第四章 先は昏くとも

1話 雪の町と桜姫

 揺れる輿に、脇腹の傷が激痛を訴える。

 晟青は強く拳を握り、壁にもたれて耐えていた。血を失いすぎて気が遠のきそうだ。

 だが痛みがある間は、生きている。――――まだ、生きている。


 晟青は唇をひき結んで目を閉じた。

 外から戦場のような怒号が聞こえる。町の様子が気になるが、窓を覗く余力もなかった。鏑矢の音が幾度も聞こえる。緋華だろうか。危ない目にあわせたくないのに、彼女は決して隠れていたりはしない。


 白蛇の町を守る儀式を行うための舞殿は、町の真ん中にある。四方に壁はなく、太い柱と重厚な屋根の御館だった。

 代々ここで、飛田の主やその血筋のものが、禍つ祓いを行ってきた。神宮が桜の頃、禍つ祓いを行ってきたのと同じように。

 輿が止まり、外から声がかかる。下ろされていた帳が開かれ、松明の明かりが差し込んだ。


 動こうとすると、腹に力を入れないわけにはいかず、さらに激痛と戦う羽目になった。頭もひどく重いが、そんなことを言っていられない。

 輿の壁に手をつきながら、体を起こす。歯を噛みしめて、うめき声がもれるのをこらえながら。

 なんとか輿の外を見遣る。


 松明の火を入れた舞殿に、人々は気づくところがあったのだろう。周囲にはすでに、助けを求めて人々が集まっていた。

 そして目の前に、緋華が立っていた。

 雪の白蛇の町で。炎と雪明かりに照らされて、いつもは和やかな瞳を厳しくしていた。

 晟青は彼女に笑みを向けた。わずかたりとも、弱いところを見せてはいけない。相手が誰であろうとも。

 昔から命の危険にさらされて生きてきた。暗殺されかかったことなど、何回もある。そのたび晟青は、鬼の異名を逆手にとって、不死身のようにふるまった。

 殺されかけようと、皆の前では笑って見せる。


 その晟青に向けて、緋華はゆっくりと言った。噛みしめるように。

「同盟を明らかにする前に、わたしは、知らなきゃいけない」

 その声は強かった。

「あなたが、今まで何を思ってきたのか。本当は何を思っているのか。これからどうするつもりなのか」


 少しでも早く禍つ祓いを行わなければ、妖が町を飲み込んでいくのは、彼女も分かっているはずだった。誰よりも優しい緋華が、それに耐えられる訳がなかった。

 それでも今知るべきだという、強い意志がそこにあった。同盟を世に知らしめる前に。

 理由を話す務めがある、とあの火の中で叫んでいた。怒って泣いていた緋華は、もう覚悟を決めているようだった。


 そう、こういう人だったと、今更思い出す。

 緋華はとても優しい人だった。意識せず、それを当たり前と、人のために動ける人だった。

 そして、彼女はとても気が強かった。どういう経緯と思惑があろうと、刀を持って戦の陣頭に立つほどに。それを人に押しつけることもできずに、自ら選ぶほど。

 自らを犠牲にして、晟青が無理矢理に拓いた道の上を歩いていこうとするほど。意志の強い人だった。

 わたしが選んだ、と断言した。


「それに、わたしには、大切な思い出と約束があって。ずっと、その約束が果たされるのを待っていた。わたしの思い違いでなければ、あなたと、桜をみる約束をした」

 緋華は静かに語る。

「七年前に、桜花に来たことがあるでしょう?」

 優しく宥めるように問う、彼女の言葉に、声に、晟青は苦笑をもらした。


 白蛇から桜花まで、馬を使って休まず走らせて、四日。

 桜花は白蛇よりも南に位置するので、白蛇よりも桜が咲き始めるのが早い。あの時すでに満開の桜花の桜は、風に花びらを舞わせていた。

 ――今も目を閉じれば、甦る光景がある。

 賑やかで活気にあふれる桜花の城下町。枝々にあふれんばかりの花をつけた、桜の山。見事に美しい桜吹雪。薄紅の合間から見える、神宮の居城。そして……。

 今と何ら変わらない笑顔で、微笑みかけてくれた少女。


「ああ……」

 頷きとも感嘆ともつかない声が、晟青の唇から落ちる。

 覚えていてくれたのだ、と。不思議な震えが心に満ちる。


 あの日から全てが始まった。

 時々、耐えられなくなりそうなときには、桜花を訪れて、城下を散策する緋華を見に行ったりもした。決して声をかけることはなかったが。

 なのに、決意したときには思いも寄らない光景が、目の前にある。まさか白蛇で、彼女と面と向かって、昔のことを語る日が来るとは思わなかった。


 ――生きている。

 そのことを、これほど感謝する日がくるとは。

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