第二章 二人を分かつ壁

第21話 そして再び...


さて季節は春も終わり、五月の半ば。

そこいらの高校なら定期試験などというやって意味あるのかよく分からないイベントに差し掛かっているわけだが、ここ、私立皐月ヶ丘高校は前期後期の二学期制。なんと定期試験が四回しかないのである。ヤッタネ!

ついでに最初の試験は七月始め。一応中間試験の判定なので教科も少なく、こんな時期から本腰入れて勉強している奴は本気で進路のことを考えているやつくらいだろう。


まあ、簡単に言えば俺はとてつもない倦怠感に追われているっているわけだ。


これが面倒なことに、何に対してもやる気がおきない。

もとより何かを熱中して行えるタイプではない俺は、この前の一件が落ち着いてしまうとすっかり心が空っぽになっている感じで満たされていた。


そこに青春なんてあるのだろうかと思うが、思うだけで何もやる気が起きる気がしないの繰り返し。

特監生としての過ごし方も大分体にしみており、いいのか悪いのか暴力事件なんて起こす気力もなくなっていた。


そうして今日もいつものように部屋でぐったりしているのだった。



そういえば、入ってからの戸坂の様子だが。

もともとおとなしい奴なのでこれまた口数が少ない。

それだけならまだいいのだが、はっきりした受け答えも時々ままならないため、俺はひそかに頭を抱えていた。

ひょっとしてこいつが一番精神的には問題あるんじゃねーかな...。


それと、古市。

あれから半月過ぎたというだけあって、大分感情表現も上手くなっていた。それでも話し方が不器用なのは相変わらずで、表情が真っ白なこともしょっちゅうある。


まあ結局こんな感じで、それぞれ完全に問題は消化できていないまま毎日を送っているのだ。




---



あくる日の火曜日。

俺はいつも通り部屋に向かう予定だった。

しかし、ある女性の一言で、俺はその行く先を変更した。


「ねぇ、今日時間ある?」


その人は俺の古くからの知りあいで、断るにも断れない相手だった。

俺はB組、向こうは美術科のD組とクラスが違うので、高校に入ってからはあまり1対1で話す機会が無かった。


...いや、ひょっとして初めてか?


とりあえず急用が出来たので帰る、とたまたま近くにいた古市に業務連絡のみ伝えて、その人の言う場所へ二人で向かった。




そうして、それから小10分ほど。

俺たちは俺の帰り道の道中にある小さな公園で足を止めた。


さて、もういいだろう。

「急に何の用なんだ?美春。」

俺はその女性...瀬野美春に少し邪険に振舞うように声をかけた。


瀬野美春。一言で言えば彼女は幼馴染といわれる部類の人間だ。

ショートカットで目はくっきりと。美術科であるが体育の成績は常にトップだったりと、なかなかの曲者であるのだ。

そして、やはり美術科なだけあって絵が上手い。小学中学と絵のことに関すればトップといっていいほどの部類。そう考えればハイスペックという言葉でまとめられる。


しかし、なぜか彼女は恋愛をしない。

それは、こんな低スペックの俺と一緒かもしれないが。


「ううん、久しぶりに二人だから、つい話したくなっただけ。」

「なんだよそれ。」

俺はふんと笑った。それは別に美春のことが嫌いなわけでも、美春と話すことが嫌いなわけでもない。

ただ単に、距離のつかみ方を忘れたのだ。だから簡単に言葉が出ない。


「...こうやってさ、二人で話すのって、いつぶりだっけ?もう結構前の話だよね。」

美春は遠い昔のことを懐かしむように遠くを見て呟いた。


「そうだな。...えっと、中学?の時に一回あったかないか...。いや、中一の時か。」

「そうだね。確かあのときが二人でゆっくり話せた最後の時間。それから今日までこんな時間は無かったわけだ。」

「まあな。お互い部活か何かもあったし、教室では友人といることのほうが多かったろ?」


その言葉が俺の口から発せられた瞬間、美春は何かを思い出したかのように上を向き、そして少し沈んだ声で答えた。

「そうね。...友達と、話してた。」

「ああ。そうやって古くからあった何かなんて少しずつ無くなっていくんだろうな。でも、忘れないようにこうやって新しく刻んでる。」

幼馴染であろうと、交友が無くなればただの友人だった人となり下がる。

それが嫌だから、今日みたいな日があるのかもしれないけど。


「...。」

美春は何も喋らない。上を向いていた先ほどとは違い、何か悲しげに俯いていた。

流石に気になった俺は声をかける。


「なあ、ほんとどうしたんだよ。呼び出したことといい、いまといい...。何か俺に伝えることのひとつやふたつあったんじゃないのか?」

その声が引き金になったのか、美春はバッと顔を上げた。


「...古くからあった何かは少しずつ無くなっていくって...?もしそれがもう二度と取り戻せないものだったとしたら...どうするの?」

「何の話だ?」


「...葵のこと、忘れてなんて言わないでよ。」


その名前が出た瞬間、俺は雷に打たれたかのように固まった。

葵。河佐葵。

俺の初恋の相手にして、目の前で自殺を起こさせてしまった相手。

そしてそれは...。


「私はね、葵の友達だった。向こうが何て思ってたかは知らないけど、私は確かに友達だったと胸を張って言えるの。...でも分かるよね?葵がどうなったか。その最後を見届けた悠くんなら。」

「それは...。」


言葉にはしたくなかった。

忘れたいが忘れれるはずの無い記憶。それを掘り返されてしまっては俺も返答に悩む。


「葵はもういないの。それをどうやって忘れないように刻めって言うの...?勝手なこと言わないでよ。」

美春は涙をにじませた瞳を俺のほうへ真っ直ぐ向ける。その瞳の奥には確かな怒りが感じられる。

そうしてそれはどうやら怒りの上に恨みが混ざっているようで、涙はぬぐわれないまま次の言葉を紡いだ。


「聞いたよ。最近、特監生になったんだってね。...それでどう?何か変わった?生きることに楽しみを覚えた?そこに苦しみを忘れて?葵がいなくなったことの苦しみをさ...。」

「どうしたんだよ本当に。...そんなもの、忘れるわけ無いだろ。少なくとも俺は...」

「葵に告白した身だから。そうだよね?」

「...。」

雰囲気というのもあってか、どうも俺も少し気が立ち始めているらしい。

しかもそれを抑える術を今の俺は知らない。何か言葉にして吐き出さなければ。


「...本当になんだってんだ。急に呼び話してこんなこと話したかったのかよ。こんな...答えの見えない話をするために俺を呼んだのかよ。」


「だって...!だって、しょうがないじゃない!ずっと誰かに吐き出したかったのよ!葵がいなくなって私は...私は!誰にもこの気持ちを伝えれなかったんだから!」

美春の目に浮かんだ涙が頬を伝う。そのままはねて落ちた雫が足元に健気に咲いていたたんぽぽの花を濡らす。




けれど、俺はその涙にどう答えるべきか分からなかった。

最低なことに、最低限持つべきはずの心さえ、もう持ち合わせてなかった。


だから俺の口からこぼれた言葉は、命一つ切り落とせるほど鋭いものだった。


「...自分のエゴを、俺にぶつけないでくれ。」

「!?なん...で?」

美春は絶望しきった顔で驚き、二三歩後ろへ下がったかと思うと、自分の荷物をつかんでそのまま走って逃げていってしまった。


俺はというとその光景をただボーっと眺めているだけで何もしなかった。


...



正気を取り戻したのは一分後だった。

そして先ほどの醜態を思い出す。

ああ、本当に最低な人間だ。

あいつとかかわりのある誰もが苦しい、そんな分かりきった状況で俺たちは揉めていた。

けれど、あいつはきっと傷の舐めあいを望んだ。そして俺はそれを拒んだ。


きっとショックだったに違いない。唯一自分の痛みを分かってもらえるかもしれないと思っていた相手にあんなことを言われたのだから。


...なのに。


俺は言った言葉が間違えてないという気持ちに見舞われていた。

だとすれば、俺が望んでいるものはもっと別なところにある。

でもそれってなんなんだ...?

曖昧なものほど自分を苦しめる毒となりうる。

それが身を通して初めて分かった気がする。



...。


ふと、人の気配を感じた。それはよく感じることのある気配。

その気配がどこから来るのか、何のために来るのか、俺は知りたくなる。

...とはいえ、犯人は分かっているんだよなぁ...。


俺はバッグを取るとそそくさとその場から移動を始めた。

時折細い路地を混ぜ、時々身を隠して。


そうすると、俺はいつの間にか気配の正体の背後に回っていた。

そーっと近づき、わっ!と後ろから脅かしてみる。


その女性はびくっと肩を動かした。声こそ上げなかったがさぞ驚いているだろう。

そうして俺はふぅと一息ついて改めて声をかけた。


「あのなぁ...。何してるんだ?古市。」

「...びっくりした。いつから背後にいたの?」

振り返った古市は胸に手を当てていた。その様子から驚いていることが分かるので、俺は内心小さくガッツポーズをした。


「さっきな。...というか、途中からつけてたろ。何のためだよ。」

「...それは後ろの人に聞いてみたら?」



「うしろ...、うわぁ!?」

振り返るとそこには俺との距離をゼロまでつめていた秋乃がいた。


相手が声を出さなくても驚くものは驚く。振り返れば奴がいるとはよく言ったものだ。


「へへ~!ひっかかった~...ってわぁ!?」

秋乃は一瞬だけ喜んだかと思うと、バランスを崩し後頭部を強く打った。

へっ、ざまあみろだなんて思ったが口にはしない。


「いったぁ...。」

「自業自得でしょうが。」

秋乃はぶつけた後頭部をさすりながら声を荒げさせる。


「せんぱい!女の子泣かせましたね!」

「...そーだそーだ。」

前に秋乃、後ろに古市と曲者に板ばさみになっている中で、俺は先ほどの光景についての非難を受け始めた。


俺はさてどう説明したものかと悩み、逃げるように頭をかいた。けれど、女性を泣かせたという事実には変わりないので真面目に答えるほか無い。

「...まあ、色々とあるんだよ。お前らの知らないところで、お前らの知らない事情が。...まあ、秋乃は噂ぐらいは聞いたことあるかもしれないが。」

「あー...あれですか?」

「しかないだろ、うちの中学の事件と言えば。」

「え、なに、教えて欲しい。」


俺と秋乃しか分からない会話に古市は目をぎらつかせて食いつく。けれど、そんなに気分のいい話ではないですよと秋乃がぱぱっと説明したので古市はむぅと唸ってしゅんとした。


「まあ、秋乃の言うとおり気分のいい話ではないんだ。」

特に当事者としては、だが。

「別に隠すべき話でもない...けど、それは周りに人がいる状態でするべき話じゃないだろうと思うんだ。分かってくれ。」

「...うん、それならしょうがない。」

古市はうんうんと二度頷いた。どうやら納得してくれたようで助かる。


ところで、だが。

「そういえばお前ら、面識あったのか?やけに中よさそうに話してるが...。」

もともと秋乃と古市に人間関係が結ばれていないことは知っていた。

言えば俺の友達の友達状態だろうか。

けれど、その割にはお互いはきはきと喋っているので、それが俺としては気になったのだ。


「あー...実はですね。」


そうして秋乃は先ほどの盗み聞き体験談とともに経緯を話し出した。



聞くところによると、用事があるからと早抜けしたことが不可解に思っていた古市と、たまたま帰り途中大好きな先輩(本人談)を見つけた秋乃が先の公園で同じところで覗き見をしており、そこで話が通じ合ってこうなったらしい。


聞き終わって俺は一言。

「うん、分からん。」

「でしょうね。」

「知ってた。」


だいたい覗き見友達って何だよ。趣味悪いにもほどがありすぎるだろ...。

どころか、覗き見が多い。垣間見ていいのは光源氏くらいでしょうが。


俺はそんな現状に小さく刻むようにため息をつくと、これから帰るにも帰れない状況になったことに気づいたので、仕方なく二人に問いかけた。


「...はぁ。分かった。どのみちこんな状況だし、詳しい話をするよ。今からこの通りにあるファミレス寄るってんなら、そこで話す。」

「先輩持ちですか?」

「お前帰ってもいいぞ。」

「なんでだよぅ!」

「...それでいいか?古市。」

「うん、私は。」

「よし決まり。行くぞ。」



とりあえず先ほども言ったが、今は抱えてるものを口にしたい。

別に共感が欲しいわけではないが、中途半端に関わられた(不本意)以上、後には引けないからな。








俺は覚悟を決め、一思いに近くのファミレスへ歩き始めた。





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