霊能力者紅倉美姫9 怨霊を笑った男

岳石祭人

第1話 幽霊を罵倒する芸人

 東京H市に「さわり地蔵」という有名な心霊なスポットがある。


 「さわり」は「障り」とも「触り」とも書く。


 バイパスと住宅街に挟まれて標高200メートルあまりの山がある。ふもとから長いまっすぐな階段を上がっていくと明治期には重要な物資輸送路であった山を巡る道につながる。その道をぐるっと歩いていくと、上へ向かう枝道があり、その先の階段を上っていくと、山の頂に、かつて寺であった広場が現れる。


 現在は公園として整備されたこの地で、過去、凄惨な殺人事件が2件起きていた。


 かつて寺があった頃、寺に住んで管理をしていた老婆が、強盗に惨殺されたのだ。

 更にその数年後、ある地位のある男性が、不倫関係にあった若い恋人を殺し、その遺体をこの山中に遺棄するという事件が起こった。


 管理する者のなくなった寺は荒廃し、建物は管轄する自治体により解体され、本堂に向かう石畳と柱が立っていた円形の石のみが残されている。

 現在公園となっている旧境内には、外側にベンチが配され、日差しよけの屋根もあったりするが、寺であった名残の石灯籠があったり、一部お墓も残されている。


 階段を上ってきた、公園への入り口、左手に石灯籠が2機まとめて置かれ、右手少し奥に、



 1体の地蔵が立っている。



 これが問題の「さわり地蔵」である。

 前述の2件の殺人事件の被害者たちであろうか、幽霊の目撃談など心霊現象が多く報告されているこの地であるが、中でも恐ろしいのが、この地蔵にまつわる話である。

 いつの頃からかは不明であるが、この地蔵の首が欠けている。

 そしてこの首なし地蔵を触ると、良くないことが起こるというのだ。

 実際に悪ふざけで地蔵を触った者が、帰り道に交通事故に遭い大けがをしたという話がある。


 ただでさえ凄惨な殺人事件のあった場所であるが、そのような祟りの話もあり、地元の人間は昼でも気味悪くてめったに近寄らないそうだ。

 うっそうとした山の中でもあり、夜ともなれば真っ暗で、犯罪の面でも危険が感じられる場所であるが、

 わざわざその夜中にやってくる者も多い。




 カメラは上ってきた長い階段から眼下に広がる街灯りの夜景へパンし、樹木の影に入り、山中の道を写し、そこに2人の男性が立っていた。


「どもー、猿山ですー」

「蟹沢ですー。二人併せて、」

「カチカチ山です」

「違うだろ。サルカニガッセンですー」

「ですー。やあー!」

「人様の決めポーズ、パクるなよ」

「ダアー!」

「やめなさいって」


「はーい、カットー」

 ディレクターの低い声がかかった。

「はい、オッケーね? あのさあ」

 カメラマンに確認したディレクターは二人に不機嫌そうな顔を向けた。

「そういうのいいから。別に視聴者、見たくないから。早くやろうね?」

「はい。すみませんでした」

 蟹というより小型の「うす」体型で童顔の蟹沢が頭を下げ、『おい』と相方の背中を叩いて頭を下げさせた。

「あんまり楽しいロケじゃないからさ、ちゃっちゃとやっちゃおうね」

 スタッフを引き連れて林道を先へ進むディレクターの背中を、猿山はぎょろりとした目玉で睨んだ。こっちは痩せて、名前の通り猿みたいな顔をしている。


 二人は「サルカニガッセン」としてコンビを組んで活動しているお笑い芸人だ。

 デビュー3年目、そろそろ同期の中で売れる者と売れない者の差がはっきりしてきて、二人は残念ながら後者の方だ。

「ほら、行こうぜ。せっかくもらった仕事なんだから、ふてくされてるんじゃねえよ」

 蟹沢に促されて猿山も歩き出した。


 深夜帯の情報バラエティー番組の、夏のこの時期おなじみの、心霊スポット紹介のコーナーのロケに来ている。

 面白おかしくトーク主体の番組だから、ああして楽しく盛り上げた方がいいだろう? と、蟹沢も思うのだが、そういうのはスタジオのMCたちの仕事で、こちらは彼らがおしゃべりする素材だけ提供すればいいらしい。

 スタジオに呼んでくれないかなあ……と期待していたのだが、この分だとどうやらそれもないらしい。

 俺たち、やっていけるのかなあ? と、蟹沢も惨めな気分で思っていた。


 時刻は夜の11時。

 斜面を巡る歴史道は上からうっそうとした樹木が被いかぶさって真っ暗だった。


 ロケには2人の霊能師がオブザーバーとして同行している。


 ロケ隊は公園へ上がる枝道にやってきた。道の左手、樹木に寄り添うようにかつて寺があったことを示す石碑が立っている。

「じゃあ二人、ここでレポートしてもらって、それから例のお地蔵さんのところ、行ってもらうから」

「どういう感じでやりましょう? 怖い感じでやりますか? 適度に笑いを取る感じでやりますか?」

「うーん……、まあ、適当にやってみてよ」

「はい、分かりました」

 ディレクターのやる気のない指示に頷き、蟹沢は猿山と共に石碑をとなりに、階段を背に、カメラの前に立った。



「はい、我々がどこにいるかと言いますと」

「ここはどこなんでしょうねえ?」

「のんきに見渡してる場合じゃないよ。我々は今、H市の有名な心霊スポット、O公園に来ています。この上に昔、道仲寺(どうちゅうじ)というお寺がありましてね、今はもうないんですけど、お地蔵さんが残ってまして。これが有名な『さわり地蔵』なんですよおー」

「お客さあん、当寺ではお地蔵さんのお触りは禁止なんですよお」

「その通りだよ。キャバクラのマネージャーみたいに手揉んで愛想笑いしてる場合じゃねえよ。おまえ、ここ、マジで危ないんだからな? 分かってんのか?」

「おまえ、クビだー!」

「しー! 黙れよ、何いきなり大声出してんだよ、ヤバいっつってんだろ!? そうだよ、首がないんだよ、そのお地蔵さん。こんな風にふざけたり、触ったりすると、マジで祟りに遭うんだよ」

「マジすか!?」

「マジだよ」

「何いきなりスクワットやってんだよ?」

「たったり、すわったり」

「やめろって、無理矢理ボケなくていいよ」

「すべったり」

「おまえ、いい加減にしろよ?」


 ディレクターが『オーケーオーケー』と手を上げて、霊能師の二人を指差した。


「じゃあねえ、俺らだけだと危ないから、専門の霊能師の先生に来てもらってるから。先生、お願いします」


 蟹沢に招かれて、二人の女性霊能師が二人のとなりに並んだ。

 70くらいの渋い顔をしたおばあちゃんと、50くらいの怖い大きな顔をした、やたらと濃いパーマのかかった黒髪のおばさんで、二人とも白い着物に黒い袴を着け、輪袈裟を掛け、手に数珠を持っている。


「あのう、先生。僕たちこれから上に上がって、さわり地蔵のところに行くんですが、大丈夫でしょうか?」

「その前に、あなた」

 若い方の、北条百依(ほうじょうひゃくえ)が、猿山に怖い顔で言った。

「駄目よ、あなた。さっきから見てたら、まあ、はらはらしちゃったわ」

「俺? なんか悪かったですか?」

 猿山はへらへらと愛想笑いして北条に揉み手した。北条は顔を引きつらせるように言った。

「ふざけすぎよ? もう相当霊の皆さんが怒ってるから、上に上がるのは止した方がいいわね」

 やばいな、と蟹沢がディレクターを見ると、ディレクターは思い切り苦い顔をして蟹沢に、なんとかしろ、とあごをしゃくった。

 蟹沢は猿山の脇腹を肘で小突いた。

「このバーカ。だからやめろって言っただろ? 謝れよ」

「どーもすみません」

 猿山は往年の大師匠の真似をしてこめかみにげんこつを当て、場の空気はますます殺伐とした。蟹沢は低いまじ声で言った。

「おまえ、本当にふざけすぎだぞ。これでロケが終わったら、俺ら本当に二度と仕事来ねえぞ?」

 さすがに猿山も

「すみません」

 と脇に手をやって頭を下げ直した。

「先生、今度はおふざけなしでちゃんと静かに行きますんで、なんとか、どうでしょう?」

 蟹沢の懇願に、

「そうねえ……」

 と、北条は上を見、師匠の藤原玉恵(ふじわらぎょっけい)にお伺いを立てた。

 藤原はしわくちゃの顔を渋くしたまま、何も言わず、それでも弟子には分かるのか、

「では、静かに、お地蔵様のところだけ、行ってらっしゃい。奥のお堂跡には行かないように。いいですね?」

 と、北条は一応許可した。

 ディレクターが『行け』と指差し、

「よろしくお願いします。ほら、行くぞ」

 と、蟹沢は猿山を連れて階段へ向かった。

 下の150段の階段ほどではないが、ここも40段ほどある。

 上り切ると軽く息をつきながら、後に続く霊能師二人を待った。北条はともかく、おばあちゃんの藤原にはもうかなりきついと思われたが、顔に似合わず足腰はしっかりしているようだった。

 霊能師二人は頂上に到着すると、奥に向かって並んで立ち、数珠をまさぐり、手を合わせて無言で祈り出した。お笑いの二人は横で神妙な様子で見守りつつ、蟹沢がお伺いした。

「先生、よろしいでしょうか?」

 藤原が数珠をまさぐっていた手を止め顔を上げたのを見て、北条が頷いた。

「くれぐれも霊を刺激するようなことはしないように」

 蟹沢は頷き、行くぞ、と猿山と共に、左手の大人の背丈よりある石灯籠の前を過ぎ、ひとまずまっすぐ進んだ。

 カメラはサルカニガッセンの二人についていき、二人は地蔵から3メートルほどの距離で向かい合う位置で止まり、蟹沢がカメラ向かって声を潜めてしゃべった。


「あれです、あれが触った者に祟りを起こすというさわり地蔵です」


 地蔵は台座の石に乗って、大人の腰の辺り、7、80センチほどの高さ、地蔵そのものは5、60センチほどだろうか。

 頭がない。

 胸の前に掲げているはずの手も両方欠けて白い破損面が露出している。

 台座の周りには賽の河原のように小石が丸く盛られている。


「いやあ、やっぱり言いようのない雰囲気が漂ってますねえ。なんか空気がひんやりして、寒いです」

 蟹沢はシャツの腕をさすった。

 ディレクターが向こうで『もっと伸ばせ!』と手でジェスチャーしている。

「もうちょっと近くに寄ってみても大丈夫でしょうか?」

 蟹沢は霊能師二人にお伺いを立てて歩き出す姿勢をとったが。


 猿山がさっさと歩いていくと、地蔵の後ろに回って、腰を落とすと、地蔵のない首に自分の顔を合わせ、両手を前に回すと、印を結ぶ、というより、女の子の乳首をつまむような手つきをした。


 蟹沢はさあっと全身の毛が逆立って、顔の皮が上へ引っ張り上げられるような思いがした。


「ばっ、馬鹿っ、やめろ! こっち来い!」

 小声で叱って、必死の様子で手招きした。

 猿山はどけるどころか、あごを突き出しておどけた顔をし、手を千手観音のようにヒラヒラさせた。

「ばっ、馬鹿野郎!……」

 蟹沢は泣きそうになった。


「この……大馬鹿者があっ!」


 北条が鬼の形相になって一歩踏み出し、堪らず声を上げて叱りつけた。師匠の藤原はしわくちゃの皮膚の中で目を閉じ、じゃらじゃら数珠を鳴らして経を唱えていた。


「さっさと前に来て謝りなさい! あなた、本当にただじゃ済まないわよ!?」


 猿山は立ち上がると、フン、と、ふてぶてしく鼻を鳴らし、

「幽霊なんかいるか」

 と言い放つと、

 手のひらを地蔵の首にべったり付け、ぐりぐりひねり回した。

「おらおら、触りまくってるぜ、おさわり地蔵さんよお? 祟るんなら祟ってみせろよ、なあ?」


「やめなさい!」

 北条がヒステリックに叫び、藤原は経を唱える声を高くした。


「あなた! 死ぬわよ!?」


 猿山はせせら笑って、ぽんぽん、と地蔵の首を叩いた。


「俺、もう駄目だわ、やってらんねえ…………」

 蟹沢はすっかり投げやりになってつぶやいた。

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