第四章
第24話 閑話 解き放たれたモノ
姉夫婦に長男が生まれた。
その子は男の子ながら、姉によく面差しの似た子供だった。黒眼がちの潤んだ大きい瞳は本当に愛らしい。
家の両親はもちろん、政宗様も東神家の方々も皆大喜びだった。
子供はとても可愛いかった。姉から頼まれて、翔と名付けられたその子の世話をしによく屋敷に行った。
姉は弱い身体で出産に耐えた。そして今、幸せの絶頂にいるように見える。
だけど、子供を抱いて幸せそうに乳を含ませる姉の横顔を見ていると、やはりドロドロとした暗い何かが私の心の奥底から這い上がって来た。
どうして同じ親から生まれても、生きていく道筋にこんなにも差があるのだろうか。
美しく優しい姉が好きだと思う気持ちの反面、嫉ましいという気持ちが交差する。
私は姉の持っているもの全てが妬ましく羨ましい。姉のいる場所が欲しいと願ってしまうのだ。
それがいけない事だとは分かっている。
そういう時は決まって、庭の隅から私を呼ぶ声が聞こえる様になった。
『おいで、おいで』と聞こえる。
最初は何だか気味が悪かったのに、私は頭がおかしくなってしまったのか、優しい声に聞こえるのだ。
姉と政宗様の幸せそうな姿を見るたびに黒々とした嫌な気持ちが膨れ上がってきて、その声にどんどん惹かれる気持ちが大きくなってくる。
ついに、ある日、姉が翔にお乳を与えている時に、私はふらりと縁側から踏み石の上に置いてあった履物を履いて裏庭に出て行った。
そこからは夢の中を歩いている様に見ているものもぼんやりとしていた。
『おいで、おいで、お前の願いを叶えてやろう。こっちにおいで』
あの声が私を誘う。
すると庭の隅の不浄と呼ばれた場所に、うっすらと霞んだ古い着物姿の女が手招きするのが見えた。
近づくとだんだんその様子がはっきりと見えてきた。
長い髪が垂れてその半分が隠れている。見えている方は腫れあがった瞼の奥に瞳があるのは見えるが、痘痕(あばた)のひどい瘡蓋(かだぶた)で覆われたそれだけ見ると性別さえ分からない程の御面相が見て取れ、ハッと息を飲む。
女の着物は泥で酷く汚れていた。
『醜いだろう?醜いのは悲しい......』
その言葉に、グッと胸を突かれた。
『ここから出してくれたら、お前の願いを叶えてやろう。ここは暗くて狭くて、とても嫌な場所。ここから出たい、出してくれ、早くだしてくれ.....あれを、外してくれたら出られる』
その時、その着物姿の見目の醜い女と、私の心が重なった気がした。
そして私は、ついにその注連縄を手で引きちぎってしまったのだ。
ぶわりと、黒い蟲の集合体の様な物が大量に地面から沸き上がり散ったような気がする。
私の目や鼻、喉の奥にそれが入り込んでいった。
黒い物に覆われて自分が食い尽くされている様な感じがして、何もかも全てがどうでもよく思え、次には気分が良いと思った。今ならなんでも出来そうな気がする。
その後の事はよく覚えていない。私は何故か縁側に倒れていたそうだ。気づくと布団に寝かされていた。
姉が心配して何度も何度も大丈夫かと気遣い問うのが煩わしくさえあった。
翌日、庭のあの場所が気になり後でこっそり見に行ったけど、何事もなかった様に注連縄が張ってあった。
けれど、ようく見てみると千切れた縄を繋いだ跡が残っていた。
でも、何も言わなければ誰も気づかない。そう思った。
それから暫くして、姉が体調を崩し寝込む様になった。
見ている間に、だんだんと弱っていき、政宗様が手を尽くしたがそのかいもなく、幼い子供を残してあっけなく姉はこの世を去ってしまった。
私は悲しいとは思わなかった。邪魔者が居なくなった、そう思った。
あれほど邪魔だと思っていた姉が、いとも簡単に目の前から消え失せた。
こんな愉快な事があるだろうか?
いや、おかしい。そんな事はない。とても悲しい。そう思う心には靄がかかっていった。
そうだ、まだだ、まだ欲しい物がある。
誰もが悲しみに暮れる中、私は子供の世話をかって出た。
『そうしたらよい、お前の思うようになる』
声が導くままに、親身に子供の世話をした。
そして後添いとして翔の面倒を見てもらいたいと言われるのに、そう日にちはかからなかった。
ついに、私は、姉の居場所を奪い取った。……その時は、そう思えた。
まだ一周忌を終えたばかりなので、式は挙げず籍だけいれてくれれば良いと、政宗様に私は言った。
姉が亡くなって間もないのに式など挙げられない。
そして翔の世話をした。私が翔を可愛がれば、旦那様となった政宗様が喜ぶ事は十分理解している。
翔が、私に懐いているからこそ、後添えに選ばれたのだから。
それでも構わなかった。
けれど、心はそれでは満たされないことを知る……。
翔を可愛がる政宗様を見ていると、もしかすると、自分との間に子供が出来れば、政宗様はその子供と私を愛する様になるのではないかと思った。本当の家族になれるかもしれない。
今のままでは、ただの使い勝手の良い子守りだと私の中の黒いのが言う。この黒いのはあの時の着物姿の女の一部だと分かっていたが、それを考えようとすると頭はぼんやりとするのだった。
そのチャンスは翔が二歳になる前に頃にやって来た。
盆に親戚が集まり、珍しくお酒を過ごしすぎた政宗様は、その夜に姉と唯一同じ質の私の髪を撫でて抱き寄せて来たのだ。或いは、あの声の主が黒い力を使ったのかも知れない。
これはチャンスだと思った。姉の様に政宗様に愛される様になれるかも知れない。
その、ひと夜の契りで、新しい命が私の身体に宿った事は奇跡だった。
「奥様、男の子ですよ。奥様によく似ていらっしゃいます」
その看護婦に悪気は無かったのだろう。だが、それを聞いた時、私の心に影が差した。
その子は春明と名付けられスクスクと育ったが、私によく似た瞼の厚い目元をしていた。翔と並ぶと見劣りする顔立ちの子供だ。
翔と春が並ぶと、まるで、姉と私が並んでいる様だった。
仲の良い兄弟の笑い声が庭で響く。
もう良いと思うのに、それなのに心の奥底からやはり黒い物が沸き上がって来る。
だめだと思った。これではダメだ。何がダメなのか?
政宗様は春を翔と分け隔てなく可愛がっている様に思える。
私にも優しく接してくれる。もう良いではないか?
ナニガ?ナニガイイノ?
オマエガイチバンデナクテイイノカ?
日ごとに声が私を侵食していった・・・。
そして、あの日が来たのだ。
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