第6話 細くて白い指

「え!あ、あの!営業じゃなかったんですか?」


「営業?」


 彼女の首が更に横に傾いて、少し上目使いになっていた。


 もう彼女とは会えないと思っていた俺は、目の前に彼女がいるだけで、嬉しくてガッツポーズを取りたい気分だった。無意識に拳を強く握っていた。


 それでも、まだどこかで素直に信じられない自分がいた。


「最初から!美容院の客を増やすために、モテなそうな男を、紹介してもらったんじゃないですか!」


 本当はこんなこと言いたくないし、嫌われたくなかった。それでも、嬉しくなってしまっている自分を隠すように、声は大きくなってしまった。


 彼女は少し考えるように空を見上げてから、俺の目を真っ直ぐに射抜き、恥ずかし気もなく言った。


「うーん、それじゃあ、付き合っちゃいますか?そしたら、営業じゃないって分かってくれます?」


「え!え!そ、そりゃ付き合いたいです!好きです!」


 俺は考える間もなく、反射的に答えてしまった。すぐに、とんでもないことを口走っていると気がついて、頭に血が一気に流れて行くのを感じた。


 彼女が、いつものように、からかってくれると思っていた。笑って受け流して欲しかった。恥ずかしくて、このまま倒れたい気持ちのまま、じっと、彼女の目に吸い込まれるように、全く動けなくなってしまった。


「な!なに言ってるんですか!じょ、冗談に決まってるじゃないですか!バカなんじゃないですか!」


 彼女の顔も真っ赤になっていて、余計に恥ずかしかった。その赤くなった顔をずっと見ていたい、そう思った。


 少しの間、ただ黙って見つめ合う時間に耐えられそうもなくて、俺は何とか口を動かした。


「すみません!い、今の無しで!無しで!営業じゃないって信じます!営業でも構いませんけど!」


 両手をバタつかせながら、自分でも何を言ってるのか分からなかった。


「だから、営業じゃないですって!もう!モテないくせに、なんなんですか、あなたは!」


「モテないって言うな!そ、そっちだって、先週会ったパンクロッカーと別人みたいじゃないか!大体、その、なんだ!ずるいぞ!」


「ずるいのは、そっちじゃないですか!いきなり好きとか言います?普通」


「だー!言ってない!そんなことは言ってません!無し無し!さっきの無し!」


「じゃあ嘘なんですか?私のこと、嫌いなんです?」


「う……」


「嘘なら私、帰りますよ?」


「う……」


「うそ?」


 彼女に顔を覗き込まれながら、聞かれた。揺れる耳までの艶っぽい黒髪から、運命の花みたいな匂いがした気がして、頭がクラクラして、彼女の顔を見てられなくて、ぎゅっと目を閉じて、溢れるように言葉を吐き出した。


「う、うそ!じゃ、ない、です!そ、その、す、好き、です……」


 息が足りなくて、言葉の後半は消えかけていたけれど、思いはもう、止まることなく走り出してしまった。


「……目、開けてください」


「……え?」


 彼女の真っ赤な顔が目の前まで来ていた。


「……はい」


「え?」


 目線を少し逸らしながら、彼女が手を俺に向けて差し出してきた。何が起きているのか、分からないまま、俺はその白くて小さな手と握手した。


「……うん。じゃあ、そういうことで」


「え?そういうことって?」


「もー!うるさいです!さっさと、お昼食べに行きますよ!」


「え!今の握手って、オッケーってこと?」


「もう!そんなこと聞くからモテないんですよ!」


「どういうこと!え!やっぱり営業ってことですか!」


「あーもう!違います!ほら!さっさと歩いて下さい!」


 そのフワフワと浮ついた気持ちのまま、ぎこちなく初デートを楽しんだんだ。




 そんな関係のまま二年経ち、俺は彼女と一生を共にしたいと決心して、プロポーズをしようと指輪を買いに行くことになる。


 俺は一人暮らしをマンションでしていたので、よく彼女が泊まりに来てくれていた。それは夢みたいに楽しい日々で、このままずっと、この関係でいたいと願って止まなかった。


 指輪のサイズが分からないので、彼女が寝ている間に、糸を使って測った。これで合っているのか不安になりながら指輪を買ったのだ。


 あとは、プロポーズの言葉と場所を考えて、彼女に想いを伝えるだけだった。


 何て伝えよう。どこで伝えたら良いのだろう。そんなことを考えていると、寝付けなくなっていた。


 隣で眠る彼女は静かに寝息を立てていて、ずっと見つめていたかった。ふと、彼女の左手が布団から出てきた。


「……んん」


 夢でも見ているのだろう。自分の頬を少しさすってから、そのまま眠り続けていた。


 彼女の細くて白い指を見て、急に、買った指輪がちゃんと入るのか心配になった。プロポーズがカッコよく決まっても、指輪のサイズが合わなくて笑われるのは避けたい、なんとしても避けないといけない。


 俺は、こっそりとベッドから抜け出して、自分の服の間に隠してあった指輪を持ってきて、慎重に彼女の左手の薬指にはめた。スルスルと問題なく指を流れて止まった。


 大丈夫、ぴったりだ。よかった……


 俺は安心して溜め息を吐き出して、何気なく彼女の寝顔を見た。


 不思議そうな顔をしている彼女と目が合った。

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