第40話 これからもずっと...


「どう...ですか?」

 翌週の月曜、俺は秋乃とともに指摘をいただいた市側の役員の下を訪れていた。

 残る課題が宣伝、パンチの弱さという中で、そのイラストを美春に頼んだ。今はそれが通るか通らないかの話だ。


 しかし、チャンスはこの一度きりしかない。今週の土曜にはもうイベントが開催されるし、リテイクをしてては張り出す時間もなくなる。まあ、ないよりましと判断されればそのまま通るだろうけど、きっとそれでは俺たちが納得できない。

 だからこの場で俺たちは、満足の行く答えが欲しかった。皐高の為にも、美春自身のためにも。



~月曜 会議前~


「やほ」

「おう、悪い。こっちから行くべきだったよな」

 これからコミュニティーセンターへと向かう、その前に美春に頼んでいたものを取りに行くというつもりだったが、少し遅かったみたいで美春がこちらの棟まで来ていた。


「それにしても、案外綺麗なのねここ。旧部室棟とだけ聞いてたから、もう少し寂れてるのかと思った」

「うーん...。思ったより綺麗ってのがそのまんまだよな。確かにぼろくは無いように見えるが、建物の老朽化は確かに進んでいる感じ。全然問題はないけどな。ってなんの話だ?」

「イラストの話でしょ?」

「ああ、そうだそうだ。...どう?」


 俺がそう聞くと美春は少し躊躇いながら一つの大きな封筒を差し出した。受け取ると中の紙の重さがずっしりと手に伝わった。

「はいこれ。一応数パターン描いてみたけど一番、というか自信がある分はあまり...。だから、どれがいいかはそっちで判断して欲しいな」

「分かった。ちょっと待ってな...」

 俺は中から全ての紙を取り出しぺらぺらと一枚ずつ丁寧に眺める。

 

 はっきり言って、想像以上だった。


 美春が絵の道において上位にいることは知っていた。中学校のときも何度も全国で賞に入ってたくらいの実力の所持者だってことも。

 ただ、俺が最後に美春の絵を見たのがあまりにも昔過ぎたのか、スランプと聞いていたからか、ここまでの作品が出てきたことが驚きでしかなかった。


「どう? やっぱりこんなの久しぶりだったからダメだったかな...?」

「バカいうな、出来すぎだ。...もうちょい待ってくれ」

 そういってもう一度描かれた絵を見る。10枚くらいの絵が入っていたが、そのどれもに手を抜いた風が感じられない。この短期間で、これだけの作品を書いたんだ。そうとう疲れているに違いない。


 しかし、困った。

 どれも良すぎる。逆に決めろと言われるとしんどいくらいだ。

 三枚くらいであれば差異化するために必要といわれるかもしれないが、この全てを通す訳にはいかない。


「これは...選ぶのに困るな」

 そう言いながらシャッシャッと絵をめくる。そんな中で、一枚の絵が目に入ったとき、ふと手を止めた。


 描かれていたのは、願いをささげる天使の絵だった。

 背景は星空。その天使は悲しげな雰囲気も楽観した雰囲気もなく、ただ瞑目して祈りを捧げている。

 ついでに言うと、ロケットの絵がない。


「これは?」

「...あ!? なんでこれ入ってたの!? ごめんごめん、これ関係ないやつだから!」

 そう言って美春はあははと笑うが、俺は笑えなかった。完全に絵に入ってしまっているんだと俺は自覚した。

 どうしてだろうか、全く知らない絵のはずなのに、俺はこの絵が何を描いているのかがすぐに分かった。


「...これ、河佐を思って描いたのか?」

「...やっぱり、分かっちゃうかぁ。...そうだよ。あの後家に帰って、一番最初に描いたの。葵のこと、忘れないって言っても、ちゃんと形として残しておきたかったら。だから、私が私であるための絵で、葵を忘れないようにって描いたの。それだけ」

「...これ、使わせてもらってもいいか?」

「え? 本気?」

 俺は力強く頷いた。


 この絵を選ぶ以外の選択肢はない。心のうちはそう決まっていた。

 河佐の絵だから、とかそういう感情は一切なかった。多分、河佐のことを知らない人生でも、俺はきっとこの絵に惹かれていたはずだ。

 それに、広告に使う、といってもただ安直にその様子を説明することが正しいわけではない。そういう点に関しても、これに勝るものはないだろう。


「私は...いいけど、本当に、悠くんはこれでいいの? 本質から外れてたりしない?」

「ああ。一目で惹かれた絵だ。問題ない」

「そ、そう...。ならいいんだけど」

 それでも美春の顔は晴れなかった。けれど、それをどうにか変えようとするだけ野暮だろう。こういうときはただ本心を使えよう。


「...美春は、本当にすごいな」

「え、何々? 恥ずかしいからやめてよ、もう。...でも、これでなんとなく分かった気がするの。前に進むってどういうことか。だから、こっちこそありがとうね?」

「ああ。...さて、行ってきますかな?」

「いってらっしゃい。...あ、そうだ。どこかこの建物の中で空いてる部屋ある?」

「どした?」

「んー? 少し寝させてもらうだけー...」

「ああ、了解」


 美春もどうやら大分疲れてたみたいだ。今は無心に休ませてあげよう。


 

 ...さて、これをどうやって通すかだな。







~現在~



 役員の方はずっと黙ったまま、絵をジーッと眺めていた。

 その真剣な形相に、こちらも息を呑むしかなかった。

「...なるほど」

 

 ようやく意が決まったのか、その人は顔を上げ、イラストが描かれた紙を持っている手を下に下げた。

「この絵で決定で良いでしょう。具体的に何が、とは言いませんが、どこか惹かれるものを感じました。多分、他の人が見ても同じような感想を持つでしょう」

「それじゃあ...!」

「はい。こちらのほうで複製させていただきます。製作者の方は...?」

「今日はこちらには」

「そうですか。なら、こちらで採用させていただくと通達しておいてください」

「分かりました」

 俺は深々と頭を下げ、踵を返して学校へと戻り始めた。


 胸がどこか熱い。

 別に、自分のことでもないのに、心からうれしかった。

 美春が苦悩してきたことを知っているから、それが形となって報われたことがうれしいのだと思う。


 ...けど、同時に自分のちっぽけさも感じた。

 だから俺の胸の奥で、何かが冷めていく気もした。







---




 学校へ帰ってすぐに秋乃は生徒会のほうへ報告をしに向かった。ついていこうかと聞いては見たがすがすがしい笑顔で必要ないですと言われてちゃ引き下がるを得ない。


 しかし、時刻は5時半ほど。夏時間なため、下校まではまだ時間に余裕がある。

 ...いや、そもそもぎりぎりまで学校にいなきゃいけなかったんだっけか。最近特監生というものの定義を忘れてる気がしてならない。これ忘れてたらちはやちゃんに怒られるやつだ。


 しかし、現状俺の仕事は終わっている。製作組みに中途半端に携わるのは帰って逆効果だし、古市はなにやら家の用事ということで今日は帰っているし、といったところで本当にやることがないのである。


「...あれ?」

 ふと、出る前のことを思い出した。

『ちょっと寝るだけだから...』と、確か美春は言ってたはずだ。

 しかもそれはこの建物の中で。

 ということは、まだこの建物の中にいる可能性は高い。なら、報告の一つくらいしておいたほうがいいはずだ。


 そう思っていつもの部屋を覗く。中に人の様子はない。

 それに工房にいる可能性は極端に少ない。とすると、いるとしたらおそらく二階。

 俺は少し歩き疲れた身体をゆっくりと持ち上げて階段を上った。


 普段から使われてない二階の廊下はやはり物静かだった。

 その静寂さから、人の気配を感じない。

 けれど、とりあえずはと思って見回り。おじさん怪しい人じゃないゾ!


「あっ...」

 一つの部屋の前で足を止めた。そこはちょうど依頼が入る前に片付けた部屋。

 俺は少ししかない小窓の隙間からおそるおそる中を覗いた。


 そのドアの向こうに美春は、いた。

 気持ちよさそうに寝息を立て、雑魚寝の状態で寝ている。

 夏用のカッターとスカートの間から、へそを覗かせた状態で。


「おいおい!?」

 健全な男子高校生には刺激が強すぎた。


 いやいや確かにさ、今までもよくよくちら見えとかあったよ?小学生の頃とかしょっちゅうだったし。けど、今同じことが起きてみるとあの頃とは見方が全然違う。特別意識はないけど...あまりにもエロ過ぎる。なんでだ。


「...落ち着け、落ち着くんだ須波少年。あれがちはやちゃんだと想像すればいい...」

 同じ光景がちはやちゃんだったら...。うーん、色気はないね!


「...須波ぃ?」

「...はっ! ひぃっ!?」

 後ろからかかった声に驚き、恐る恐る振り返るとそこには腕を組んで赤い闘気を放つ特監生の長が立っていた。


「お前...何か失礼なことを言わなかったかぁ?」

「いえいえいえ! ほんとになんでもないですって! ちはやちゃんはしっかり魅力満点で、それはもうたいそうお上品で!」

「じゃあなんで結婚できねえんだよぉぉぉ!!」

 渾身のグーパンチが俺のあばら付近に入った。骨がミシィといやな音をたて、俺の身体は時速70kmで後方へ吹き飛ぶ!



「ぐはっ!」

 ドンと音を立て、俺の身体は廊下の端の壁に叩きつけられた。痛くないけど痛すぎる...ちはやちゃんのこぶしから...悲しみが伝わる。


「...いてて。何するんすかほんともう...」

「...はっ! 私は何をしてたんだ?」

「おいおい...」

きっと謎の怒りに支配されてたんだろう...。うん、そう思おう。


ちはやちゃんは何事も無かったように自分の髪を1回払い、俺の目を見てきた。


「それで、進捗は?」

「問題ないです。現状滞りなく進んでいるんで、向こう方に迷惑かけることは無いでしょう」

「...流石だな、君は。私なしでもここまで統率が取れるのか」

「褒められる要素なんてないですよ。俺は何もできません。何もわかりません。ただ頑張って足掻くしか、俺に出来ることなんてないですよ。今回だって、俺に出来ない事が出来るやつらがいっぱいいるからここまで持ってこれたんですよ」


特に大したことのなかった俺が、この場で1人だけお褒めの言葉をいただくというのは、どうも嫌で仕方がなかった。

素直に喜んでしまっては、俺より優れた奴に申し訳ない気がしたから。



ちはやちゃんは困ったように一度頭をかいて、そして俺にくるりと背を向けた。

「まあ、受け取る受け取らないは君次第だ。私はこれ以上は何も言わないよ。...ただね、自分の価値ぐらい、自分でみれるようになりたまえ。決して、無価値だなんて思うな」


あえて鋭い言葉を放ち、ちはやちゃんは足早に階段を降りていった。

不器用ながら、優しさを感じる。やはりちはやちゃんは、並大抵の先生じゃ叶わないな。



1人残された俺は決心し、美春が眠っている部屋のドアをゆっくりと開けた。


数日前に綺麗にした中はやはり綺麗なままで、でも、何も無いのがちょっと寂しい。



1歩ずつ、美春の元へ近づく。やがて3歩ぶんほど離れた場所で俺は座り込んだ。

そのままどうにか言葉だけで起こそうと、俺はそこはかとなく声をかけてみる。


「美春、イラスト受け取ってもらったぞ」

「...ん」

眠っているのか眠ってないのか分からない言葉が帰ってくる。...けど


「...ごめんね、葵...。ごめん...」

美春は眠っていた。夢に囚われていた。決して償うことの出来ない、終わりのない罪悪感によって作られた夢に。


俺は、何も言えなかった。ただ、目の前で目を閉じたまま涙を流している美春を見るだけしか、俺には出来なかった。


「...ん」

美春はもう一度唸ったかと思えば、上半身を起こし、涙が溜まっていた目じりを拭った。


「ああ、悠くんか。おはよ」

「おはよ。...うなされてたけど、大丈夫か?」

「大丈夫だよ。...もう、慣れたから」

「そうか...」


明るい話をするつもりだったのに、何故か切り出せない。そんな冴えない顔をしている俺を見兼ねたのか、美春は頬をふくらませて不機嫌そうに言った。


「何しみったれてんの。それより、ちゃんと通った? 自信...ちょっとなかったから」

「ああ、大好評だったぞ。みんな惹かれるだろうって」

「そ、ならよかった」



美春はほんの少しだけ嬉しそうに、胸をなでおろした。その満足そうな表情を見るだけで、こちらも少し気が晴れる。


「あっ、そうだ。何か書くんだったよね、メッセージか何かを」

「ロケットの話しか?」

「うん」

「そうだけど...。あ、なるほど」

美春は少し言い回しがくどいことがある。だとすれば、これもその一環。

そういう時は、俺がぶっきらぼうに聞くのがお約束だ。


「美春は...なんて書くんだ?」

「んー...。決まってるよ、そんなこと。葵に、これからも頑張るよって、それだけ」

美春は自分の思いを口に出すことで、覚悟を再確認した。

「...それじゃ、悠くんは?」



そこはかとなく聞かれたが、はっきりと見えるものはなかった。

正直、今は楽観して何かを考えれるほどメンタルに余裕はない。何か外から圧がかかれば、また壊れてしまいそうだ。


でも、そんな俺でも言えることがあるとすれば...。


...いや、恥ずかしいから口にはしないでおこう。


「内緒」

「それはないでしょ!」

「恥ずかしいからな。ごめん」



不機嫌そうに俺を見つめてくる美春。俺の願いは、もう二度と取り返しがつかなくなるくらいまですれ違って欲しくないことだ。


それをそのまんま口にすることは出来ないけど、せめて形を変えて美春に伝えれたら。

「なあ、美春」

「なによ」






「これからも、よろしくな」

二人を分かつ壁は、もうない。



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