第22話 光明




 空を見上げても星は見えない。

 すぐ前に松木さんが歩いている。

 私は機嫌の悪さを全く隠さず、すぐ横で付き添っている。

 小学生以来だ。頬をふくらますような拗ねかたをするなんて。


 私の一世一代のお願いは「馬鹿言うな」って一声で取り下げられ、そのまま車に連れ込まれた。そんなに嫌で迷惑だったのかな。あるいは、もう少し別の方法で松木さんに迫れば良かったのかも。

 ……誘い方というか、その気にさせ方を。


 でもこういうことで演技するのは絶対に嫌だし、

 松木さんに私のお芝居なんて見破られて、醒めさせるだけだし。

 結局のところ私の悪だくみ作戦は見事に失敗。

 車から降りて、公園の近くから私の家に向かって歩いている。


「はあぁぁぁ……」


 ため息も長くなる。

 悪いことはそう簡単に、上手くは運ばないようになっているらしい。


「ひな……その」

「まあ、いいんですよ別に。マツキさんは悪くないんです私のことなんてこれっぽっちも分からないんですから」

「お前な。お前……まだ15だろ」


 歳は関係ない。

 松木さんの『良識ある大人として過ちを正そうとする』みたいな意味合いが含まれた言葉。普段は……いや今までそんな風に話すことは無かった。そんな含みを感じたことも無い。


「心細いから。……泊めてくれたっていいじゃないですか?」

「俺は責任持てない」


 ほらまた。

 それって保護者として言っているの? それとも……

 《心を覗く》なんてことしなくたって分かる。 

 そうやって私の気持ちを白けさせてはぐらかそうとしてるのも分かる。

 責任を持てなくなる事態なんて、始めから起こす気無いくせに。


「はぁ……」

「……」


 心細さ、怖さはある。

 それよりも今の松木さんを一人にさせちゃ駄目だって思ったんだ。

 光さんがレッスンルームで言っていたことを思い出す。

 私に、消えて無くなってしまうような儚さを感じたって。

 

 私はそれを松木さんに感じている。どうにかならないか?

 松木さんは、そういう取るに足らない私の企みなんて見抜いてるんだ。


 車で移動している間、私が《呪い》に関わったことを包み隠さず話した。

 もう一つの人格、意識を失っている時に私を動かしていた者のことも。


 松木さんはしばらく考えてから、いい加減なことは話せないが、と前置きして、

 お互いの《呪い》の差、特に進み方について思い当たるものは無いと言った。

 結局のところ精神の欠け落ちを完全に防ぐ手立てはない。

 相手を深く知ろうとしない。感情を高ぶらせ過ぎない。

 それで多少は食い止められている感覚があるみたいだが。


 楽観的な話は一切なかった。

 松木さん自身、どこに解決の糸口があるのか困惑している。

 私への言葉を慎重に選んで答えているのがよく分かった。

 お互いに、相手の事をずっと考えていながら何も出来ないのが辛い。


「真っ暗ですね……空」

「そうだな」


 帰り道、二人で見上げた空。

 これから行く先を暗示しているみたいで嫌だ。

 光明、光彩――なんでもいい。せめて星が見えたなら。


 家に着いたら《しるし》を使い未羽とつぐみを呼び戻す。

 松木さんには最後まで言えなかった。


 この辺のことを上手く伝えたら、悪だくみは成功していたのかもしれない。

 でもそれだと《しるし》を使うこと自体、止めさせられそうだ。

 松木さんが自分でやるなんて言い出しかねないし。それは嫌だな。


 私が責任をもってやる、と思うこととは少し違う。

 結局のところ私はもう松木さんをこれ以上傷つけたくないんだ。

 プラン通り今夜、試すことにする。


「あ、この辺で大丈夫ですよ」

「そうか?」


 以前送ってもらったところよりも、だいぶ歩いてしまった。もう家が目と鼻の先。これ以上は松木さんにストーカーといういわれのない疑いをかける。


「明日の公演、遅れないよう寝とけよ?」

「はい。おやすみなさい。……また明日」

「おう……また明日な」


 松木さんの背中。去り際に振ろうとする手が止まった。

 ふいに胸の中で、ざらついた砂が流れていく感覚というか、

 満たしていた気持ちが散り散りになる感覚に陥る。


 何度も繰り返した別れの挨拶。いつもと同じ気持ちで言うはずだ。

 でもどうして? そうする必要がある?


《嘘をついている》


 この先……再会することを松木さんは思っていない。

 なんでそんな風に思うのか、聞かないと。


 名前を呼ぶ。振り向いてくれない。

 というかどこにいるの? 夜の暗さに苛立つ。

 いない? いや、私が見えていないだけかもしれない。

 さっきからそんなに時間だって経ってないはずだ。


 もう一度、強く叫んでみる。


「……。……!」


 振り向いた気配はない。声が、喉の奥で凍り付いたように止まっていた。

 何か落ちた音がする。あ、バッグが肩から外れたのかも。拾わなくっちゃ。

 そう思うと壁が急に迫ってきて、ぶつかって来た。


 なん、何? 

 壁から離れようとしても、吸い付いてしまったみたいに動かない。

 重さは感じないが、びくともしない。


 いや、よく見たら、これは駐車場のフェンスだ。自宅からすぐ近くの。

 つまり私はあれだ、立ちくらみがしたみたいに、フェンスに倒れ掛かり身体を預けていて……そのままずるずると地面へ崩れていくのに少しも抵抗できないんだ。


「……」


 顔を地面に擦りつけて這いつくばったまま力が入らない。姿勢も何も保てない。

 マジか。マジで、もう限界か。


 松木さんが泊まりを拒否って送ってくれたのは、かえって良かったのかも。

 朝、抜け殻のような状態の私を見る……なんてホラーが無くて済む。

 しかしこの小道は……誰か通らなきゃ、夜明けまで倒れたままだぞ。


 まだつぐみや未羽を助けてない。


 松木さんを追いかけて、さっきのこと聞いてみなくちゃ。

 いまどんな気持ちでいるのか。

 何かする気だ。きっとあの人なりの悪いことを。

 七瀬あやねさんに関することで――たぶん破滅的なことは考えないだろうけど。


 意識も、持たない。

 分かるのは心臓の動きくらい。他には何もない。

 あとはひたすらに広がっている。何もない夜空。

 地面と空の区別もつかない。 


 服に泥でもついたようにじわじわと染み込んでくる。

 暖かくて淀んでいて、あまり受け入れたいとは思わなかったが、

 自分の中、胸と頭の間を満たしていく。

 

 大切な記憶、大切な思い全てを無遠慮に覗き込まれているような気がした。

 私は《呪い》の力を使って、とてもとても良くないことをしていたんだな。

 こんな真っ暗な夜空にまみれるなんて、ぞっとする。


 ――このまま消えるのは嫌だ。


 声を出した。

 喉も肺も、その通り動いたのか分からないけど声を出そうとした。

 松木さん! 光さん! つぐみ! 未羽! ママ! パパ! みんな!

 ……誰か助けて。

 

 嫌だ……嫌……。

 死にたくない。こんなところで私……死にたくないよ。

 誰か助けて。


 身体がどこにあるのかも掴めない。

 記憶もぼやけて滲んでいく。

 私は怖くて叫び続けた。 


 誰か、お願い。

 どうか私を……私の願いを聞いて……

 呼びかけは夜空へ吸い込まれていく。それでもかまわない。


 てのひらをみる。

 わたしにはまだすることがあって、

 やりたいこと、いいたいことが……


 ――だれか……


          人 人 人 井井 人 人 人



            しるしよ  どうか










 かちり。かちり。







 *  *







「……ぐっ」


 起き上がりながら周囲を見回そうとして、首に痛みが走った。続いて腕にも。

 怪我をしているが、手当てはしてあるようだ。


 手のひらが熱い。

 きつく握りしめたのか、地面に擦ったのか、傷がついていた。

 血は乾いている。……妙な乾き方だが。

 傷口は真新しいのに、まるで血の水分だけ蒸発したようなそんな感じだつまり


 ――私のアドバイスは不完全なまま、なにもかもが失敗に終わったのだ。


 誰ひとり助けられず、力尽きた。

 この体はぬけがらで中身を自分が埋めているだけに過ぎない。

 ふいに誰かの泣く声が聞こえた気がした。

 無力を悟り、悲しみに打ちひしがれて……それでも。

 ついさっきまで、そこで私が起き上がるのを待っていてくれたような。 


「……いない」 


 ああ。

 以前とは違う。ほんの少しでもあった繋がりが、どこにも見つからない。

 例えば私に双子の姉妹がいたとして。例えば私に人生の半分をともにした人がいたとして。自分の半身のようなものを失った時、たぶん誰もがこんな気持ちになるんだと思う。 

 ……陽菜はもうこの世にいない。


 喪失感と傷に障らないようにして改めて見回す。ここは、陽菜の家の近くだ。

 なぜ私が呼び戻されたのか。

 肉体の痛みは慣れて来たが、今度は精神の傷を自覚しなければならなかった。

 何かまた、私は持ち得ようとした部分を置き忘れてしまったらしい。

 とても重要なこと、だったように思えるが今はこの現状の整理に集中する。

 

 誰かが《かいぶつ》をけしかけ陽菜を襲わせたとは考えにくい。

 向こうの連中も場所くらい考えるだろう。


 ならもう一つの可能性、想定した中でも最もありえなくて、差し迫った状況。

 陽菜は《呪い》を通じて私を呼んだ、ってことになる。


 私を信じたのか? 自己犠牲の精神?

 それとも限界がきて私にすがるしか無かった?


 陽菜の直前の記憶、その引き出しを開けることは出来ない。

 どの部分か見当がつくのなら別だが、今となってはどうでもいい。


 もう出番はないと思っていた。だが私はいま舞台に戻り立っている。

 ただ起き上がる時、この胸と頭の空洞に一つだけ残っていたものを感じた。


 小さな光明。小さな光彩。

 輝きもすぐに消えてしまって、もうどこにあるのか分からない。

 だがこれから進むべき道を示していた。




 『誰か助けて』

 『誰か――を助けて!』




「マツキさんを助ける……そうだな? ひな」


 横たわっているバッグを掴み、薄暗い道を走り出す。

 不思議とこの瞬間だけは最短距離を選びとれる気がした。




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