第7話 再訪問

 三津木は紅倉に電話し、猿山のブログに掲載された「トイレの鏡の男の幽霊」を見てもらった。

 弟子であるところの芙蓉にパソコンにページを表示してもらった紅倉はそれを視て、

『ああ、これ。もう駄目ね』

 とそっけなく言った。

『この人はもう、助けようがないわね』

 と。

「そんなに悪い霊に取り憑かれてるんですか?」

『そうね。取り憑かれちゃったわね。だからもう、手遅れ』

 何か紅倉の言い方に引っかかるものを感じて、三津木は訊いた。

「この血を被ったみたいな恐ろしい男の幽霊ですよねえ?」

『ううん。もっと悪いのにやられちゃってる。だから駄目』

「これより悪い奴ですか? そりゃあ、物凄く悪そうですね? 実はですね、この彼を連れてもう一度この場所を訪れようっていうロケをやるそうなんですが…………どうしましょう? よすように忠告してやった方がいいんでしょうか?」

『今さら意味ないから放っておきなさい』

「ああ、そうですか」

 三津木もそんなおせっかいしたくないのでほっとした。

「猿山一郎はもう駄目、っと。あの、彼の元相棒の蟹沢君はどうでしょう? 彼にも危害が及ぶようなことは?」

『ふうん…… いえ、蟹沢さんは大丈夫ね。一番のビビリだったのが幸いしたみたい』

 ハハハ、と三津木は乾いた笑いを上げた。

「先生。仮にですね、あちらのロケで何か起こって、猿山がどうかなった場合、うちで取材するっていうのは……いかがでしょう?」

『えー。悪趣味だなあ。わたしはやりたくない。パース』

「あ、そうですか」

 三津木は苦笑したが、これは本当にやばそうだな、と思った。

 素人が遊び半分で手を出すから。

 仮にあちらの番組がこちらと手を組んで取材していたら……


 紅倉美姫に助けてもらえたかもしれないのになあ……


 と思ったが、ま、手遅れだ。

 三津木はころっと話題を変えた。

「先生。それに芙蓉さん。実はお二人にいいお話がありましてね。うちの映像事業部で『ミスグラビアクイーンコンテスト』っていうのをK海岸で行うんですが、それに是非お二人に審査員として参加していただきたいと申しておりましてね。いかがでしょうねえ?海辺のリゾートホテルに宿泊ですよ?」

 と、そういうわけで、紅倉美姫はO公園の事件にはしばらく関わることはなかった。




 7月末。

 午後11時、2台の車が道路から入った駐車場に止まった。スタッフたちの乗ったワゴン車と、スタッフが運転して後部座席に猿山と北条の乗ったセダンだ。道路を挟んだ向こうには住宅街が広がっているが、もう灯りも少なく、ひっそり静まり返っていた。

 局から1時間ほど、車中はずっと暗く黙り込んでいた。猿山は北条と一緒に乗っているのが苦痛でならず、ずっと外の景色を眺めていた。ロケを取り仕切るディレクターに北条とは別の車に乗せてくれと頼んだのだが、

「北条先生から猿山さんの身を守る為に同じ車にしろときつく言われてまして」

 と、1年前とはずいぶん変わった低姿勢ながら頑固に言われ、仕方なく隣り合って乗ってきた。


 北条には局で顔合わせをした開口一番、

「あのロケの1週間後、お師匠様が急逝なされました。今回はわたし一人です」

 と言われ、

 おいおい、やめてくれよ、

 と、やっぱり参加したくなくなった。猿山には専属の男性マネージャーがついているのだが、その彼も今回のロケには、

「同じメンバーで行きたいので」

 と断られ、猿山より少し年上の彼は、

「そうですか? いやあ、残念だなあ。じゃ、サル君、頼んだよ?」

 と、嬉々として猿山を置き去りに帰っていった。当時は専属ではなかったが「サルカニガッセン」時代からのマネージャーで、猿山は、

 この野郎、その内社長に掛け合って首にしてやる、

 と恨んだ。


 ようやく重苦しい車中から外に出ることが出来て、猿山はスーッと思い切り新鮮な空気を吸ったが、何か湿った臭いを吸い込んでしまい、おえっ、と吐き出した。山の土の臭いだろうが、何かそこに生き物の生臭さが混じっているように感じた。

 嫌なロケだなあ、と、コンクリートの土留めの上に伸びる樹木の生い茂る斜面を見上げた。幽霊なんて何ほどのものだ、と馬鹿にしている猿山だが、なんだかそんな気持ちを見透かすような視線を感じて不安になった。

 ワゴンから降り立ったスタッフたちが、セダンの運転手も含めて、黙々と機材の運び出しにかかった。8人。全員1年前のロケに参加したメンバーで、全員、あれから2週間が経とうとしていたが、まだ首にギプスを装着していた。

 誰も猿山に話しかけてこないで、自分たちの間でもぼそぼそ低い声で必要なことだけ短くしゃべった。


 まずは150段の階段だ。皆、黙々と上った。

 上り切ると、

「じゃあ猿山さん、お願いします」

 ディレクターが言って、猿山は道の真ん中に立ち、カメラは1年前とまったく同じく、上ってきた階段から街の夜景にパンし、木の影に入っていって、道に立つ猿山を写した。

「いやあ、絶景かな絶景かな」

 猿山は景色を眺めて旅番組のリポーターのように言った。しかし自分に当てられるライトのせいだろうが、見下ろす住宅街は暗く、ひどく静かで、なんだかずいぶん遠くに思えた。カメラに向き直り。

「はい、猿山一郎でございます。いやあ、来ちゃいましたよ、因縁のO公園。あれから1年、わたしもすっかり偉くなりましてね、今日はそのお礼参りにやってまいりました」

 芸人の性でどうしてもふざけた言い方になってしまうのを北条がじっと怖い目で見ている。スタッフも暗い無表情で、くすりともしない。猿山はやりづらくて仕方なく、じっとり、嫌な汗をかいてしまった。

「はい。じゃ、行きましょう」

 あっさり前振りのコメントを撮り終え、先へ進んだ。

 林道を入っていき、樹木に被いかぶさられて真っ暗な中をぐるっと歩いていくと、O公園、道仲寺跡への枝道に辿り着いた。

 見上げて猿山はごくりと生唾を飲み込んだ。

 少し入った階段の先は真っ黒で、何も見えなかった。

 石碑の横でまたおしゃべりしたが、口は動くものの、頭の中がすかすかに空回りしているようで何をしゃべっているのか自分でもさっぱり分からなかった。

 北条に

「くれぐれも霊たちに失礼ないように」

 と注意されて階段を上がり出した。


 階段を一段上がるたびに足が重くなっていった。暗闇が重力になって一段一段積み重なっていくようだった。

 階段を上り切り、広場の入り口に立った時、突然、


『嫌だ!』


 と、心臓が跳ね上がり、喉に酸っぱいものがこみ上げてきた。激しい動悸が止まらず、髪の毛の下を汗がぞろぞろと這い下り、シャワーを浴びたみたいになった。

 1年前とは何か違う。

 あの時はこんな威圧的な闇は感じなかった。

 猿山はようやく人間のむき出しの憎悪の恐ろしさを理解した。

 幽霊とは、恐ろしいものなのだ。

 右手に地蔵を見てぎょっとした。

 ないはずの首がある。

 しかしそれは灰色にくすんだ胴から真っ白に浮き上がっていた。

 一瞬それが幽霊に見え、1年前自分がふざけて載せた自分の生首に見え……、

 それが地元の人が善意で作った新しい首であるのを理解した。

 しかし得体の知れない恐れは収まらない。

 奥の暗がりに何者かがいて、じっと自分を睨んでいる気がしてならない。

 あの、血を被った男だろうか?

 猿山は、じり、と足を後退させ、振り返った。

「なあ、この撮影、やっぱ……」

 物凄い顔をしたスタッフが重い三脚を振りかぶり、猿山の頭に振り下ろした。

 くわあん、と頭蓋が振動して、ぐらっと世界が揺れた。

 上下も分からず、腰を地面に打ち付けた痛みが突き上げた。頭も横に落下して、

 思考もままならないまま目をパチパチさせて情報を仕入れた。

 ライトが自分を照らしている。

 スタッフたちが自分を覗き込んで、三脚で殴った奴が今度は腹に3本揃った三脚の足を突き入れた。ぐえっと腹をかばって背を丸めると、あごを蹴り上げられた。

 何してんだ、こいつら? と、理解できなかった。

 カメラがしっかり自分を撮影している。

 俺は今や人気タレントだぞ? どういうつもりか訳わかんねえけど、しゃれになんねえぞ?

 てめえら、ただじゃ済まねえぞ!?

 三脚の奴が顔を覗き込んできて、また腹を蹴りやがった。

 痛みに思考が飛んで、即物的になる。

 霊能師…… おい、おばはん! 北条ナントカ! 何いっしょに見てんだよ? こいつらおかしくなってるぞ! 俺を助けろよ!…………あんたも、おかしくなってるのか?…………

 髪の毛を掴んで頭を持ち上げられて、ガツン、と地面に叩き付けられ、

 猿山の意識は途切れた。



 意識が戻ると、まずライトが目に飛び込んできて、ぎゅっと目をつむり、瞬きした。

 猿山は地面に転がされ、手足を縛られ、猿ぐつわをかまされていた。

 連中が半円になって見下ろしている。カメラも撮影している。北条も仲間になって見下ろしている。

 猿山は猿ぐつわの中でうめき、

『何する気だ? 正気になれ!』

 とわめいた。

「猿山。みんなおまえのせいだ」

 ディレクターが恨めしそうに言い、全員同じ目で猿山を睨んだ。

 スタッフ8人が首に手をやり、カパッ、とギプスを外した。猿山が自分に向けられるライトに目を細めながら見ると、あっと驚いたことに、8人の首は真っ青で、その中心にまっ黒く、首を一周する線が入れ墨のようにはっきりと描かれていた。

「おまえのせいでみんな呪われちまったんだよ、さわり地蔵の祟りに遭っちまってるんだよ」

 全員の視線が猿山の上を向いて、猿山がハッと背後へ体をひねって視線を上げると、猿山はさわり地蔵の前に転がされているのだった。

 古ぼけた胴体に真っ白な異質な顔が載り、顔から胴に赤いペンキで、

「サル見参!」

「ヘタレじぞう」

 とイタズラ書きされていた。

 猿山は必死に首を振り、

『違う! 俺じゃねえ!』

 とわめいた。

 地蔵の白い首がごそごそ動いて、ポロリと、猿山の背中に落ちてきた。

 猿山は悲鳴を上げて前に転がった。

「うわああっ!」

「ぎゃああっ!」

 地蔵の首が転げ落ちたのを見たスタッフたちも自分の首を押さえて狂ったようにわめき出した。

「静かに!」

 北条が叱りつけ、数珠をまさぐって経を唱え始めた。

 スタッフたちは落ち着きを取り戻し、撮影を続行した。

『やめろ、なんだ? 何が起こるって言うんだ?』

 辺りの空気がざわざわとうごめき、闇の中から、いくつもの影が現れた。

 影たちは寄ってきて、スタッフたちの体を通り抜け、猿山に迫ってきた。

 ぬう……っと影が顔を近づけてきて、猿山はくぐもった悲鳴を上げた。

 取り囲むスタッフたちはじいっと黙って、苦しむ猿山の様子を撮影し続けた。

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