君は小首を傾げる。真彩も、私も行く、と続く。


「教会なんて行ったことないし、中がどんなふうなのか見てみたいな。ねえ美伽ちゃん、その教会って写真撮っていいのかな?」

「うん、コンサートの最中じゃなかったらいいんじゃないかな。神父さんも奥さんも、そういうのは結構緩い人だし」


 というか、私のドレス姿なんて撮らないでいいよ真彩。真彩ほど可愛くないもの。記憶の中に収める程度にしてちょうだい。


 そんなふうに話をしてるあいだにも、時間と私たちの足は進んでいく。気づけば、花火が打ち上げられる時間と場所に辿り着いてた。

 普段はコンテナの集積場として使われてるという花火の打ち上げ会場は、すでに人で埋め尽くされてた。コンテナの影になってるところはあんまり人がいないけど、それ以外の場所は大勢の人が行き交いあるいは立ち止まったりしていて、しかも明かりもそこまできついわけじゃないから、広場がどれだけ広いのかわからない。広場の面積に比例して、人ごみも際限なく広がってるように見える。


 曇りところによって雨という今朝の天気予報はどんぴしゃで、夏の夜風というには生暖かい風が私たちの肌を撫でていく。昼間の木陰のほうがよっぽど涼しい。蒸し暑くて、うちわが欲しくなる。

 帰りは仕方ないにしても、せめて、花火が終わるまではぎりぎり曇りでいてほしいんだけど……。

 やがて、花火の打ち上げ開始五分前を告げるアナウンスが流れた。よかった、なんとか花火の打ち上げはするみたい。


 ……っ!?


 後ろからどんっと押され、私は息を詰まらせた。とっさに誰かの腕にしがみついて、なんとかその場に踏み止まる。

 あれ、この腕って――――――――


「大丈夫? 水野みずのさん」

「倉本君」


 降ってきた声につられて顔を上げると、倉本君がよろけた私を支えてくれていた。


「ごめん、倉本君」

「いや、構わないよ。斎内たちは?」

「え? あ……」


 指摘され、私は慌てて周りを見る。でも二人は見当たらない。二人がいたはずの私の隣には、まったく見知らぬカップルやら友達連れやら、家族連れやらが前へ前へと進んでいくばかりだ。


「二人ともいない……?」


 この人の波に飲まれちゃったんだ。次々と人が押し寄せてくるから、前へ進まないといけなくなったのかもしれない。

 まずい、真彩は一人になっちゃったかも。そしたら絶対、ナンパされる。探さないと。

 だから私は、人ごみをかき分けようとしたのだけど。


「水野さん、駄目だよ。この中を下手に歩いてもはぐれるだけだ」

「でも、さっきはぐれたばっかだし」

「その前に電話して確認しよう。動くほうがまずいよ」


 言って、倉本君はポーチからスマホを取り出した。素早く指を動かして、耳に当てる。


「――――ああ、天崎あまさきさん? よかった、今どこ? 僕と水野さんは、さっきいたところにいるけど――――」


 私に熊のぬいぐるみを預けて片方の耳に指を突っ込み、倉本君は真彩と会話する。通話はすぐに終わり、倉本君はスマホをポーチにしまうと熊のぬいぐるみをまた小脇に抱えた。


「天崎さんは斎内と一緒にいるみたいだよ。二人とも、さっきの動きで前のほうに流されたんだって。こっちへ戻ろうとしているところらしいから、僕たちはここで待とう」

「うん」


 よかった。私は一瞬、安心した。真彩みたいな可愛い子、一人になったら大変だもの。真彩は護身術とか習ってるわけじゃないみたいだし……桃矢とうやが一緒なら安心だよね。

 ……………………。


「……水野さんって時々、本当にわかりやすくなるね」

「へ?」


 突然倉本君が言いだしたものだから、私は目を瞬かせて彼を見上げた。いきなりなんですか。いやその前にその顔、嫌な予感が…………。


「人の話を聞いた直後にそんな顔でぼうっとしてたら、その話で何か考えたくなる要素があったんだって、大抵の人はすぐわかると思うよ。一緒にいたのが僕でよかったね?」

「!」


 ちょ!


 倉本君の指摘に、私は思わずほっぺたに手を当てた。心臓が一つ、うるさく鳴る。

 なのに倉本君はちっとも追及の手を緩めてくれなかった。とてもとても、今日私が見た中で一番楽しそうに笑う。


「水野さんって斎内のこと、好きだろう?」


 ……―――――――――っ!


 一瞬の思考停止のあと、私はそれこそ全身が沸騰した。

 いやいやいやいやちょっと待って、私、何か一発でわかりそうなこと言ったっけ!?


「な、なななんで……!」

「んー、なんとなく?」


 首を傾けて倉本君は言う。いやそんなこと言われても!


 思い当たる節がないから、私はただただ不思議しかない。かといって、否定できるはずもない。私にできるのはもう、倉本君をねめつけることくらいだ。


「……いつから気づいてたの?」

「薄々となら、一年のときからだね。君の様子を観察してたら、なんとなくそれっぽいなあと」

「なんとなくって……そんなに私、わかりやすかった?」

「わかりやすいというわけではないよ。さっきはわかりやすかったけど、君、普段は注意してるみたいだし。現に、天崎さんや他の人たちから真面目に聞かれたことはないんじゃないのかい? 話の流れで、笑い話としてはあっただろうけど」

「……」


 す、鋭い……。倉本君って、読心術か人の記憶を読み取る特殊能力でも持ってるの? 占い師さんに昔のことを言い当てられた人の気持ちがわかった気がするよ……。


「美伽ちゃん!」

「真彩」


 少し張った、ほっとしたような声。そっちを振り向いてみると、桃矢と真彩が私たちのほうへ駆け寄ってきていた。


「よかった、合流できて。ごめんね、私、人に押されちゃって……」

「真彩は華奢だもんね、仕方ないよ。むしろ、桃矢までなんで流されたのか不思議なんだけど」

「仕方ねえだろ。人をよけてたんだよ」


 私がちらっと桃矢を見ると、桃矢はむっとした顔で言い返してくる。だってそうじゃない、そんなにがたいがいいのに、真彩と一緒に人の波に流されるとか。私の隣にいたのにいなくなって、ちょっと焦ったんだから。


「無事に合流できたからよかっただろう? それに、花火はもうすぐだよ」

「え? もうそんな時間?」


 まあまあと私を宥める倉本君が、夜空をピアニストらしい細く長い指で示す。それに真彩がつられ、一緒に私も彼の指を目で追ってしまった。でも花畑になるのを待つ夜空は、やっぱり真っ暗なまま。何もありはしない。


 ……これってあれだよね、猫騙しとかそういう感じで意識を逸らす的な…………。

 私は段々、倉本君に遊ばれてる気がしてきた。さっきの暴露といいこれといい、こんな短時間で倉本君の一挙一動に振り回されっぱなしだよ、私。倉本君はたまにちょっと毒の入るマイペースな人だと思ってたけど、それ以上の人だったの? 知らなかった……。

 ……………………。


 私は気づかれないよう、こっそりと横目で桃矢を見た。

 私のからかいから逃げた桃矢は、退屈そうにショルダーバッグを見下ろしてた。でもスマホを出したりしない。というか、なんか考えてる? そんな感じの横顔だ。


 何考えてるのかな……っと、これ以上見てたら、桃矢たちにばれそう。倉本君には今更だけど、桃矢と真彩には知られたくないよ。

 だから私は桃矢から視線を外し、皆と同じように夜空をぼーっと眺めてるふりをして、勝手に桃矢へと向かう意識を放置する。袂や巾着の紐をぎゅっと握り、感情とか緊張とかを顔に出さないよう、意識の片隅で強く自分に言い聞かせる。


 アナウンスが再び流れた。花火の打ち上げが告げられ、場の空気が期待でふっと変わる。

 そして数秒後。大気を震わせる音が鳴り響いた。

 続けて数発。鳴り響く音の数だけ、夜空に大輪の花が咲く。

 赤、白、黄色、緑、青。菊かと思えば枝垂れ、八重の次には滝のよう。色を変え形を変え、次から次へと絶え間なく、地上の光と分厚い雲で星が隠された夜空に、人間が創りだした巨大な花が咲き誇っては散っていく。


 綺麗…………。

 こんなに綺麗なものを見て、全身で轟音を感じて、私の身体は心臓になったみたいだった。身体の外側からの音と振動が、私の感覚をゆらゆらと揺らす。その二つに意識のすべてが向く。

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