10話 身に負うもの

 次々に燃え移る火は衰える気配を見せない。あっという間に堀内と晟青のまわりを取り囲んで、緋華のいるところまで部屋を巡り始めていた。

 堀内が抜き身の太刀を下げたまま、緋華へ向けて足を踏み出す。


 横を通り過ぎようとする堀内に、晟青はためらいもなく太刀を薙ぎ払った。堀内が太刀でそれを受ける。

 次いで血まみれの手で抜いた脇差が、晟青の脇腹を斬り裂いていた。


「やめろ!」

 とっさに叫んでいた。

 濡縁ではなく、居室の中へ足を踏みだす。

 堀内は血を流しながらも、太刀と、晟青に切りつけた脇差を手に、再びこちらへ向き直った。

「神宮との同盟など望まぬ。女の分際で、出しゃばるな!」

 堀内の怒号が、緋華に叩き付けられた。

 血を流しながらも、少しも揺らがない。歴戦の武将の憎しみのこもった声に、言葉に、緋華は思わず息を詰めたが、後ずさったりはしなかった。


「臣下の分際で、身の程をわきまえろ!」

 燃え盛る炎の中、しっかりと足を踏みしめて緋華は怒鳴り返した。鞘におさめたまま右手に持っていた太刀を、左手に持ち替える。すぐにでも抜けるように。

「かつて帝に神居の剣を戴いた神宮は、まぎれもなく皇家の血筋。西の鎮守将軍であるわたしに、お前のようなものが刃を向けるなど、身の程を知れ!」

 この背に負った神居の剣。

 三年前、父と母を喪って、この剣を飛田にたたきつけてやると叫んだ。思えば緋華も神居も、あの時には想像もできなかった形で、今こうして白蛇にいる。


 睨み返す緋華に、堀内は高笑いを響かせた。

「さすが、自ら鬼と夫婦になろうという御方だ。桜姫とは恐れ入る」

 明らかな緋華への侮蔑の言葉だ。同時に、己の主への。

 女の分際で、という言葉に、彼の思いのすべてが現れていた。

 飛田晟青に、娘との婚姻を蹴られて屈辱を与えられたことより、野望を挫かれたことよりも、緋華が主として座ることが許せない、と。そして叫ぶ。

「なればその剣で、わたしを廃して見せるがいい! その背の神居の剣で! 己の力を示して見せられよ!」

 そして緋華だけではなく、神宮も、皇家すらも侮る言葉を口にした。この剣は、そんな風に軽んじられていいものではない。緋華は眦をつり上げた。


「――――堀内」

 晟青の抑えた声が、臣下を呼ぶ。ぱたりと、堀内は笑うのをやめた。

 太刀を手に振り返る晟青は、脇腹から血を流している。銀鼠色の衣が血を吸って、赤黒い色に染まって行く。それでも彼は、すらりと背筋を伸ばして立っている。

「神居の剣は、皇家の宝刀。お前ごときの血で穢していいものではない」

 少しの苦痛も見えない白面の美貌で、飛田家の宿老を見た。

「今ここで自害して責めを受けるなら、お前の家中の者は許してやる。俺も今は事を荒立てたくはない」

 思いがけない言葉に、堀内は晟青に向き直った。炎にあおられ、白磁の肌を朱に染める主を見た。


「愚かなことだ。弱くなられたのか」

 傷を負い、血を流しながらも立ち続ける彼に、堀内は言った。嘆くように。

「刃向った者など、首をはね、一族郎党まで許さなかったあなたが」

 この同盟の反対をして、謀反を起こした者への見せしめを行うならば、これが機であるのは確かだった。堀内が飛田晟青と娶せようとしていた娘もろとも、その家の者を処断する。同じように刃向うものが続かないよう。


「馬鹿か、お前は」

 晟青は堀内に言い捨てる。

「事を荒立てたくないと言ったはずだ。城を燃やしやがって、他の奴にまで反乱が飛び火したらどうしてくれる」

 城に火を放ち、刃を向ける。明らかな反乱は刺戟しげきになりえる。

「上坂の乱は、あくまで民のおこしたもの。堀内は火事で主を守って死ぬ。そういうことにする。見せしめなど必要ない。今までとは違う。飛田か神宮かではない。皇家の血をひとつにして、飛田と神宮の評定を持って国を治める。力で抑える一歩にはしない」

 鬼と恐れられ、家臣に無理を強い、暗愚と言われてきた人の口にする言葉とは思えなかった。


「神宮と同盟などと。二家が並び立つことが可能だと、本当に思っておられるのか」

「してみせる」

 同盟を絵空事では終わらせるつもりのない、その明確な答えに、堀内の顔が再び怒りに染まる。

「ならば、ここで殿も神宮も燃え落ちるがいい! 先代の、飛田家の痕跡もろとも!」

 腹の底からの声だった。ごうごうと音をたてる火の圧すらも追いやるような。


 その姿が黒く淀んでいく。

 煙をあげる炎に巻かれたのかと思ったが、違う。妖が現われたのかとも思ったが、それも違った。堀内の爪先から這い上がるように、体を包んでいく黒煙。澱み。


「まさか」

 緋華は思わず声を上げた。

 このようなもの、見たことがなかった。飛田家の居城、念入りに守られているはずのこの場で、そんなことあり得なかった。

 人が生きながら妖になろうとしている。強すぎる野望と、失望と、怒りが、妖を身のうちに呼び込んだのか。

 堀内が刀を握る手も、血濡れた刀も、黒く濁っていく。呼気までもが黒煙にまみれ、目が赤く光った。喉の奥から、地底のうめきのような音が漏れる。


「……馬鹿か、お前は」

 幾度目かの言葉。晟青があげた声は、今までとはまるで違った。ただただ驚き、そして苛立ちが見えた。

 堀内が晟青に向けて突き進む。歩をすすめるたび、床に腐れたような跡が残った。

 晟青は傷をものともせずに、太刀を振り上げた。そして謡う。

祝福いわいの国に、禍つ穢れはあらじ」

 禍つ祓いを唱えながら、太刀を大きくなぎ払った。


 まるで清水をふりかけたかのように、濁った空気が消えたのが分かった。

 堀内の振りまく瘴気は蹴散らされて、堀内自身のまとう黒い気もわずかに揺れた。だが、それだけだった。妖になりかけた飛田の臣は、もう人に戻ることなどできなかった。


 晟青は蛾眉を寄せ、太刀を両手で握る。

 舌打ちが聞こえた気がした。もう一度太刀を振り上げる。

 そして向かってくる堀内に向けて、袈裟切りに切り下ろした。堀内は容赦なく肩から斬りつけられて、血を吹き出した。妖になりかけていても、人の体は血を流した。それでも尚、しっかりと両足で踏みとどまる。晟青は続けざまに、堀内の胸に脇差を突き立て、そのまま突き倒した。

 飛田の家老の大柄な体は、仰向けに、畳の上に音を立てて倒れる。

 妖に変化しかけていた体が煙のように消え、上半身がわずかに残った。だがすぐ間近にまで迫っていた炎が、その衣に移って燃えあがる。


「お前なんかに、今ここで、邪魔されるわけにはいかないんだよ」

 晟青は顔に衣に返り血を浴びて、凄絶な表情で、炎に巻かれる臣を見下ろした。黒髪が乱れて頬にかかる。

 背いた臣下を斬り伏せるのに、迷いはない。迷いなどあってはならないものだろうが、そうやって彼が生きてきたのだと思わせる姿だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る