第2話 夏・垢なめ

 が出た。最近、家の風呂掃除をサボりがちだったのが原因だ。


「困っちゃうわよねえ」


「自治会で駆除できないんですか」


 垢なめは風呂場に出る妖怪で、掃除を怠った家の風呂に夜な夜な現れては垢を舐めていくという。その垢なめがウチだけではなく、近所一帯に出没してるというのだ。


 江戸の昔なら恐怖の対象とされていた垢なめも現代ではただの変態扱いである。


 昼日中ひるひなかに大の大人が銭湯の二階に集まってさっきから汗だくで三時間も話している。扇風機しかないせいでかなり暑い。


「駆除するったって、そんな予算もないですよ。ねえ副会長」


「この間の工事で今年度予算は空ですから」


「じゃあ市にお願いするしかないのかしら」


「市は何もしてくれませんよ。お役所仕事でたらい回しにされます。春先に小豆とぎが出て散々な目に遭いましたから」


 補助金が出てることは内緒だ。


「じゃどうするの!もう、なんとかして!」


「そんなこと言っても予算が……」


「気持ち悪くて湯船に入れない……」


「やっぱり自治会が……」


 自分の言ったひと言で、場の空気が掻き乱れていく。空腹と暑さでもうろうとしてきた。


 そんな時、カミナリとも言うべきひと言が鳴り響いた。


「垢なめくらいでだらしない!」


 会議の開始直後からずっとだんまりをきめこんでいたこの銭湯の主人こと、自治会長がついに重い口を開いた。老人の声には場を静寂にするほどの迫力があった。


「でも自治会長、妖怪が……」


「だまらっしゃい!そもそも、垢なめというのは、風呂の清掃を怠っている家に出る妖怪。自らの不精を棚に上げて、他人のせいばかりにするなんて。いい大人が恥を知りなさい!」


 奥さん連中はこれですっかり黙ってしまった。しかしそれで終わりではない。


「副会長!」


「はい!」


「例の工事の報告書を読ませてもらったがね。ずいぶんと交際費が使われていたじゃないか」


ぶおーという扇風機の音。副会長の頬を汗が滴り落ちてく。


「あの……それはその……工事の業者さんに値引きしていただくための接待でして」


「バカ者!値引きしてもらう為にスナックで金を使っていたんでは意味がないではないか!」


「ひーー」


とたんに奥さん連中が息を吹き返す。


「ちょっと!横領じゃないの!」


 一触即発のその場を抑え、自治会長は咳払いをひとつした。


「とは言え、あんな大規模工事をあの予算で賄ったのはなかなかの手腕だ」


「じゃあ……」


「だが誤解されるようなことはするべきではない。そこでだ。今回の件と、副会長の件で妙案がある。副会長と会計に被害にあった家の風呂を掃除しに行かせるというのはどうだ」


 副会長と会計の顔は青ざめた。被害にあった家は二十軒以上。先は長い。スナックで楽しんだ分は随分高くついてしまった。


 会長の案は満場一致の賛成で可決となった。


「でも、それって時間かかるでしょ?それまで湯船に入れないのは辛いわ」


 誰かがそう言うと、自治会長は膝をぽん、と打った。


「そういうことならひと肌脱ごう。この銭湯を、しばらく一人百円で利用できるようにする」


 おお!と声が方々から上がった。


 俺はここに引越してまだ来て間もない。この自治会長は七十を過ぎた老人なのだが、どうやらかなりの傑物らしい。


「さあ、問題解決の祝いにひとっ風呂浴びていきなさい」


「いいわねえ」


「僕らも入っていこうかな」


 バラバラだったみんながひとつになる。銭湯っていう場所は、現代人が失くした人との繋がりをくれる場所かもしれない。柄にもなくそう思った。その時だった。


「オヤカター!言われた通り三丁目の西田さん家の湯船、舐めてきやしたー」


 一瞬、その場の全員が凍りついた。


「キャーッ!」


「うわあ!垢なめだあ!」


 突然銭湯の扉を開けて垢なめが我が家の如く入ってきたからみんな驚いたのなんの。


 ホウキで叩かれそうになる垢なめを庇う自治会長を皆で問いただしたところ、ようやく真実が見えてきた。


 つまり自治会長はこの垢なめとグルになって、近所の湯船を使えなくし、寂れかけていた自分の銭湯に活気を取り戻そうとしたのである。


「最近はスーパ銭湯だなんだとか言って、お客が全く来なくて。もういっそ閉めちまおうかと思ってたそんな時、この舐め太郎がやってきてウチの銭湯が好きだと言ってくれたんだよ」


「オヤカター。ゴメンなさい。オイラのせいで」


「舐め太郎ー!」


「オヤカター!」


 祖父と孫の様な二人を見ていると、誰も彼らをそれ以上責められなくなった。


「まあ悪意あってのことじゃないし。今回は大目にみてあげましょうよ」


と、何故か柄にもなく庇ってしまった。


 結局、掃除は自治会がやることになりそれが終わるまでは銭湯は無料で解放ということになった。


「ま、銭湯好きとしては悪くねえなあ」


 のぼせた身体でそう呟きながら銭湯の暖簾をくぐると、夏の夜風が少しだけ涼しく感じた。


 銭湯の裏で汗だくで缶焚かまたきをする垢なめに深くお辞儀をされたので軽く会釈を返しておいた。


 時代遅れの風鈴がチリリリーンと小気味の良い音で鳴っている。


 この町で妖怪と暮らす最初の夏がやってきた。


つづく

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